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2019-07-14

【週俳6月の俳句を読む】誰の心も傷つけられない俳句のために 牟礼鯨

【週俳6月の俳句を読む】
誰の心も傷つけられない俳句のために

牟礼鯨


薄暑なりおのおの運ぶパイプ椅子  町田無鹿

景がまぶしい。パイプ椅子のパイプ部分が初夏の光を反射する。「おのおの」から複数のパイプ部分が光る、そしておしゃべりしながら横に並んで来るので、あるラインに彼らが来ると光の角度でパイプ部分がより白く光る。まだ日焼けしていない腕なども見える。まぶしいのである。

メンヘラの多くはアイス最中好き  谷村行海

メンヘラはネットスラングである。詩語になりうる情緒は含まれているけれどポリティカル・コレクトネスによる私的検閲に遭い死語となる可能性もある。ネットスラングであるがゆえに、メンヘラは精神的に不健康な女子とも大森靖子ファンともヤンデレとも読める。掲句からは、なんとなくヤンデレであってほしい小綺麗で精神的に不健康な女子と読める、勿論なんとなくだ。「俺のメンヘラちゃんは雪見だいふく好き」な反駁も出そうだけれど、それを性的少数派として片付けてしまう迫力と自信が掲句の「多くは」にはある。景としてはコンビニでチョコモナカジャンボだけれど、平成の川崎や尼崎あたりのささやかな幸福感が活写されている。

ライブハウス出でて毛皮の群れとなる  谷村行海

映画館を出ると万能感がみなぎる。ライブハウスから出ても映画館と同じように万能感がみなぎり、さらに同じバンドのライブを観たという一体感がみなぎるのだろう。「毛皮の群れ」に一匹の大きな夜の獣が表現されている。権之助坂、冬の街を切り裂く。

女房に食はす土曜の鰻かな  津野利行

令和最初の土用丑の日は土曜日である。つまり、「土曜の鰻」は誤記ではなく味噌だ。「土曜の鰻」の認識で土曜日に土用鰻を女房に食わせているのである。愛人やチーママでないところに掌の上に載せられ転がされている感・見透かされている感が出ている。虚子編歳時記で三夏ではなく七月に分類してよい句だ。〈妻なぜか笑つて寝てる熱帯夜/津野利行〉は女房が「土曜の鰻って何だよ」と夢で笑っているのである。話者と作者の間の薄い層が見える。

雨に濡れずっしりの服桜桃忌  柳本々々

桜桃忌の太宰治は入水であり、梅雨の時期で、「濡れ」も余剰の余剰なのだけれど、傘もささずにウールの背広で雨を「ずっしり」背負う感じが太宰治っぽい。

鞄に犬静かな六月の電車  柳本々々

詩経「六月」の詩句〈六月棲棲/戎車既飭〉を下敷きにしている。戎→犬戎→犬。棲「セイ」→静「セイ」、戎車→電車。戎車がバスでないのは音数や連作一句目との重複を避けたこともあるけれど、「戎」は西方に縁深いため東京人に中央線を連想させ、かつ連作全体をとりまく桜桃忌の雰囲気から三鷹駅へ向かう列車を読者に想起させるためだ。そして、およそ中央線沿線族的とも言える犬を容れる鞄は、句に現実感を与えるギミックである。王の風格が、ある。

夏館大きな鳥にみえる人  柳本々々

つげ義春の「鳥師」に出てくるような鳥師が昔の旦那の夏館を訪ねる景である。門から入るのではない、いつのまにか庭石に立つのである。大きな鳥に見えるのである。世捨て人の感じがある。

龍穴を源として蛍川  山根真矢

龍穴は風水の用語で、およそ陰部のような地形である。そこを水源とする川の名は蛍川というらしい。龍から蛍へ、聖から恋に身を焦がすような俗への高低差が俳力発電所となっている。

