【週俳6月の俳句を読む】
平明ってなんだろう
三島ゆかり
津野利行「戻らない日」を読みながら、平明ってなんだろうと考える。ここには子であろう六年生と女房とか妻と呼ばれる人が登場する。もちろんそれらが架空の作中人物であるとする穿った読みもあり得るのだが、ここは素直に実在の家族と受け止めよう。そして、いつか未来のどこかでその家族と一緒に、スナップ写真のアルバムを開くように、「戻らない日」を思い出すためにこれらの句群は書かれたのではないか。俳句の専門家にしか通じないような技法は、ここでは用いられず平明で眩しい。そして何を書き、何を書かないか。選択肢として、もっと詰め込む作句態度もあると思うが、それでは失われてしまう世界が多分ここにはある。
夕方が一番きれい麦の秋 津野利行
麦秋の空気感を伝えて過不足ない。二物衝撃みたいな理論を振りかざして、季語が揺れるなどというのは当たらないだろう。
着たくない服も一緒に更衣 同
一緒に出てきたのか、一緒にしまったのかは定かでないが、おそらく前者だろう。大して着るものにこだわりもなく、ざくっと十把一絡げなその家庭に於ける更衣を面白がっての句ではないか。
夏服の子よいつの間に六年生 同
「夏服」とだけ書かれ、それが制服なのか平服なのかも、男子なのか女子なのかも省略されている。自分にとっても家族にとっても自明のことで、そこがポイントではないのだろう。昨日までと違う服を着ていることによって日常の切れ目が生じ、不意に子の身体的な成長をあらためて感じた、その心の動きを書きとめたものだろう。
戻らない日を夏蝶の飛びにけり 同
人生のどこまでが青春でどこまでが夏なのかは人それぞれ感じ方が違うだろうが、夏蝶の姿に自身の人生の夏の終わりを重ねているのかも知れない。
女房に食はす土曜の鰻かな 同
土用の鰻ではなく意図的に「土曜」と書いているところに注目しよう。乱獲問題とか価格高騰問題という観点から土用の鰻など喰ってられるかという立場もあるにはあるが、ことさらに「土曜」と書くのは、会社員で月曜から金曜までは妻と食事をともにしていないのではないか。待ち遠しい土曜の昼食で妻に鰻をフンパツする、という図なのではないか。「女房に食はす」という言い方からは、見栄と照れが入り交じった気分が感じられる。
妻なぜか笑つて寝てる熱帯夜 同
寝苦しい熱帯夜にふと目が覚めて妻を見やると、なんの夢の途中なのか眠りながら笑みを浮かべている。「寝てる」は俳句ではあまり使わないラフなもの言いだが、「寝をる」とかにしてしまうともう自分の妻ではなくなってしまう、そんな譲れぬ平明さなのだろう。
跣にて一日過ごす日なりけり 同
逆にほとんどの日は生業として靴を履いて過ごすのだろう。年に何日もない特別な一日の感慨がある。
涼し気な音水筒に持たせくれ 同
その日は水筒に氷を入れてくれたのだろう。からころと涼し気な音がする。
自転車を押して二人の夏の月 同
「二人」とだけ書かれ、それが夫婦なのか親子なのかそれ以外なのか分からない。また、なぜ自転車を漕がずに押しているのかも分からない。この句もまた、自分にとっても家族にとっても自明のことで、それらがポイントではないのだろう。パンクしたとか坂道だとか、そんなことはどうでもよく、自転車を押す二人にゆっくりとした親密な時間が流れ、折しも夏の月が指しているのだろう。
穏やかな海に戻りて夏の果 同
もちろんこの句の影には、悪天候で宿に缶詰になっていた日もあるのだろう。旅程の最後の日にようやく穏やかな海に戻ったのかも知れない。でも「戻らない日」としていつか思い出したい日は、掲句の光景なのだ。ここに並んだ十句は、そのように取捨選択された平明さによって眩しいのだと思う。
2019-07-14
【週俳6月の俳句を読む】平明ってなんだろう 三島ゆかり
【対象作品】
登録:
コメントの投稿 (Atom)
1 comments:
読んでいただき、またコメントもいただき、ありがとうございました。とても励みになります。
津野利行
コメントを投稿