2017-12-31

【俳苑叢刊を読む】 第20回 森川暁水『淀』 どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(後篇) 佐藤文香

【俳苑叢刊を読む】
第20回 森川暁水『淀』

どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ(後篇)

佐藤文香


前回の原稿で「また来週」と書いておいて2週間経ってしまった。新宿駅の中央本線(特急)の9・10番線のホームには、何人かの鉄道オタクらしき人がカメラを構えている。我々が乗る特急スーパーあずさ11号は、12/23に運転を開始した新型車両なのだとわかった。友人の香織さんとの日帰り甲府旅行。行きの特急は隣の席がとれず、香織さんが13C、私が14Cの席に座っている。私の隣の30代男性は鉄道オタクらしく、各席についているコンセントの写真まで撮影している。スーパーあずさは時間になると前触れなく走り出し、後ろを向いた香織さんと「なんかにゅるんと走り出したね」と言い合った。私はピンクのリュックの上に『淀』を開く。
『淀』は、昭和十二年の時「八代」に始まる。田鶴の連作19句だ。

  残月のひかりつ呆(ほ)きつ田鶴のそら
  田鶴舞へりつまうしなひしひとつ鶴も
  とぶ田鶴の羽おとす見えて去ぬ日あり

恍惚としたかんじがある。そして、ぽかんとしたことをよく言う人かと思いきや、案外激しい一面もある。

  羽蟻翔つて憤怒のわれに家がなき
       吉凶譜
  優曇華の咲いて鬼畜の極暑來ぬ

こうやって今スマートフォンで書いていると、西村麒麟さんのことを思い出す。(句を写し一言添えるスタイルはスマートフォンぞ得意なりける、いや、そんなことはどうでもいい)

  梨を剝いて晝のむ酒はわびしいぞ

梨と酒はあうけれども、たしかに昼だとつらい。幸薄さがある。

また、これはほかの句集からもわかるが、砂丘に行く人らしい。

  砂丘ゆくわがまばたきに月荒き
  砂丘寒く折れば乳噴く花黄なり

スーパーあずさは砂丘ではなく立川に着く。
昭和十三年。

  風邪わるく誣言に應ふすべもなし

風邪の句からはじまる。第一句集にも「風邪わるく」の句があったが、風邪といったら大概体調が悪いものなので、重言くさいのが滑稽味になっている。

  鳥交る野を喜捨しつつ妻の里へ
  海市消えてただ烏賊そだつ海ありぬ

こう言われるとこの海では烏賊しか育たなそうである。
ここで和布が出てくる。全部で16句ある。

        焙り食ふもの
  和布とはうれひぐさなりまなうみの

この和語のつらなりはよいなぁ。

  和布焙つて目つぶれなばと思ふ日あり
  この和布われがおもひを千々にさせぬ
  焼いて食ふ和布に骨のあるを知りぬ

和布に思いを添わせすぎていてよい。
私は第一句集を『海藻標本』というタイトルにして、池田澄子に見てもらったら、少し海藻の句もあってもいいんじゃない、と言われて、あわてて二句くらい入れたのが懐かしい。父が海苔を炙る句などはそのとき追加したものだ。
なお、この文章のタイトルは「どうやら私と同じで若布が好きな人みたいだ」だが、作品は「若布」ではなく「和布」であった。ご海容ください。

スーパーあずさは八王子に着く。この原稿を依頼してくれた福田若之は八王子に住んでいる。ここまででも少し旅をした気分なのに。若之は新宿に来るたびに旅をしているのか。

  青梅に夏毛の鹿にそらは雨
  おしろいは日に咲きふえて喪正し
  掛稲は黒く月蝕雲のうち

青梅に、の句は好きだ。この電車は青梅駅には行かない。高尾駅を通過。
車内販売が来て、隣の男性は桔梗信玄餅アイスを購入、販売員に「少し溶かしてからお召し上がりください」と言われている。男性、執拗に信玄餅アイスの写真を撮る。

昭和十四年。「醫にかよふ」四句からはじまる。この人は体が弱いのだ。

  花暮れて葬のもどりの数珠を袂

「数珠を袂」がイカす。
隣の男性、掌で信玄餅アイスを包み溶かしてから蓋を開けるが、カチコチのようでまだ食べられない。信玄餅アイスの薄いフィルムの上にスマホを置き、その上に天然水のペットボトルを置いたりしている。ようやくフィルムを開けた。

  船降りるわれらに桔梗りんりんと

桔梗信玄餅アイスだけに。いや関係ない。信玄餅アイスは真ん中に黒蜜が入っているようだ。日差しがきついのでカーテンを閉めてほしいが、男性は外の景色も楽しんでいる様子なので我慢しよう。

昭和十五年。
  寒禽の嘴(はし)のとがりに手嚙ませつ

飛んでいない鳥の句はだいたいいいなと思ってしまう癖がある。
  海苔に酌めば海苔のちりばむ貝おもしろ
  海苔に酌めば海苔も目刺も海の魚(さかな)

見たことがあると思ったら、さきに読んだ第3句集『澪』に

   結婚記念日二句
  海苔に酌めば海苔の塵浮く盃(はい)おもしろ
  海苔に酌めばさらに目刺は青き魚(さかな)

とあって、それを前回の原稿に書いた。微妙に違う。こちらも結婚記念日の句なのだが。

  梅どつとちりくもるとき淵もくもる
  おほみゆきかしこ緑蔭むかひあふ
  けけと鳴く水の蛙に蛇のびたり

大月を通過。冬の山間部といった景色になってきた。常緑樹と落葉樹がまだらに低い山々を構成する。ここで隣の男性は信玄餅アイスを食べ終わり、『淀』もラストの「黴」抜粋の章にさしかかった。

  凍てめしもまたおもしろく食ひにけり

おもしろく食うとはどういう様子だろうか。よっしゃ飯やでー! 凍てメシやけどな! といったような「おもしろく」ではないと思う。心が凍てめしという素材をおもしろいものとして見ているようなことだろう。おもしろく食わねばやってられないようなところも少しあるのだろう。

  冷凍酒旅にしあれば妻ものむ

本来ならこの甲府日帰り旅も、行きの特急から飲み、昼は蕎麦屋で飲み、ふたつのワイナリー見学で試飲し、夜はほうとうと日本酒、の予定だったが、私がヘルペスで腿を腫らし、医者に食べ飲みすぎぬよう言われたのが昨日、酒は最小限に抑えるべきとの考えから、特急では駅で買ったぬるいほうじ茶しか飲んでいない。
妻の句はほかにもたくさんあるのだが、なかなか書き写す気分にならないのは、今日は女二人旅だからということもあるかもしれない。

  おしろいの夕の食事に犬もあり
  葉づき柿かくもとどきぬ誰ぞ來ずや

『淀』は読み終わった。トンネルを多く通る。耳が詰まる。晴れた外に出る。左は盆地である。盆地の向こう側に、八つ橋を並べたように山が連なる。隣の男性は写真を撮る。右のビニルハウスは果樹園であろうか。今は枯れている。住宅地に入り、山梨市駅を通過。もうすぐ甲府である。

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