【週俳6月の俳句を読む】
相和丘陵にて(三)
瀬戸正洋
河出文庫「夏みかん酸つぱしいまさら純潔など」鈴木しづ子/川村蘭太(河出書房新社2019年6月刊)を読んだ。川村蘭太の「評伝 鈴木しづ子追跡」は、「俳壇」1989年、8、12月号、および「俳句空間」1990年3月号~1992年6月号を改稿したものだという。川村蘭太には、「しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って」(新潮社2011年1月刊)もある。表紙カバーに同じ写真が使われていることが面白かった。
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ソフトクリーム舐むれば凹み舌の幅 町田無鹿
何かをすることによって得るものはある。それは、どこかでおなじ分だけ何かを失うこととなる。気づくこともあれば気づかないこともある。それは、幸せなことなのか、不幸せなことなのか、よくわからない。
舌の幅とは「量」のことである。それを知ることはよいことなのか、わるいことなのか、それもわからない。
ソーダ水跳ねて飛沫の鼻までも 町田無鹿
ソーダ水は跳ねたのである。ソーダ水は跳ねたかったのだ。飛沫が鼻までとどいたということは些事である。この些事が、この作品を成立させている。ソーダ水とひととの係わりあいとは、このようなことの積みかさねからはじまっていくものだとおもう。
薫風や犬乗せて来る乳母車 町田無鹿
相和丘陵の陋屋に老妻とふたりで暮らしている。他人を招くことは苦手である。子がともだちを連れて泊まりにくる。歓迎はするが苦手である。犬や猫と暮らすことも苦手である。
ときどき、ハクビシンがやってくる。夜になると天井うらを駆けまわっている。不快だが駆除しようとする気はおこらない。田や畑をあれたままにしておくからだと近所のひとがいっている。
薫風のなか乳母車に犬を乗せてやってくるひとがいる。すきなことはすべきであるとおもう。
薔薇紅し大輪なるは俯き咲き 町田無鹿
まともなひとは正論など吐かず俯いて生きている。薔薇だけではなく百合も水仙も俯いて咲いている。こうべをたれて生きることは正しいことだとおもう。ただ、花は胸をはって咲いてもかまわない気がしないでもない。
俯いて恥かしそうに生きなくてもいいくらしを心がける。そうすればいいだけのことだとおもう。
薄暑なりおのおの運ぶパイプ椅子 町田無鹿
自分の椅子を自分が運ぶのである。はじまるのか、片づけるのか、どちらにしても合理的な方法である。うっすらと汗ばむほどの暑さである。窓からは五月の風も入ってくる。
パイプ椅子も長机も軽いものに限る。寄贈者の名が記されているものを見かける。「匿名」とは、名をかくすことである。ひとは目立ってはいけない。目立つことなくしずかに生きていけたらいいとおもう。
金雀枝や酒誉むるうた中世に 町田無鹿
鎌倉時代から室町時代までを中世という。酒を誉むるうたとは、何なのかは知らないが酒ずきなひとのうたなのだろう。金雀枝の花のいろからは酒を誉むるひとのあやうさを感じる。
舞曲の弓おほきく使ひ涼しさよ 町田無鹿
舞曲の奏者までもが踊っているようにおもえた。弓をおおきく使って踊るのだ。これは、視覚と聴覚による涼しさなのである。思いがけない涼しさでもあった。
香水を裾にひと吹き舞姫は 町田無鹿
舞姫といえば「深夜食堂」のマリリンである。裾とはスカートのふちのところである。あらゆるものにはふちがある。香水とは香りをたのしむためのものである。香水とは、舞姫のやさしさなのかも知れない。もしかしたら、舞姫の怖さなのかも知れない。
夏座敷にひろげて巴里市鳥瞰図 町田無鹿
夏らしく開放的な座敷である。そこは巴里の街にはふさわしいのかも知れない。鳥瞰図とはななめに見下ろした立体的に描かれた地図である。また、仰瞰、虫瞰図という視点や表現の方法もあるという。
