2018-05-27

【週俳4月の俳句を読む】本当かもと思える瞬間 近恵

【週俳4月の俳句を読む】
本当かもと思える瞬間

 近恵


いつも固定観念や既成概念にとらわれずに俳句を書いたり読んだりしようと思うのだが、なかなか思ったようには行かず、いつも自分の内側にあるところからしか発生してこないのがもどかしい。それでも書かれた言葉を頼りにすこしずつイメージをずらして行く時、心象だと思っていたものが本当のことかもと思う瞬間がある。強制的にイメージをずらして読んでいくことの出来る言葉の並びを許容できるのは、俳句が短いからだろう。だからこそギリギリのところで本当かもと思える瞬間がある。そしてそれは自分の観念や概念を少しだけ変えたり広げたりしてくれる。そしてそれが存外心地いい。


うたごゑの天の高さを組み上ぐる        吉川創揮

どんな歌声なのだろう。その歌声が高い所へ上ってゆき何かの形に組み上げられていったとき、それをもってして天の高さとするのだ。どんな歌声を感じているかはきっと人によって違うだろう。私ならホーミーがいい。モンゴルの平原をどこまでも走ってゆく倍音。それが気流に乗って上へ上へと。読経のように、呪いのように。


冬晴に靴音届く自転かな

自転といいつつも、本当は誰かが靴音を鳴らして歩きながら回してるんじゃないのかな。ハムスターの回し車のように。その靴音は冬晴にどこまでも届いていつもまでも回し続けて、回されている方はいつしか自転なのだと思い込んでいるのだろう。


牡蠣啜る太陽吊りて薄き街

太陽を吊るした途端に舞台の書き割りバックのような街が表れる。牡蠣を啜るのもどこか嘘っぽい。牡蠣を啜る自分もまた薄い街の一部のようにぺらんぺらんのベニヤ板なのだ。


闇つうと蛇の鼻腔を抜けて春

穴を出た蛇が大きく息を吸って吐いたその時、それまで体内に溜まっていた闇がつうーっと鼻腔を抜けて出てくる。闇を出る蛇、蛇を出る闇、闇を出る蛇、蛇を出る闇、、、、永遠に続くメビウスの輪のように、あるいはウロボロスのように。何度も何度も春と闇を、蛇の鼻腔を通って行ったり来たりしているみたいだ。


割れて窓光なりけり燕

イメージがスライドしていく。割れた窓、その割れたガラスが散って行く時に生まれる光り。その光が燕となって飛び去っていく。春の光りの一瞬の眩しさそのもの。



【対象作品】
三輪小春 行く春 10句 ≫読む

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