出会いで終わるとは思えない
2018年7月21日(土)関西現代俳句協会青年部勉強会『句集はどこへ行くのか』レポート
樫本由貴 序:久留島元
2018年7月21日(土)、関西現代俳句協会青年部勉強会『句集はどこへ行くのか』が
大阪、梅田パシフィックビル会議室で開催された。
話題提供は、田島健一、鴇田智哉、福田若之、宮﨑莉々香、宮本佳世乃、現代俳句協会から野口裕、歌人から牛隆佑、柳人から八上桐子。司会は関西現代俳句協会青年部部長の久留島元。
当日は、現代の出版状況の変化をふまえ、短詩型をめぐる書籍の出版、流通についてさ
まざまな視点から議論がなされた。このレポートは参加者のひとり、現代俳句協会の樫
本由貴による報告である。
樫本には当日レポートを依頼したため、録音などの正確な記録ではなく、記憶とメモに
もとづき執筆いただいたが、発言者の確認、校正をへて掲載するものである。
談論風発、多岐にわたる問題が提起された刺激的な議論の様子が伝われば幸いである。
以上、久留島記。
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敬称略。発言は適宜要約し、必要と思われた箇所には( )で注を付けた。
○句集を編集すること
まず、「オルガン」11号(2017年11月)について。
ここでは、座談会「宮﨑莉々香からの質問状~句集って~」というテーマ設定で、以下の三つの質問状が出されている(以下、質問文は当該箇所の引用)。
①(句集を編む行為について)横書きの俳句を意図的に句集に入れることについてどう思いますか。また、まとめるという行為には必然的に「らしさ」が付きまとってくると思うのですが、「俳句」らしさに抗いたいと思いましたか? どんな風にどのくらい抗いながら、どのくらい「俳句」らしさに乗っかろうと思いましたか。座談会では、これらを柱として様々な問題提起が行われた。いわゆる俳句らしさとは縦書き/横書きによって担保されている側面があるのではないかという疑問と考察、句集を出すことや句を書くことそのものが、自身を俳句表現史上に置く行為であること、そして、読者が俳句を読むときに、句集の果たす役割についてなどである。
②(句集として)句集を作った際に、その本がどのようなものとしてありたいと思いましたか。また、あえて自分で規定することを行いましたか。
③(句集を出すこと自体について)短歌の世界には書肆侃々房の「新鋭短歌シリーズ」があり、若手が本を出すことを支援する一つのプロジェクトとして成功しているのではないかと思います。俳句にはこのような仕組みはない上に、名刺としての第一句集を要求されます。これについてどう思いますか。
座談会時に提起された宮﨑の質問の①と②について、その意図が本人から次のように説明された。
①には、句集を編集する際には、それを一冊の本として差し出すことが意識され、句を並べることやどう見せるかといったことが俳句を書くうえで、あるいは俳句史としての立ち位置を表すことが付け加えられた。また、②には、宮﨑は句集とは自分の立ち位置を示すものだという認識を示したうえで、それがどんなものであれば読者に届くかということが聞きたい、と付け加えられた。
本にする際の編集について野口、牛、八上から次のように応答があった。
野口:見た目の話であれば、縦書き/横書きではなく、縦組み/横組みという言葉の方が正しいと思う。野間幸恵に『WATER WAX』(あざみエージェント 2016年)という横組みの句集があるが、手に取ったとき、それにはそんなに驚かなかった。もう横組みの本は受容される文化ではないか。ただし、俳句を横組みにする場合、左揃えは不格好になる。『WATER WAX』は中央揃え。縦組みは悪い意味での俳句らしさの残り、気取りであるような気がする。「本」としてどう作るかを中心とした応答に対し、田島・福田からは本を作る行為に関わる人々や読者を想像することも必要だという発言があった。