薬簞笥に開かぬ抽斗夏の蝶 町田無鹿
抽斗にもおもわくがあるのである。開くか開かないかは抽斗の自由である。薬箪笥は開けようとしたのである。自分自身を知りたくて、そのなかのひとつの抽斗を開けようとしたのである。ただ、夏の蝶はきまぐれだったということなのである。
自分の部屋に薬箪笥を置いたらどうなるのだろう。ていねいにみがく。何をしまうかなどと考える。私がつかう薬箪笥なのである。おそらくわがままだとおもう。抽斗を開けてあげようというやさしさなどないのかも知れない。
流れゆく柳絮邪馬台国の譜系 谷村行海
譜系はどこにでもあるような気がした。もしかしたら、そう思うだけで譜系などなくてもいいのかも知れない。邪馬台国とは日本列島に存在したとされる国のひとつである。
飛び散った柳絮が目のまえを流れている。時空をこえて目のまえを流れている。これは、まちがいなく邪馬台国の譜系である。そんな気がしたのである。
恋猫は糞踏み舐めて見つめをり 谷村行海
恋に狂ったなれのはてなどといったら身もふたもないだろう。だが、よく考えれば身につまされることになるのである。糞とは肛門からでる食物の「かす」である。その自分から出た「かす」を踏むのである。舐めるのである。最後には、その糞をみつめるのである。
恋をするとは自分を知ることである。こころはゆたかになるかも知れない。だが、ふりかえってみれば、どれほど危険なことであったかがわかるだろう。何もなかったことに感謝する。猫も何もなかったことに感謝すべきだとおもう。
船酔ひやディズニーシーの春夕焼 谷村行海
横にゆれたり縦にゆれたりすることより顔面蒼白、吐き気などの症状になる。いつもと異なる状況にからだがついていかないのである。からだは繊細なのである。からだにとって平々凡々な生活が最良なのである。精神にとっても平々凡々な生活が最良なのである。
そんなひとをながめながら、しずかに船は笑っている。ディズニーシーの春の夕焼も笑っている。
ヒヤシンス一本コロッセオの記憶 谷村行海
享楽主義と土木工学の特徴を体現した古代ローマの円形競技場のことを「コロッセオ」という。「コロッセオ」の記憶とは二千年の記憶である。ひとは何でもできるということなのである。できるとおもってしまったのである。優秀であるのかも知れない。愚かであるのかも知れない。
一本のヒヤシンスが風に揺れている。紫のヒヤシンスの花言葉は、「悲しみ」なのだそうだ。
ガチャポンで出たもの母の日におくる 谷村行海
ガチャポンであそぶことは、いつもの生活である。母の日に母にプレゼントをする。これは、とくべつな日のとくべつな行いである。いつもの生活のなかで、気負うことなく、いつものように、淡々と、母への感謝をあらわす。
とくべつな日のいつもの生活、こんな暮らし方が最良なのだとおもう。
蛙らを潰して進むトラクター 谷村行海
疲れているから余裕がないのである。逃げるのを待ってから進むことも、できないわけではない。もしかしたら、眼中になかったのかも知れない。自分のことはよくわからない。他人だから視えたのである。精神的にも体力的にも、ひとにはゆとりが必要なのだとおもう。
共有林の下草刈りの日、となりの山に「ヤマヒル」が出たようなので注意してくださいといわれた。「ヤマヒル」に、血をすわれたら躊躇なくころすとおもう。
廃業のカフェの網戸を交換す 谷村行海
常連にも主人にも思い出はあるのである。共有した時間を持てたことは特別なことだったのである。風はやさしく、ひとのこころをゆたかにする。
網戸を交換するのである。新しい何かがはじまるのである。廃業とはひとつの決断である。あたらしい何かを踏みだすためのものなのである。
メンヘラの多くはアイス最中好き 谷村行海
