【週俳6月の俳句を読む】
誰の心も傷つけられない俳句のために
牟礼鯨
薄暑なりおのおの運ぶパイプ椅子 町田無鹿
景がまぶしい。パイプ椅子のパイプ部分が初夏の光を反射する。「おのおの」から複数のパイプ部分が光る、そしておしゃべりしながら横に並んで来るので、あるラインに彼らが来ると光の角度でパイプ部分がより白く光る。まだ日焼けしていない腕なども見える。まぶしいのである。
メンヘラの多くはアイス最中好き 谷村行海
メンヘラはネットスラングである。詩語になりうる情緒は含まれているけれどポリティカル・コレクトネスによる私的検閲に遭い死語となる可能性もある。ネットスラングであるがゆえに、メンヘラは精神的に不健康な女子とも大森靖子ファンともヤンデレとも読める。掲句からは、なんとなくヤンデレであってほしい小綺麗で精神的に不健康な女子と読める、勿論なんとなくだ。「俺のメンヘラちゃんは雪見だいふく好き」な反駁も出そうだけれど、それを性的少数派として片付けてしまう迫力と自信が掲句の「多くは」にはある。景としてはコンビニでチョコモナカジャンボだけれど、平成の川崎や尼崎あたりのささやかな幸福感が活写されている。
ライブハウス出でて毛皮の群れとなる 谷村行海
映画館を出ると万能感がみなぎる。ライブハウスから出ても映画館と同じように万能感がみなぎり、さらに同じバンドのライブを観たという一体感がみなぎるのだろう。「毛皮の群れ」に一匹の大きな夜の獣が表現されている。権之助坂、冬の街を切り裂く。
女房に食はす土曜の鰻かな 津野利行
令和最初の土用丑の日は土曜日である。つまり、「土曜の鰻」は誤記ではなく味噌だ。「土曜の鰻」の認識で土曜日に土用鰻を女房に食わせているのである。愛人やチーママでないところに掌の上に載せられ転がされている感・見透かされている感が出ている。虚子編歳時記で三夏ではなく七月に分類してよい句だ。〈妻なぜか笑つて寝てる熱帯夜/津野利行〉は女房が「土曜の鰻って何だよ」と夢で笑っているのである。話者と作者の間の薄い層が見える。
雨に濡れずっしりの服桜桃忌 柳本々々
桜桃忌の太宰治は入水であり、梅雨の時期で、「濡れ」も余剰の余剰なのだけれど、傘もささずにウールの背広で雨を「ずっしり」背負う感じが太宰治っぽい。
鞄に犬静かな六月の電車 柳本々々
詩経「六月」の詩句〈六月棲棲/戎車既飭〉を下敷きにしている。戎→犬戎→犬。棲「セイ」→静「セイ」、戎車→電車。戎車がバスでないのは音数や連作一句目との重複を避けたこともあるけれど、「戎」は西方に縁深いため東京人に中央線を連想させ、かつ連作全体をとりまく桜桃忌の雰囲気から三鷹駅へ向かう列車を読者に想起させるためだ。そして、およそ中央線沿線族的とも言える犬を容れる鞄は、句に現実感を与えるギミックである。王の風格が、ある。
夏館大きな鳥にみえる人 柳本々々
つげ義春の「鳥師」に出てくるような鳥師が昔の旦那の夏館を訪ねる景である。門から入るのではない、いつのまにか庭石に立つのである。大きな鳥に見えるのである。世捨て人の感じがある。
龍穴を源として蛍川 山根真矢
龍穴は風水の用語で、およそ陰部のような地形である。そこを水源とする川の名は蛍川というらしい。龍から蛍へ、聖から恋に身を焦がすような俗への高低差が俳力発電所となっている。
蜘蛛の乗る芥は岸を離れけり 山根真矢
芥に乗り流れるままの蜘蛛に、諦念と楽天的気質を見た。
2019-07-14
【週俳6月の俳句を読む】誰の心も傷つけられない俳句のために 牟礼鯨
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1 comments:
読んでいただき、またコメントもいただき、ありがとうございました。
津野利行
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