牛:(樫本注:「オルガン」11号の座談会では、宮﨑の質問の③で、俳句には短歌の「新鋭短歌シリーズ」(書肆侃々房)のように、若手が安く句集を出せる仕組みがないにもかかわらず、名刺としての第一句集を要求されるということへの不満が付け加えられていた。以下はこういった流れを受けての回答。)書肆侃々房の「新鋭短歌シリーズ」は玉石混淆。最初はあそこからは出したくないという人もいた。シリーズものだから全国の書店に全部が並ぶ。そして中でもいい人の歌集が売れて、賞も取った。そうなるとシリーズ全体への見る目が変わった。
八上:川柳はもともと句集を残さない、書き捨ての文芸だった。近ごろは、短歌同様シリーズで出版されることが増えた。自分自身の場合(樫本注:『hibi』(港の人 2018年))は、出版社への強いこだわりがあって、どうしても本の最後に「港の人」と入れたかった。どう句集を差し出すかというと、読まれるように届けたい、読み手に届いてほしい。私淑した方の遺句集を作ったときも同じ気持ちだった。自分の句集はあまり謹呈せず、買ってもらったが、それは売りたい(樫本注:利益を得たいという意)ということと同義ではない。葉ね文庫に自分の句集をおいてもらったら、歌人が買ってくれて嬉しかった。
田島:句集はもう出しちゃったもの。それをブックデザインとして語るのは俺たちの仕事じゃない。短歌は『サラダ記念日』(俵万智 河出書房新社 1987年)が1987年に大ヒットした。俳句も同じポジションの人を探したが、その頃の若手女流の中心は片山由美子さんらで、黛まどかも角川俳句賞の奨励賞を取ったりしたが、結局“俵万智”は出ずに、結社の時代に入った。句集は売れたことがないゆえに、“俳句らしさとは何か”という議論が出ないままになってしまった。昭和の時代には句集に関する話は出てこない。消費の時代に入ったから、句集というモノが語られるようになった。句集がどういう風に読まれていくのかが分からない。こういうことの方が気になる。
福田:俳句の場合、自費出版が多いこともあってか、句集のかたちを決めるにあたって作者の裁量に委ねられるところが大きいということが言えると思うが、それでも、一般的に言って、本は一人で作るものではないという点に留意する必要がある。編集、版元、流通、装丁、そして、喩えでなしに読者が作る部分だってある……どこまでを僕らが語るべきなのか?
○「俳句らしさ」について
田島から「俳句らしさ」という言葉が出たことに宮﨑、鴇田が反応した。
宮﨑:「俳句らしさ」というと、私の俳句は「川柳や短歌のようだ」といわれる。でも私は私が俳句と思えばそうだと思っている。見た目で作品を規定したくはない。俳句をどう思っていて、どう書きたいか、それを支えるための編集ではないか。何かが主張として現れているというのは俳句じゃない。俳句と対峙した時に見えるものが自分らしさになってほしい。宮﨑の経験について、野口から「マウンティングみたいなものだ」という発言があった。田島はそこから話題を出版に至るまでの文化に広げた。
鴇田:俳句らしさは人それぞれ。僕の場合は、五七五が俳句だと思っている。いや、俳句とわざわざ言わなくてもいい。五七五をやっていると思っている。複数の句をどう見せそれがどう読まれるかは、一句一句を詠み、それがどう読まれるかということとは、違う部分がある。句集は作り方、つまり編集が大事。その人の句らしさ、はその編集の仕方からも伝わるだろう。もちろん、句集の中の一句一句が詠まれるここと、それはいつも連動しているけれど。
田島:マウンティングはそもそもある。関係性の話になってくることだから。句集も、「先生に評価されたものを提示する」文化。書きおろしが文化としてないのも、先生優先の文化があるから。他に「俳句では、加藤郁乎に、その名も当て字で『佳氣颪』(コーベブックス 1977年)というタイトルの、書き下ろしの句集がある。逆に言えば、それがひとつの特色になるぐらい、書き下ろしの句集というのは珍しいように思う。書き下ろしは川柳や短歌にはあるか」と福田から質問があった。八上・牛ともに基本的には「ない」という返答だったが、短歌では『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也・岡野大嗣 ナナロク社 2017年)が挙げられた。川柳ではとあるテーマでまとめられたものはあるが、それは書きおろしではないということだった。