メンヘラについて調べてみた。「こころに何かしら問題を抱えている人」「面倒で生きづらい性格に難儀している人」「精神的に変調を来して参ってしまっている人」等々とあった。
いつものことのように無責任なことを書く。
あかるく生きているひとは俳句をなど作る必要はないのである。「**」が、なくなってしまうから俳句を作りつづけるのである。
もち米のこなを水でねり、蒸してからうすくのばし焼いたものを「最中」という。肝心なものは、最中のなかにかくされているのである。
和歌を句と言ふガイドをり山葡萄 谷村行海
山葡萄の茎をつぶして塗る。虫刺されに効くといわれている。葉はかんで塗る。蜂刺されに効くといわれている。果実は貧血によいといわれている。民間療法である。
和歌を句というガイドがいても、それはどうでもいいことなのである。何でもないことなのである。そんなことは、日常生活では、いくらでもあることなのである。
ライブハウス出でて毛皮の群れとなる 谷村行海
立っていることは疲れる。折りたたみ椅子に座るのもつらい。特定の生物が同一種で集まっていることを群れという。アンバランスな光景のような気がする。アンバランスな暮らしをすることを個性という。
金がなくてはできないが、毛皮のコートをはおることも個性である。群れのなかにまぎれることも個性である。ただ、同一種であることは忘れてはならない。老人は老人らしく生きるべきだとおもう。
夕方が一番きれい麦の秋 津野利行
麦が熟したこと、また、その季節のことを「麦の秋」という。ちょうど、五月の終わりのころである。「きれい」とは、よけいなものがないことをいう。たわわに実ったものにはよけいなものはない。
日のくれがたはかたづけをはじめるころだ。からだの節々はいたい。だが、すこしの達成感はある。人生のかたづけをはじめなくてはならないとおもう。よけいなもののない暮らしにあこがれている。
着たくない服も一緒に更衣 津野利行
何を着てもおなじなのである。どう考えるかが肝要なのである。嫌いなやつはいくらでもいる。どう考えるかが肝要なのである。
自分が変われば何を着てもかまわないのである。こころが痩せさえすれば嫌いなやつとでも何とかなるのである。「更衣」とは外圧のことである。利用できるものは何でも利用すべきである。おもたいものは脱ぎすてなくてはならない。かるくなることは老人にとっては最良のことなのである。
夏服の子よいつの間に六年生 津野利行
「あなたには何の思い出もないでしょう」と老妻はいう。授業参観や子どもとどこへもあそびにいかなかったことを責める。子どもは、私ひとりで育てたのだという嫌味をこめた「ご批判」である。
三十歳代になったふたりの子どもと老妻のむかしばなしを聞いている。その嫌味をこめた「ご批判」に、子どもたちはうすら笑いをうかべながら聞いている。
子どもも老妻も、いつのまにこんな歳になってしまったのだとおもう。足腰がよわり、眼がかすんでいることを理解する。
戻らない日を夏蝶の飛びにけり 津野利行
「戻らない日」とは思いこみに過ぎないのかも知れない。あきらめてしまったら戻ることなど永遠にないのだ。目の前を夏蝶は確かに飛んでいる。夏蝶を、私の目が追っている。「戻らない日」を、私の目がけんめいに追っている。
女房に食はす土曜の鰻かな 津野利行
食べていただくことを「食はす」といい、土用の鰻を「土曜」とした。シャイなのである。
老妻は好き嫌いがはげしい。何でも食べなくてはならないとおもう。貧しく生まれ、貧しく育ち、貧しく暮らしてきたから「偏食」になったのよ、などと言い訳をしている。
おいしいものを食べることは残酷なことなのである。確かに、「偏食」とは、そのことをさける手段である。自分を守るためには必要なことなのかも知れない。
妻なぜか笑つて寝てる熱帯夜 津野利行
笑って寝ているひとを見ることがあるとすれば、幼い子か、結婚したての妻ということになるのだろう。うっすらと幸福感ののこっている不気味な家族の風景である。