蜘蛛の乗る芥は岸を離れけり  山根真矢

芥に乗り流れるままの蜘蛛に、諦念と楽天的気質を見た。


【対象作品】 
町田無鹿 飛沫 10句 ≫読む
谷村行海 群れ 10句 ≫読む
第635号 2019年6月23日
津野利行 戻らない日 10句 ≫読む
柳本々々 ふたりでくらす暴風雨 10句 ≫読む
山根真矢 龍穴 10句 ≫読む  

2019-01-20

【週俳12月の俳句を読む】読まれなかった俳句のために 牟礼鯨

【週俳12月の俳句を読む】
読まれなかった俳句のために

牟礼 鯨


堡塁に深き砲眼ふゆかもめ  花谷 清

海防のために築かれた、昭和初期の堡塁だろう。砲眼の「深さ」とは堡塁が築かれてから過ぎ去った年月の長さであり、その年月は鷗の飛び交う冬空の澄み切った青のように思い出として純化された。「堡塁」「砲眼」のいかつさから童心にも似て開かれた「ふゆかもめ」への落差がその純度を示す。

綿コート革のコートの列横切る  花谷 清

「革のコート」が高級感やいかつさだとすると「綿コート」は庶民感や油断だろう。綿コートの人が人気店にできた革のコートのライダーたちの列を横切り、地元の人にひっそりと愛されている店へ入る、そんな冬のあたたかさ。

火の恋し石包丁に孔ふたつ  花谷清

暖房のあまり効かない市立郷土資料館。弥生時代の過酷な越冬を想像しつつ、現代の冬へどう挑もうか、考える現代人。中七から「火恋し」の像が変容する仕掛けがやや弥生じみているけれど現代でも興を起こすだろう。

どんどん増える清潔な靴  樋口由紀子

清潔さとは高級さのこと、足は増えないのに靴は増える。存在しない前句の主題は百足かもしれない。

セダンに乗って南へ向かう  樋口由紀子

時代によって読みが変わるだろう短句。セダンは今や不人気車種だ。そんな中古車で南の海を目指す、目的地は南仏でもいい。寄る辺はないけれど、明るい旅。

どこまで摂津どこから播磨  樋口由紀子

西への旅。存在しない前句の主題は蝸牛だったと思う。

太陽は細り細りて冬もみぢ  浅沼 璞

中七の「て」を経ることで太陽の光が細る冬と、太陽の色をなお湛えつつ葉先を細らせる冬紅葉、という二つの意が同時に含まれている。リフレインによる形容は語意に反して冬に喪われゆくものへの希求。

伸びてゆく飛行機雲に布団干す  浅沼 璞

「に」の切れが心地よく前後の主題を映発させている。同じことの繰り返しのような生活と頭上にあるどこか別の大陸へ繋がっている冬の空と。開放感への鮮やかな希望は、物干しや欄干のように直線の飛行機雲が像として消失してからこそ浮かび上がる。

枯草を踏めば火の音ありにけり  相子智恵

枯草は踏むと死の音を立てそうだが、火の音がするという愉快。火葬とも読めるけれど火は生命感にも通じており、死の裏側としての生の音と捉えた。靴裏へ抗う生。

サンタクロース衣裳に深き畳み皺  相子智恵

よく訓練されたサンタクロースではなく即席サンタであることが、「衣装に深き畳み皺」により、あげつらうのではなく愛情をもって表現されている。


608号 20181216
花谷  おとぎ話 10 読む
609号 20181223
樋口由紀子 清潔な靴 10 読む
浅沼  冬天十韻 10 読む
相子智恵 短  10句 読む

2017-10-29

西遠牛乳 8. 西遠州男子休日 牟礼鯨

西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう

8. 西遠州男子休日

牟礼 鯨














Sがその句集を読んだとき
「悲しい」
と言ったのを今でも覚えている。

「何が悲しいのか」
と問うと

「言葉の選び方が悲しい」
と応えた。

八月下旬に浜松に引っ越してから、平日は窓際の暖かいデスクで居眠りしていた。仕事が忙しくなるのは十月からで、九月は暇だったからだ。

それでも、仕事はした。季節のコラムを書いたり、イラストや版画につけるコピー案を羅列したり、時季にあった俳句を句集やアンソロジーから探したりした。でも、私にとってはどれも遊びだった。

