西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう
7. 基地の街
牟礼 鯨
午前六時半、ビジネスホテルのカウンターに鍵をおいた。
寝ても覚めてもとぼけた顔に風を受けながら五十CC原付〈一つ目家鴨〉号の舳先を高遠へ向けた。
高遠から国道一五二号線を南下した。高遠から南は秋葉街道とも呼ばれ、今川家が武田家へ塩留をしたとか、しなかったとか、言われる塩の道である。
中沢峠の手前で道を横切る動物がいた。原付を停めると、そいつは崖から私を振り返り、見下ろした。狐だった。
伊那路の登坂では〈一つ目家鴨〉号は時速二十キロも出なかった。四輪車が一台かろうじて通れるような国道をエンジン音だけたてて進んだ。
しばらくして原付と平行して視界の隅を黒いものが走っていた。そいつは私の進路を横切り、原っぱをまた原付と平行して走った。
「ぶひがっ、ふがっ」
とそいつは鳴いた。
瓜坊だった。瓜坊は山を駆け上った。
親猪を連れてきたら大事なので道を急いだ。でも時速二十キロも出なかった。
分杭峠は零磁場ミネラル株式会社に占拠されていて、駐停車することもできなかった。
渓谷をひたすら南へ。
道の駅「信州遠山郷」で休んだ。
足湯があったので浸かろうと腰掛けたとき、胸ポケットに入れていたスマートフォンが足湯のなかに落ちた。
筐体の赤と黒が湯のなかで揺らめいて
「きれいだ」と思った。
温度異常エラーの警告音を出し続け、スマートフォンは死んだ。
青崩峠は通行できず、峠の国盗り綱引き合戦のヒョー越峠を通って十一時半に浜松市天竜区に入った。
天竜区に入ってのんびり走っていると、後ろをつけて来る軽自動車がいた。静岡県警だった。油断していた。
「原付のお兄さん、わきに寄せてください」
私は〈一つ目家鴨〉号を路肩に寄せた。身に覚えはなかった。しかし、警察は忘れたころにやって来る。
(免許証は提示するだけ。青切符の署名は拒否、供述調書を書かせる。警察官に誘導されず私が言うとおりに調書を書かせる)という反則金回避セオリーを心の中で復唱した。
四十代の小柄な警察官が軽自動車をおりて歩み寄った。
そのとき、自分をとりまく状況に気づき、私の睾丸は縮みあがった。周囲は川と山しか見えない。私の連絡手段は水没した。そして警察官の腰には拳銃。死体にはそこらへんの岩を括り付ければ数日は浮き上がらない、原付は放置すればいい。私は携帯しているくじらナイフに指をかけた。
警察官は問うた。
「ナンバーの世……何とか。これ何て読むんですな」
「せたがやく、です」
「どこ?」
「東京都世田谷区です」
「あー東京の? 見たことのないナンバーだから不思議に思って」
単なる職務質問だった。私は手をポケットに入れた。
浜松市へ引越すことを告げると
「北海道から浜松に引越した人が帰っちゃいます。『冬が寒い』と言って。冬は風が冷たいんです」
豆情報をもらった。
職務質問が終わってから警察官に町までの距離を訊ねた。
「天竜までなら三十キロくらいです」
「では一時間くらいですね」
と私が原付の法定速度を気にかけて言うと
「四十分くらいです。少しスピードを出していただいて」と返ってきた。
おおらかだ。
浜松市街におりると伊那にくらべ蒸し暑かった。
浜松市役所に転入届を出し、auショップで新しいスマートフォンを買った。
店員さんが設定をしているとき、着信があった。Sだった。
「何時に出社するの?」と訊かれた。
「十八時半には行けると思う」と応えた。
スマートフォンの設定が終わり、市役所で住民票をもらうと転職先へ出社した。
「遅いよ」とSは言った。
翌日からSは私の編集長だ。
秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎
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