老妻が笑って寝ているのである。なぜか笑って寝ているのである。これ以上、不気味な風景があるはずがない。
夜間の最低気温が摂氏二十五度以上のことを熱帯夜という。暑さが老妻の精神に、何か、ちょっかいを出しているのである。
跣にて一日過ごす日なりけり 津野利行
幸せなことだとおもう。さわやかな一日だとおもう。健康なひとだとおもう。はだしで過ごすことはほんらいのすがたなのだとおもう。
私は靴下をはなすことができない。はだしでいるとすぐに足の裏が切れるのである。「足は健康状態を映す鏡である」という。
気の滅入ること、嫌なことにはかかわらない。これが私の生きかたである。靴下は、はなさない。これが私の生きかたなのである。
涼し気な音水筒に持たせくれ 津野利行
涼しげな水音を水といっしょに水筒につめて持たせてほしいといっているのである。難しいことをさらりという。
ひねくれている私が、いくらひねくれた読みかたをしようとしても、押しかえされてしまう。難しいことをいわれると感心してしまう自分がおかしいとおもう。
自転車を押して二人の夏の月 津野利行
自転車を押して家に帰るのである。ふたりだけの家に帰るのである。明日も生きていくことができるというゆとりが感じられる。いちにちが終わろうとしている。夏の月はふたりだけのものなのである。
穏やかな海に戻りて夏の果 津野利行
ゆく夏のものがなしさよりも、おだやかな海に戻った安堵感のようなものが感じられる。
定年をむかえる。貯金通帳をにぎりしめる。それがすべてなのである。何もかもが不安なのである。それでも、おだやかな生活にあこがれる。「夏の果」とは、そうありたい希望なのである。
夏帽子バスから見えるバスの群 柳本々々
バスが生きもののように見えたのである。観光地の駅のバスターミナルなのかも知れない。夏帽子をかぶったおとこはバスに乗り、座席にこしかけ、それらをながめている。バスのうちもそとも、バスそのものも何もかもが生きもののように一定の法則でうごきはじめるのである。
梅雨晴間死ぬまでずっとおんなじ眼 柳本々々
書いても、読んでも、聴いても、話しても、視ても、そのひとの本質は何もかわらない。梅雨晴間は、梅雨の間に晴れることをいう。きぶんはかるくなり洗濯物を干したりもする。自分はかわることができるかも知れないなどとかすかな希望がうまれたりもする。それにしても、これは、嫌な「眼」なのだとおもう。
桜桃忌ちっちゃいフィギュアこぼれおち 柳本々々
かたちをうつした人形のことをフィギュアという。人形とは、古代では祭礼、呪術として使われた。「ひとがた」「かたしろ」などとよばれたりする。また、子どものあそび道具でもある。
「祭礼、呪術」と「子ども」のあそびとは、つながっている。本心を隠しきれず、つい、それがおもてにあらわれてしまうことを、こぼれおちるという。ちっちゃいフィギュアだけがこぼれおちたのではないとおもう。
桜桃忌とは、桜桃の熟するころ亡くなった太宰治の忌日である。
雨に濡れずっしりの服桜桃忌 柳本々々
六月十三日に山崎富栄と玉川上水に入水、十九日に遺体が発見されたとあった。この重さ、この不快さ、雨に濡れたずっしりの服とは、「にんげん」あるいは、よのなかの「すがた」を象徴したものなのかも知れない。
かたつむり二人で暮らす凄まじさ 柳本々々
ふたりで暮らすことは難しいことなのである。あきらめることが肝要なのである。凄まじいとは、「ものたりずさびしい」「荒涼としている」「にげだしたくなるほど恐ろしい」である。
かたつむりは、ながめるべきものなのである。間違っても、かたつむりとなってふたりで暮らそうなどとおもってはいけない。ふたりでながめていればそれだけでいいのである。
手のひらのやぶけたところ桜桃忌 柳本々々