土日はSに随いていき、ゆりの木通りや有楽街や遠鉄百貨店へ繰り出して、散歩したりカフェを開拓したりした。

九月のある土曜日、Sが九州へ取材旅行に出かけて帰ってこなかった。

ひとりで行きたいところがあったので、私は原付〈一つ目家鴨〉号に跨がった。

ザザシティへ行き、鴨江小路を西進、鴨江観音の前を通って消防署の鴨江出張所を左折した。右側にくすんだ黄色い建物があった。暖簾が風に煽られて「さ」と「だ」が裏に隠れていた。

入口から暖簾を直しに出てきた女性に、原付に跨がったまま
「ランチやってますか」
と訊いた。

驚いた顔をしていたが
「やってます」
との返答。

原付を停めて入店した。

メニューを見るとトンカツ定食や幕の内弁そして海老フライ定食などがあった。寿司屋という先入観で入店したが、老夫婦がやっている魚も食べられる定食屋だった。

入口左手の座敷にあがり、さしみ定食を注文した。

お盆に載せられた定食とともに
「新聞読むでしょ」
と女性がスポーツ報知と静岡新聞を食卓に置いた。一面記事だけ目を通した。

刺身は三種あった。味噌汁は肉が入っていて特に味噌が赤いとは思わなかった。

連続テレビドラマ小説「ひよっこ」の放映が始まり厨房から笑い声が漏れた。食べながら店の内装を見ると相田みつをの色紙が高いところに掲げられていた。

食べ終わってトイレを借りた。特に言うべき言葉を持ち合わせていなかったので、トイレから出ると勘定を済ませた。

去り際に女性が
「忘れ物をしないようにね」
と言ってくれた。

秋うらら寿司を食へざる寿司屋の子 澤田和弥

2017-10-22

西遠牛乳 7. 基地の街 牟礼鯨

西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう

7. 基地の街

牟礼 鯨














午前六時半、ビジネスホテルのカウンターに鍵をおいた。

寝ても覚めてもとぼけた顔に風を受けながら五十CC原付〈一つ目家鴨〉号の舳先を高遠へ向けた。

高遠から国道一五二号線を南下した。高遠から南は秋葉街道とも呼ばれ、今川家が武田家へ塩留をしたとか、しなかったとか、言われる塩の道である。

中沢峠の手前で道を横切る動物がいた。原付を停めると、そいつは崖から私を振り返り、見下ろした。狐だった。

伊那路の登坂では〈一つ目家鴨〉号は時速二十キロも出なかった。四輪車が一台かろうじて通れるような国道をエンジン音だけたてて進んだ。

しばらくして原付と平行して視界の隅を黒いものが走っていた。そいつは私の進路を横切り、原っぱをまた原付と平行して走った。

「ぶひがっ、ふがっ」
とそいつは鳴いた。

瓜坊だった。瓜坊は山を駆け上った。

親猪を連れてきたら大事なので道を急いだ。でも時速二十キロも出なかった。

分杭峠は零磁場ミネラル株式会社に占拠されていて、駐停車することもできなかった。

渓谷をひたすら南へ。

道の駅「信州遠山郷」で休んだ。

足湯があったので浸かろうと腰掛けたとき、胸ポケットに入れていたスマートフォンが足湯のなかに落ちた。

筐体の赤と黒が湯のなかで揺らめいて

「きれいだ」と思った。

温度異常エラーの警告音を出し続け、スマートフォンは死んだ。

青崩峠は通行できず、峠の国盗り綱引き合戦のヒョー越峠を通って十一時半に浜松市天竜区に入った。

天竜区に入ってのんびり走っていると、後ろをつけて来る軽自動車がいた。静岡県警だった。油断していた。

「原付のお兄さん、わきに寄せてください」

私は〈一つ目家鴨〉号を路肩に寄せた。身に覚えはなかった。しかし、警察は忘れたころにやって来る。

(免許証は提示するだけ。青切符の署名は拒否、供述調書を書かせる。警察官に誘導されず私が言うとおりに調書を書かせる)という反則金回避セオリーを心の中で復唱した。