宮本:マウンティングの関係では、そもそも「句集を出すのに順番がある」という雰囲気がある。句集を出せばたとえば俳句協会の新人賞の対象になりもするから。しかし、こういう結社内・結社間の話だけで納められないものが多くあるのでは。
福田:「俳句らしさ」とは何かという問いかけは本質的じゃないと思う。このぼんやりしたもの、みおぼえのあるものに、「抗う」ということに、宮﨑の問いかけの核心があるように思う。たとえば、「タンクローリー」を題に一句を書くとする。厳格な有季定型の立場をとるなら、この七音に加えて、取り合わせる季題にも音数を取られるわけで、付け加えられる言葉はほとんどなくなる。必然的に、取り合わせの妙で勝負をせざるをえない。無季の立場をとるなら、一物仕立ての句も可能になるだろうし、季題に費やされたはずの音数が余る。その音数は、何かほかに費やすか、そうでないなら、音数そのものを減らさざるをえない。このように、形式というのは、ある点を変えれば、他の点も自ずから違ってくるもので、諸要素が相互に複雑に絡み合っている。ある点を新しくしようとすれば、他の点も自ずから変化する。だから、俳句らしさに抗うというのは、本当は、明確な一点のもとでの抗いではありえない。たとえば、句集の組み方を縦組みから横組みにした場合、文字のかたちがそうなっている(樫本注:ひらがなは横書きにしたとき、連綿が起こりにくい)がゆえに、「の」で切れる型の俳句をすこし作りやすくなるということがあるかもしれない。つまり、字の組み方を変えるという選択が、おのずから、書かれる句の切れ字にまで思わぬ変化をきたすということ。こうした変化は、作者の意図しないところで無数に起こる。
また、俳句、短歌、川柳すべてに言えることであるが、賞や結社への投稿を考えると、一冊全て書き下ろす行為は、もったいないという考えもあるのではないかということが確認された。
ここまでで二時間。あとの一時間はフロアからの質問の時間となった。
①「オルガン」11号の座談会で宮本さんが「私の『自生地』になっていく」と発言されたようなことについて、句集を読むことそのものの快楽を聞きたい。また、句集を出したことで出会えた読み手、嬉しかった経験などはあるか。
宮本:「私の~」の発言は愛着という意味。本になり、紙になることで、開き癖がついたり、時間的にも物質的にも所有することができる。自分から本に近づくことができる。句集を出して良かったことは、自分の知らない読者に届くこと。一冊となることで作者としての顔を示しやすくなること。ここで田島から、「さっき、俳句は消費の文化に入ってしまったと言ったが、俳句の消費は“作る”ことだと思う。短歌はどうか」と牛に対して質問があった。
田島:「〈西日暮里から稲妻見えている健康〉という句があるが、それを「自分のことです!」といった人がいた。そんなことは全くないのだが(笑)、その人に句が実体化することがあるというのが面白かった。
福田:句集を出した側からは、読み手の顔はそれについて語ってくれる人以外基本的には見えないことを一つ言っておきたい。Twitterで、ディスレクシア(識字困難)の子供に家族の方が『自生地』を薦めたら、「どハマリ」したというツイートがあった。それを聞いた時、この句集をこのかたちで出すことができてよかったと思った。
鴇田:第二句集『凧と円柱』は、句の並べ方を工夫した。連作風に数句を並べ、それに一つ一つタイトルが付いているというのを基本形にして、そのうえで本全体を三つの大きな章に分けた。だから、冒頭の目次には、たくさんの短いタイトルが詩みたいに、だーっ、と並んでいる。そのあたりを、面白い、と言ってくれた人がいて、それはよかった。もちろん、一句一句を読んでもらえて、それぞれの句について感想をもらえるのは、嬉しいに決まっているが、本を作ったからこそ、そういう編集や、組みの部分に感想を言ってもらえると嬉しい。そういえば、第一句集は、本を持った手触りがいいと言われた。表紙の加工は、自分で選んでそうしていたので、それを言ってもらえたのはよかった。
野口:版元が送った、知らない人から反応がきて驚いた。