手のひらがやぶけるとはどういうことなのだろう。紙や布などが何かにひっかかって裂けることをやぶれるという。手のひらにひっかかったものは何だったのだろう。痛みよりも何かがこわれていくような感じである。やぶけたのは手のひらだけではない。こころまでもがこわれていってしまうような気がする。
鞄に犬静かな六月の電車 柳本々々
飼いならされてしまったのである。飼いならされてしまったのは犬ではない。自分自身が自分自身に飼いならされてしまったのだ。そのことに躊躇することはあっても、そう決心さえしてしまえば気楽なものなのかも知れない。鞄のなかもまんざらではないとおもう。曇天のなか六月の電車は玉川上水へとむかっているのかも知れない。
夏館大きな鳥にみえる人 柳本々々
大きな鳥のように見せようとしているのか。それとも、大きな鳥のように見えてしまうのか。ひとが何を考えているのか知ることは難しい。
「夏館」とは、夏らしい装いのなされた邸宅をいう。つまり、「らしく」おもわせることができれば、それでいいのである。
不思議な眼の女の子とラムネのむ 柳本々々
女の子の眼が不思議であることに気づくのは、じぶんの眼も不思議だとおもっているからなのである。不思議な眼をしているふたりがラムネをのむ。にたもの同士がラムネをのむのである。こわいはなしである。だが、ふたりにとっては幸せなひとときなのかも知れない。
桜桃忌「どうにか、なる。」のなるのとこ 柳本々々
「なる」のところが問題である。「どうにか、なる」とおもうことはすくいである。生きるとは「どうにか、する」ことなのである。だが「どうにか、する」ことばかりしていたらつかれてしまう。生きるとは、「なる」と「する」のあいだをいったりきたりすることなのである。そのとき、どちらに重きをおくかが思案のしどころなのである。
高校生のころ教室に太宰治に関係する「何か」が貼られていた。現国のテキストに関するものだったのだろう。誰かが、それに落書をした。誰かがその落書を消しゴムで落していた。「何をしているのか」と聞くと「太宰治が好きだから」と答えた。私の通っていたのは男子校である。へんなやつがいるなとおもった。
顔は忘れたが、へんなやつがいるなとおもったことだけは覚えている。
走り梅雨らしき糸雨ポプラの木 山根真矢
そうであっても、そう思っても、はっきりといわないことは、ひとつの知恵である。「らしき」ということばには、一歩さがって、余計なことにはかかわらないという意志が感じられる。梅雨はかならずやってくるものなのである。
目のまえのポプラの木に糸のような細いあめがふっている。感情をあらわにすることには違和感をおぼえる。黙って濡れていればいいのだとおもう。
胡麻ほどの萍に根のありにけり 山根真矢
大地にしっかりと根をはり生きていきたいとおもう。だが、すこし考えてみれば、そんなことは不可能であることがわかる。生きるということは不安と道づれなのだ。一寸先は闇なのである。
ちいさな萍であっても「根」のあることに気づいたのである。とにかく「根」さえあれば何とかなるということに気づいたのである。
龍穴を源として蛍川 山根真矢
伊勢神宮、唐招提寺、日光東照宮などが「龍穴」とされ、その土地は天変地異とは無縁であるらしい。
要するに、ひとは、天変地異と無縁な土地がわかるのである。何故、ひとは、その知恵を利用しないのか。
天変地異と無縁な場所に神社仏閣を建てることは大切なことだとおもう。それができるのなら、「あの施設」も、その場所へ建てることを考えるべきだとおもう。
龍脈とは龍穴へむかうながれのことである。この場合は、はんたいのながれである。蛍川の「蛍」とは、はかない希望のことなのかも知れない。
撒水や次は野鳥の水飲み場 山根真矢
水を撒いている。次は野鳥の水飲み場へ撒くという。つまり、野鳥の水飲み場であろうとなかろうと、規則だから、順番だから、そこへ水を撒くのである。なにも考えない。このように生ることが幸せになる秘訣なのだとおもう。とにかく、ひとは考えてはいけない。考えると不幸になる。絶対に不幸になるとおもう。