四十代の小柄な警察官が軽自動車をおりて歩み寄った。

そのとき、自分をとりまく状況に気づき、私の睾丸は縮みあがった。周囲は川と山しか見えない。私の連絡手段は水没した。そして警察官の腰には拳銃。死体にはそこらへんの岩を括り付ければ数日は浮き上がらない、原付は放置すればいい。私は携帯しているくじらナイフに指をかけた。

警察官は問うた。

「ナンバーの世……何とか。これ何て読むんですな」
「せたがやく、です」
「どこ?」
「東京都世田谷区です」
「あー東京の? 見たことのないナンバーだから不思議に思って」

単なる職務質問だった。私は手をポケットに入れた。

浜松市へ引越すことを告げると

「北海道から浜松に引越した人が帰っちゃいます。『冬が寒い』と言って。冬は風が冷たいんです」

豆情報をもらった。
職務質問が終わってから警察官に町までの距離を訊ねた。

「天竜までなら三十キロくらいです」
「では一時間くらいですね」

と私が原付の法定速度を気にかけて言うと

「四十分くらいです。少しスピードを出していただいて」と返ってきた。

おおらかだ。
 
浜松市街におりると伊那にくらべ蒸し暑かった。

浜松市役所に転入届を出し、auショップで新しいスマートフォンを買った。
店員さんが設定をしているとき、着信があった。Sだった。

「何時に出社するの?」と訊かれた。

「十八時半には行けると思う」と応えた。

スマートフォンの設定が終わり、市役所で住民票をもらうと転職先へ出社した。

「遅いよ」とSは言った。

翌日からSは私の編集長だ。

秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎

2017-10-15

西遠牛乳 6. オルガン賭博 牟礼鯨

西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう

6. オルガン賭博

牟礼 鯨



伊那市駅近くに建つビジネスホテルに宿をとった。山に囲まれているため、まだ日没ではないのに薄暮となった。晩飯を食べるため、歩いて坂をおりて駅前のアーケード商店街へ。昭和の下駄履き住宅に個人経営の看板がかかり、シャッターが下りていた。天竜川の河川舟運で伊那が賑わったのは随分と前の話。居酒屋のネオンだけが変に輝く。地元の女子高生たちが逞しい太腿で自転車をこいで道を横切った。

天竜川へ注ぐ小沢川に架かる橋に句碑が建つ。

柳から出て行舟の早さかな 井上井月

橋場歯科という、廃業した歯科医院を改装した居酒屋のガラス戸が開け放たれて、光を川面に投げかけていた。

伊那大橋のたもと、古蹟天竜川船着場の近く、ピンクサロンが入居している煤汚れた狭い区画に、萬里という中華料理屋がある。看板に「ローメン発祥の店」と謳っていた。油で濡れたカウンターに座り、馬心という馬の心臓料理とローメンを頼んだ。ローメンは蒸し麺と羊肉がスープに浸っていて、いくらソースや酢をかけても、どこにもピントのあっていない白黒写真を食べているようだった。

萬里のすぐ近く、権兵衛街道沿いにある珈琲館プリンスは酔客で騒がしかった。羊と馬の脂でぎとぎとになった食道と胃をブレンド珈琲で洗いながら私は『オルガン』の最新号を読んだ。奥のテーブルを陣取る高齢者集団が

「むかしは旅館でおいちょかぶをやった。勝った奴は布団の下に札束を入れて寝た」

「かぶの貸しは会社の経費で払った」

「それに比べればチンチロリンやるなんてかわいいもんだ」

と、じゃりン子チエや麻雀放浪記でしか聞かないような単語を連発しながらフルーツパフェを崩していた。『オルガン』の内容が頭に入ってこなくなった。夜の深さをどこまでも川が盈たす。

