2017-10-08

西遠牛乳 5. 一つ目家鴨号 牟礼 鯨

西遠牛乳
せいえん ぎゅうにゅう

5. 一つ目家鴨号

牟礼 鯨














浜松市の馬込川沿いに部屋を借りて、先にSを住まわせた。

服と本は先に車と黒猫で運んだ。だから原付と身体ひとつに命九つを東京から移動させれば引っ越しは片付く話だった。

八月下旬、午前八時に愛車である五十CC原付〈一つ目家鴨〉号に跨がった。

〈一つ目家鴨号〉は買って一ヶ月で三屯ダンプに轢かれている。そのときにエンジン周りを全て取りかえてから六年間で東京大阪・東京小豆島・東京金沢をそれぞれ一往復した。速くはないが堅実なホンダ馬だ。

午前八時過ぎに出発して甲州街道を目指した。

京王線千歳烏山駅わきの開かずの踏切で待たされた。環八を通ればすぐに京王線を越えられるのは知っていたけれど、敢えて開かずの踏切を選んだ。十分後に踏切が開いて、すぐに再び鳴りだした。後ろの車は渡れなかった。烏山の民の顔つきは冷戦期ベルリン市民のそれと似ている。旧道を西に進み甲州街道に入った。

長袖は全て浜松へ送ってしまっていた。初秋なのに日差しが強く、半袖から出ている両腕が日焼けした。毛穴がぷちぷちと音を立てて弾け、血の粒が出た。

甲州街道は高尾山を過ぎたあたりから緑が多くなり道が曲がりくねり勾配がきつくなった。小原宿の東京寄りには底沢や西寒葉橋といった星屑のような地名がある。かつて、地名には範囲がなかった。地名をつけた樵は星の詩人になった。今は星の破片が地図に残るだけ。

山梨県に入り、昼過ぎに笹子隧道をぬけた。葡萄棚と桃園を見ながら下れば甲府盆地だ。

甲府では山梨学院大学の近く、中央本線を渡る踏切の北にある酒折宮に寄った。酒折は連歌発祥の地であるから酒折宮は俳句の神様である。私は昼に行ってノーベル文学賞受賞を祈願したけれど、行くのはやはり雨の夜に限る。

甲府から長野県の茅野へ。

路傍の畑に西瓜が捨てられ蟻がたかっていた。安国寺西交差点から安国寺トンネルをぬけると国道一五二号線は杖突街道となる。この時点で午後四時を回っていた。日没までの浜松入りは諦めた。

高遠城の太鼓櫓に寄ってから西にある伊那市街へ向かった。途中、白鳩の図像の下に「友愛」と隷書体で赤く書かれた看板が多く立ち、禁煙標語を掲げていた。伊那市街は天竜川にへばりつき、昭和から年号を変え忘れてるようだ。伊那市駅近くに建つビジネスホテルの前で老婆が夕涼みしていた。

「部屋は空いてますか」
と訊くと
「空いてますよ」
との返事。

素泊まりの値段を聞くと妥当だったのでチェックインした。

「信濃毎日新聞の今日の朝刊はありますか」

と訊くと鍵と一緒に出してくれた。

そのままフロントで朝刊を開くと俳句が載っていた。月下に書いた名前と同じ名前が俳句の横に添えてあった。老婆は息子だろう専務を呼んだ。ビジネスホテルの経営者家族がそろって「ほー」「へー」と分かったような、分からないような声をあげた。

「切りぬいてもいいですよ」
 と老婆が鋏を貸してくれた。

軽い、プラスチック製の鋏だった。

落栗の座を定めるや窪溜り 井上井月

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