蜘蛛の乗る芥は岸を離れけり 山根真矢
ごみやくずであっても蜘蛛にとってはいのちを守るたいせつなものなのである。それも岸を離れてしまった。必然であったなどとのんきなことをいっている暇などはない。まして、偶然であるはずもない。
胡麻ほどのおおきさの萍にも「根」があるように、蜘蛛は芥のうえで生きることを考えなくてはならないのである。蜘蛛の「根」とは何であるのか気づかなくてはならないのである。
サイクリングロード二羽目の雪加かも 山根真矢
学生のころサイクリング指導員補助というアルバイトをしていた。県立のサイクリングコースがあり、自転車の貸し出しと、そのコースの整備が主な仕事だった。子供会などの団体が入ると、自転車の安全な乗り方などを子どもたちのまえではなした。子どものまえとはいえ、よくも、偉そうにはなすことができたと呆れかえっている。ひとまえで、正しそうなことを正しくはなすことなど、おこがましい限りである。
サイクリングコースではいろいろな野鳥を見ることができた。
子蟷螂透きとほる足踏ん張つて 山根真矢
孵化したばかりの蟷螂は美しい。足ばかりでなくからだじゅうが透きとおっている。足を踏ん張って生の第一歩を踏みだしたのである。
夜があけるのを待たずに老人は柱に手をかけ蒲団から起き上がる。いちにちの第一歩を踏みだすのである。柱に手をかけずに立つことができないことに愕然とする。
鱧料理伏流水の上に座し 山根真矢
川床での鱧料理なのである。川を見るでもなく、せせらぎを聞くでもなく、水の流れだけを感じているのである。
山村に暮らす老人は冷房の効いた屋内での食事をこのむ。そのほうがからだのためにはいいのである。風流のかけらもないのである。
腹当や大人の死を詠み泥む 山根真矢
もっとも簡略化された鎧を腹当という。詠むとは詩歌をつくることである。詩歌をつくるとは考えることである。死を考えれば生について執着しなければならない。つまり、何かにだまされるきっかけとなるのである。
歳時記を調べたら腹当とは腹巻だと書いてあった。金太郎のことである。寝冷えをふせぎ汗とりにもなる。泥むことからは逃げつづけたいとおもっている。
鳶来れば湖近し夏休 山根真矢
鳶が来ることに何か理由があるのだろうか。湖が近いことに何か理由があるのだろうか。夏休みであることに何か理由があるのだろうか。
理由のないことは、とても素敵なことなのである。いまは、午前二時。ザ・フィルハーモニクスの「屋根の上のヴァイオリン弾き」がながれている。もちろん、それを聴いている私にも理由などない。
ひろびろとした世界が目のまえにあるような気がする。
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川村蘭太の「体験的多田裕計-我が幻の師」(「ぶるうまりん」第38号)は、貴重な資料である。彼は、「長江デルタ」と戦中の映画資料を突き合わせ、
主人公の一人である三郎が勤務する中日文化会社の風景描写がそのまま、裕計の中華映画に当て嵌まったのだ。いわばこの小説はドキュメントなのだ。と書いた。
多田裕計が昭和十五年(二十八歳)に勤務した上海にある映画会社の正式名称が「中華電影股份有限公司」であること。当時の所在は「共同租界江西路百七十、ハミルトン・ハウス内」であること。さらに、この会社は満州映画協会、華北電影などとは異なり、中国文化の昂揚を促し、日中の中立的な立場を維持するためにつくられたものであることもはじめて知った。
1 comments:
読んでいただき、またコメントもいただき、ありがとうございました。
津野利行
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