八上:いろんな人から感想を貰ったこと。句集を出すと今までを振り返って何をどう書いたかが分かる。尻尾を切り離したような気持ち。
牛:短歌に純粋読者かどうかみたいな区別は要らないと思う。
田島:俳句に穂村弘や枡野浩一がいないのはなぜか。自分としては、虚子がいて、虚子がいたから結局みんな彼に戻ってしまったことがあると思う。短歌は、歌壇が俵万智や穂村弘も「短歌ですよ」みたいな顔をする。それはなぜかというと、売れているからでは。
②そもそもなぜ句集を出したのか
八上:どうせ出しても反応はないと思っていた。葉ね文庫さんでの「葉ねのかべ」(樫本注:葉ね文庫の壁面を利用して行われる、詩歌×アートの作品発表プロジェクト)で、「句集ないの?」と言われて出そうと思った。句集を出さないと一人前じゃない、みたいな言葉からは、子供を産まないと、と同じような印象を受けていた。
牛:歌集を出していないのは、歌人でありながら短歌の部外者でもありたいから。結社無所属、歌集を出さない、新人賞に出さないことをスタンスにしている。
野口:句会などではできるだけテクニカルタームを出さずに話したいと思っている。しかし、「句集にあったら○○だね」と言ってしまうことがあって、それなら句集を出さないといけないだろうと。
鴇田:僕の場合は、第一句集でも、第二句集でも、今出そう、と思えるタイミングがあった。自分がこれまでにやってきたことを一回まとめておこう、ということを急に思い始めるタイミングというのがある。自分の句のやり方や形が定まってきて、ある程度やり尽くした。で、このままいくと形が固まりすぎて、自己模倣の停滞へ陥ってしまう。だから自分を一回、本で客観視して、次に行こう、そういうタイミングだと思う。
福田:個人句集を出そうという考えを持ったのは、『俳コレ』(邑書林 2012年)の時に自作がまとめて掲載されたのがきっかけ。いつ第一句集を出すかとは考えていて、でも、ずっと現実的な問題があると感じていた。縁があって、そこからはあっけないくらいとんとん拍子に行ってしまった。
宮﨑:出すときがあれば出す。試したいことはある。句集を出すことによって作家像を規定されたくはない。
田島:俳句史的な位置取りは知らないつもり。家族に勧められたから「みんながいいなら……」と結婚式と同じような感じで出した。
宮本:2012年に現代俳句協会青年部で「句集のゆくえ」という勉強会を開催した。そのときに、山田耕司さんが「たまっちゃったから出した」と仰っていたのが印象的だった。句集出版について改めて考える機会となり、若手の句集を出す企画が現俳協で立ち上がったときに、現俳協の多大な協力を得て出版することができた。
③なぜ句集という媒体なのか。纏めて読んでもらうなら、100句でも200句でも、電子書籍やメールマガジンでもいいように思う。「紙の意義」を知りたい。
田島:電子は読まれない。所有するという感覚が、さっきも愛着という話が出たが、大事なのでは。というか、別に句集もそんなに読まれてはない。大事なのは作者が何を書こうとしているのかというところと、何を書いたのかというところ。句集は書かれたもの以上にはならない。
福田:情報として句を伝えるのであればネットでいいが、それ以上のものを届けたいと思うときに、句集を本として出すことに意義が生まれるのではないか。
鴇田:持つことができて、ページを繰ることができるということ。身の周りにある皿とか、電気スタンドとかと対等に、一つの手に触れられる物としてある、っていうことが大事だと思う。単なるデータとしてでなく、読んでもらえる感じがする。
野口:ネットは情報量が膨大で編集がいまいち追いついていない。故人のFacebookがまだあったりするのには違和感がある。
牛:ネットは消せてしまう。なかったことにできる。ただ、最近の発達を見ていると、手書きでiPad上に書けたりもして、紙と電子区別なくできるようになるのではと思う。
④句集は売れない。書店で売ることについて作者はどう思うか。
⑤「新鋭短歌シリーズ」など、短歌は棚で映える。俳句はそこをどう思うか、売られるときのことを考えたりはするか。