川の音の濃い階段よ秋の暮 鯨

2017-10-08

西遠牛乳 5. 一つ目家鴨号 牟礼 鯨

西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう

5. 一つ目家鴨号

牟礼 鯨














浜松市の馬込川沿いに部屋を借りて、先にSを住まわせた。

服と本は先に車と黒猫で運んだ。だから原付と身体ひとつに命九つを東京から移動させれば引っ越しは片付く話だった。

八月下旬、午前八時に愛車である五十CC原付〈一つ目家鴨〉号に跨がった。

〈一つ目家鴨号〉は買って一ヶ月で三屯ダンプに轢かれている。そのときにエンジン周りを全て取りかえてから六年間で東京大阪・東京小豆島・東京金沢をそれぞれ一往復した。速くはないが堅実なホンダ馬だ。

午前八時過ぎに出発して甲州街道を目指した。

京王線千歳烏山駅わきの開かずの踏切で待たされた。環八を通ればすぐに京王線を越えられるのは知っていたけれど、敢えて開かずの踏切を選んだ。十分後に踏切が開いて、すぐに再び鳴りだした。後ろの車は渡れなかった。烏山の民の顔つきは冷戦期ベルリン市民のそれと似ている。旧道を西に進み甲州街道に入った。

長袖は全て浜松へ送ってしまっていた。初秋なのに日差しが強く、半袖から出ている両腕が日焼けした。毛穴がぷちぷちと音を立てて弾け、血の粒が出た。

甲州街道は高尾山を過ぎたあたりから緑が多くなり道が曲がりくねり勾配がきつくなった。小原宿の東京寄りには底沢や西寒葉橋といった星屑のような地名がある。かつて、地名には範囲がなかった。地名をつけた樵は星の詩人になった。今は星の破片が地図に残るだけ。

山梨県に入り、昼過ぎに笹子隧道をぬけた。葡萄棚と桃園を見ながら下れば甲府盆地だ。

甲府では山梨学院大学の近く、中央本線を渡る踏切の北にある酒折宮に寄った。酒折は連歌発祥の地であるから酒折宮は俳句の神様である。私は昼に行ってノーベル文学賞受賞を祈願したけれど、行くのはやはり雨の夜に限る。

甲府から長野県の茅野へ。

路傍の畑に西瓜が捨てられ蟻がたかっていた。安国寺西交差点から安国寺トンネルをぬけると国道一五二号線は杖突街道となる。この時点で午後四時を回っていた。日没までの浜松入りは諦めた。

高遠城の太鼓櫓に寄ってから西にある伊那市街へ向かった。途中、白鳩の図像の下に「友愛」と隷書体で赤く書かれた看板が多く立ち、禁煙標語を掲げていた。伊那市街は天竜川にへばりつき、昭和から年号を変え忘れてるようだ。伊那市駅近くに建つビジネスホテルの前で老婆が夕涼みしていた。

「部屋は空いてますか」
と訊くと
「空いてますよ」
との返事。

素泊まりの値段を聞くと妥当だったのでチェックインした。

「信濃毎日新聞の今日の朝刊はありますか」

と訊くと鍵と一緒に出してくれた。

そのままフロントで朝刊を開くと俳句が載っていた。月下に書いた名前と同じ名前が俳句の横に添えてあった。老婆は息子だろう専務を呼んだ。ビジネスホテルの経営者家族がそろって「ほー」「へー」と分かったような、分からないような声をあげた。

