【柳誌を読む】
チンドン屋のゆくえ
飯島章友『恐句』の一句
西原天気
東口と聞いて、どの駅を思い浮かべるかは、人それぞれの経験によるのだろう。私の場合、新宿。昔も今も新宿での行動は、東口が起点となる。習い性のようなもので、京王線を多く利用する今も変わらない(京王新宿駅を降りて連絡口を抜けJR新宿駅東口を出る)。
さて。
チンドン屋東口から洞窟へ 飯島章友
チンドン屋の/同時に句の、行き先として、洞窟は、東口の都会性との落差もあって、鮮やかな意表。
漂泊者の妖しさと洞窟の冥さは、イメージ的によく連関する一方、「洞窟だと人はいないだろうに。宣伝機能は果たせないだろうに」といった弛緩も働く。結果、多声的(ポリフォニック)な一句として響く。
掲句が収められた飯島章友『恐句』(2016年5月22日)は、B5判1枚を2つ折りにした中面に16句が並ぶ個人誌。解題的に「既発表作品の中から恐ろしげな川柳を選び出し(…)」とある。チンドン屋の句は、例えば同収録の《コンビニの冷蔵棚の奥の巨眼》といった直球的に恐ろしげな句とはすこし趣が違う。
ところで、俳句分野でチンドン屋といえば、八田木枯。第一句集『汗馬楽鈔』(1988年)に《鳥交る世にチンドン屋ある限り》の一句、最後の句集『鏡騒』(2010年)に《チンドン屋末法の世の鉦を打ち》など4句が残っている(生涯のテーマのひとつだったのかもね)。
八田木枯が、飯島のこのチンドン句を見たら、どう言うだろう?
ご自身のアプローチとはずいぶんちがうが、きっとおもしろがったと思うな。
2018-06-17
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