「切りぬいてもいいですよ」
 と老婆が鋏を貸してくれた。

軽い、プラスチック製の鋏だった。

落栗の座を定めるや窪溜り 井上井月

2017-10-01

牟礼鯨 柿木村 10句

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柿木村  牟礼 鯨

くましでの実や雲を塗る建築家

青空の青が剝がれる烏瓜

虫の音は矯正器具を舐めもどす

三日月は塞ぎとどむる響きかな

天の川乳酸菌を手懐けて

落鮎の瞳をほどけゆく星座

星香る石見国の稲穂かな

谷深し夜の名残りの曼珠沙華

稲掛や婚活パーティーの轍

秋声這ふ落人谷の石積を

西遠牛乳 4. マラカニアン宮殿 牟礼 鯨

西遠牛乳  
せいえん ぎゅうにゅう

4. マラカニアン宮殿

牟礼 鯨














昼から酔っ払っている車屋さんが小学校の先輩だった。

車屋さんは、東京で私が勤務していた会社の取引先でもあり、私がお嬢さんの家庭教師をして高校に受からせた。

夕立あがり。機械油と焼酎の混ざった臭いが立ち籠める車屋さんの野外応接間で、私が寿退社して浜松へ引越すことを告げると
「じゃあ、お別れ会だ」
となった。

引っ越す二日前の夕方、車屋さんの野外応接間を訪ねた。

木梨憲武と同年代の族上がり五人が集まって、酎ハイを氷割で飲んでいた。

車屋さんの店じまいが済むとシラフの私が軽バンを運転して京王線八幡山駅まで酔っ払い達を運んだ。

最初は個人経営の居酒屋で、脳溢血氏が接客業嫌いの店員さんの乳首に触れそうになった。出入禁止になる前に勘定が済んでいた。

日付が変わった。シラフの私が軽バンで酔っ払い達を千歳烏山駅まで輸送した。脳溢血氏は千歳烏山の闇に溶けた。

二次会は老人ホームに似た内装のスナックで、酸っぱいお通しを食べさせられた。

車屋さんは還暦の尻を揉んでいた。

車屋さんの親戚であるファミリーマート氏が「あの尻、見たいか」と私に訊いた。

「いいえ」と応えた。

やはり勘定はいつの間にか終わっていた。

午前二時を回った。鳶職はタクシーに攫われた。

三次会は甲州街道と旧道の間に建つ雑居ビルの三階、ガールズバーとコンビニの悪いところをとって合わせたような店だった。

ファミリーマート氏が山羊顔の女給に「出身どこ」と訊いた。山羊顔の女給は「お米は好きだけど朝食はパン」と応えた。「胸を揉んでもいいか」と訊くと「彼氏がいるの。学生だけど」と答えた。

ファミリーマート氏は「この店は会話が成立しない」と言った。「そうでしょうね」と私は相槌を打った。

車屋さんはこの店で二十年前の恋人以上セフレ未満と再会して胸を揉んでいた。全身イレズミの整備屋さんは白内障の猫を膝の上に載せて遊ばせていた。

ファミリーマート氏が全額支払い、午前四時の松屋に入った。カウンターで四人が一列に並んだ。

「鯨はすげーよ。転職して自分の環境を変えようと思えたんだから。俺は怖えーもん」と全身イレズミの整備屋さんが牛丼をぼろぼろこぼしながら言った。

私は「タイヤ交換みたいなもんですよ」と言った。

ファミリーマート氏は牛皿にソースをかけ過ぎてテーブルを茶色に染めていた。

最後までシラフだった私が軽バンで酔っ払いをそれぞれの自宅へ配送した。


どの家も鈴虫飼つて女ゐて 鈴木真砂女

2017-09-24

西遠牛乳 3. 太陰暦から来た男 牟礼 鯨

西遠牛乳  
せいえん ぎゅうにゅう

3. 太陰暦から来た男

牟礼 鯨














旅は大阪と決めていた。

路地裏なり悪所なりをたもとおるだけでよかった。ただ道連れができると大阪ではないところへも行く、大阪へ行っても行く町が変わる。

六月のとある土曜日の朝、私はSと一緒に東京を出て大阪へ赴いた。

中崎町の葉ね文庫に寄ったあと、東西線で西淀川区の御幣島駅へ。駅からコンクリートとタールの町を歩いて四分ほどでカマタ商店に着いた。おばあさんがやっている雑貨カフェだ。店内には尼崎文学だらけのにゃんしーと文学フリマ大阪の代表夫妻が待ち構えていた。ポエトリーモンスター泉由良もいると聞いていたけれど不在だった。話すことも特にないので、五人で無言のまま非懐紙をした。

その日は西区新町のドミトリーに泊まり、翌朝に大阪を立って昼頃に浜松駅で降りた。

南口広場にプリウスが停まっていて、その横にSが転職する先の社長が立っていた。老いた痩羊だった。あとで聞くと胃をほとんど摘出していた。無胃庵先生が運転するプリウスに乗せられうなぎ屋へ入った。

うな重の竹が三つ来た。関西風で硬かった。

私は社長に、Sに続いて自分も浜松へ移住すると言った。世間話のように、有季定型の結社に所属し俳句を作っていること、引っ越すときは原付で東京から甲州街道を進み長野県茅野市を経て国道百五十二号で青崩峠または兵越峠を越えて浜松に入る予定であることを話した。

自分が話していると思ったら急な眠気に襲われた。気付くと私が一語話すうちに社長は五分話していた。それに私が相槌を打つと十分以上京都訛りで話し続けてきた。情報のシャワー、蘊蓄のココナッツ。聞き疲れて眠りそうになりながら、アイデアマンで噴井のように話の尽きない痩せ型の生命体について考えた。詩あきんど主宰の二上貴夫先生もそうだ。彼らは過度に思考し話し続けることで脂肪をいつも燃焼させている。

そんな生命体の一個体が
「あなたは私に似ているかもしれませんね」と言った。

「そうでしょうか」と返しつつ、痩羊と鈍重な鯨とでは交めませんよ、と心のなかで思った。だが、どうやら二十代で二度転職をした私の根無草ぶりに、かつて風来坊をしていた社長自身の若かりし頃を重ね合わせたようだった。

「浜松に来て仕事はどうするのですか」
 と社長が問うので

「今の勤務先には八月下旬に寿退社すると言ってあります。浜松の職業訓練校で大工の技術を身につけて工務店に勤めようかと考えています」と筋書き通りに答えた。

すると社長は
「よろしければ、うちへ来ませんか。新しい仕事は四季の移り変わりを紹介します。あなたのやってきた俳句とも大いに関係すると思います」と言った。

私は写真も貼っていない履歴書を差し出しながら「お願いします」と頭をさげた。

「そうすると」
と社長は履歴書を受け取りながら言った。
「句会は遠くなりますね」
 
それは考えていなかった。

あぢさゐはねぢれて青空のかもめ 鯨

2017-09-17

西遠牛乳 2. 花早き女坂 牟礼 鯨

西遠牛乳  
せいえん ぎゅうにゅう

2. 花早き女坂

牟礼 鯨














 Sは川の近くに住むのが好きだった。

Sが北沢五丁目に借りていた築四十年の部屋は二十歩ほど歩けば森厳寺川の暗渠が現れる、小さなハケの上に建っていた。

他の町を歩いていたとき
「あ、ここは川があったね」とSは言った。暗渠もない普通の住宅地だったのに。

「なぜ気づいた?」と私が訊くと
「川風が吹いたから」とSは応えた。

Sは国立印刷局と癒着している大学の契約社員だった。

二〇一七年の初春には、九月にSの契約期間が切れたら多摩川の沿岸地方で同棲でもしようかという話になった。

その時の私は薄給の正社員で契約社員のSより手取りは低かった。

そのことを知ったSに
「はやく転職して」と詰められた。

当時の私は自分の不遇の原因を自分の無能さではなく社会の構造におしつける怠惰の典型に陥っており「Sが転職先を紹介してくれればいいのに」くらいに思ってのらりくらりとしていた。

勤務先の上司に「辞めたいんならいつでも辞めていいんだぞ」と詰められても「ここで働きたいんです、働かせてください」と嘘をついていた。本当は今すぐやめたかった。

その年の四月三十日、神宮前の地下にあるクロコダイルで俊読があった。

俊読をざっと説明すると谷川俊太郎の詩を谷川俊太郎本人の前で登壇者が代わる代わる朗読するイベント、だろうか。

そこで私はSと待ち合わせをしたが、Sは新幹線を一本乗り遅れたため開始時間に来なかった。

イベントがはじまって一時間くらいたったとき、もりさんと吉田和史さんの朗読が終わったあたり、入口で出番待ちをしていた石原ユキオさんの後ろからSがクロコダイルの青い光に照らされて現れた。

「内定をもらいました」とSは言った。

Sは就職活動で面接試験を受けに静岡県浜松市へ行っていた。

「おめでとう。いつから浜松で働き始めるの?」

「七月から。鯨はどうする? 鯨のことを話したら社長が『面接しますよ』だって」

Sはあと二ヶ月で浜松へ移住する。舞台では登壇者が言葉以前の言葉を吐いていた。川風が頬を撫でた。Sについていけば、今までのとるにたらない人生が少し変わるかもしれない、と私は思った。

「浜松へついていくよ」

行春の尾にびつしりと鱗かな 鯨

2017-09-10

西遠牛乳 1. つながりへの意志 牟礼 鯨

西遠牛乳  
せいえん ぎゅうにゅう

1. つながりへの意志

牟礼 鯨














「一つの場所にとどまらず移動しながら生活し続けたい」とSは言った。

「移動し続ける人が存在するには、一つの場所にとどまる人が必要なのではないだろうか」と私は言った。

いつも下北沢だった。

代沢三差路近くの郵便局を背に細い路地へ入ると、豆乳チャイを飲める夕焼色の店があった。カウンターカルチャーの古書店「気流舎」と名乗る、ニット帽と無添加食品の似合う店だ。

そこで二〇一六年五月から翌年六月までジョン・アーリの『モビリティーズ』読書会が催された。主催はS。

一ヶ月に一章『モビリティーズ』を読み進めながら、本の記述を解きつつ参加者の実体験を織りまぜて、人やものの移動はもちろん情報の移動についても話した。たとえば、退職願はなぜラインではなく紙なのか、とか。

読書会だけではなくフィールドワークにも取り組み、目黒天空庭園へ赴いたり、夕方の調布飛行場を訪れたり、松陰神社から豪徳寺の界隈を町ゆく人のまなざしを探りながら歩いたりした。

観光のまなざしについての段落で私は観光資源としての歌枕について話しをもちかけた。私は読書会に毎回参加している常連だった。

二〇一六年晩秋のある日、Sは常連であった私を経堂駅前のケンタッキーに呼び出し、読書会のインターネット利用について相談をもちかけた。

それをきっかけにSと私は一緒に熱海へ混流温泉文化祭の展覧会を観に行った。

特急列車が通過するときに唇の動きだけで会話できるようになった。私は「ちゃんと別れ話ができそうだな」と思った。それが恋愛の必要条件だった。

その年の十二月、読書会のない夕方、私は豆乳チャイを飲みに気流舎へ行った。店番で香辛料を砕いていたSは私に質問した。

「鯨さん、俳句ってカウンターカルチャーですか?」

面食らった。だが、こういうことらしい。

フランスに住む俳句作者から気流舎の広報担当であるSに俳句を収録した自著を気流舎で取り扱えるか尋ねるメールがあった。気流舎はカウンターカルチャーの古書店であり、新刊をあまり扱っていなかったためSは判断に迷い、私に訊いたのだ。

「米国のカウンターカルチャーの文脈からすれば、禅のように俳句も西洋詩に対するカウンターカルチャーなのかも。ほらファイト・クラブで主人公が同僚全員に俳句を送りつけたように」と私は答えた。

Sは「ファイト・クラブ」を観たことがなかった。私もSがフランスに住む俳句作者にどう返答したのか知らなかった。そして、半年後に自分たちを待ち受ける運命さえも知らなかった。

黄落す夜の映画をまきもどす 鯨