田島:大事なのは何を書こうとしているのか。ここを書店にもアピールしてほしいが、本当か総合誌がやればいいこと。売れないからできないというのが……。ここで時間となった。
福田:発信についての質問だと思う。売る、という言葉だと議論が卑近になってしまうと思う。むしろ、市販という言葉の、とりわけ“市”の字の意味を考えることに意義があると感じる。“市”というのは、多様なひとびとが行き交う空間。句集を市販するというのは、その多様なひとびとに向かってそれを投げ出すということ。まちがって届くということに、句集を市販することの可能性はあると思う。書店は、そこを支えてくれている。
「オルガン」メンバー含めて総勢8名が、それぞれの言葉を拾いながらの対話だったので、話題は常に転換・拡張した。句集について、何か一つに対して集中的に議論があったというわけではないので、話題を取り上げる一助となればと思い、フロアからの質問について付け加えておく。実はフロアからの発言の一つ目、読むことの快楽、出会えて嬉しかった読み手についての質問は筆者によるものだ。
週刊俳句に掲載された、「遺句集じゃダメなんですか 現代俳句協会青年部勉強会「句集のゆくえ」雑感」(週刊俳句 第257号2012年3月)で、西原天気氏が、関悦史氏の「ひとりでも奨めてくれる人、自分の句集が読みたいという人がいれば、出すべき」という発言を受けて、「これはこれで説得力があった。ひとりの人の「読みたい」という欲望にできるかぎり応えるという態度は、「句集なんて出さないよ」と粋がるよりも、はるかに心優しく、きよらかで、少なくも自分中心ではない」と述べたことや、「個人句集の300句を読めば、それは300の句を経験するという以上に(あるいは同時に)、句と作者の直接的/間接的関係を300句ぶん経験することだ。一句一句の俳句を楽しむのとは、また別の、格別の句集の楽しみがある」と示唆したような、「誰かの〈読む〉欲望と関係を結」ぶことについての発言を期待してのものだった。「オルガン」のメンバーが、書き手としては非常に強い意識のもとで俳句や句集に関わっていることは勉強会の中でも、あるいはそれ以前の活動を見ていてもわかる。前半の対話の中で、すでに宮﨑からは見た目レベルの編集で、それがなにか俳句を規定する/されることになるのは避けたい、という旨の発言も出ていた。一方、田島からはブックデザインの話は「俺たちの仕事じゃない」とし、句集がどう読まれていくのかということを考えるほうに興味があるという趣旨の話もあった。
筆者は、となれば、パネラーのうちすでに句集を出した7人は、どのような「読まれる」経験をし、その中で特に何を喜びとしたのかということを聞きたかったのである。筆者としては、「オルガン」メンバーは、読者側に高次の読解能力であったり、書き手の編集の苦心をくみ取ったりできることを要求する思いがあったのではないかと考えていた。「出会えた読み手」というくくりが甘かったかとも思うが、結果的にこの質問には、鴇田だけが句集を作るときにある種の“スキル”が必要な目次づくりや紙の選定を“読まれた”ことを挙げた。
これは本当に意外だった。筆者は句集を出したことがないし、連作を誰かに読まれるという経験もわずかしかない。しかし、その僅かな経験のなかで、連作を表面的・内面的に(それを筆者自身が意図していたかは別として)読み明かされたときの喜びは鮮烈だったからだ。快感といってもいい。だから、句集を読み明かされることの経験があれば、それを一番に挙げるのでは、と思っていた。想定していた回答は出てこなかったわけだが、かえって、句集が結ぶ書き手と読み手の関係を思わされた。読み手は「〈読む〉欲望」を潜在的に持ち、あるいは句集を読むことでさらなる「〈読む〉欲望」を引き出される。そして書き手は欲望を原動力としたさらなる読みによって照らされることがあるはずだ。もちろん、意外な人まで届いた、想定しなかった人がかけがえのない経験をしてくれた、という出会いの体験は、読む/読まれるの経験と優劣がつくものではないが、筆者には、句集を出すことの喜びが出会いで終わるとは思えないのである。
「句集はどこへゆくのか」という問いの一つの答えは「読者のもとへゆく」だろう。田島からこの読者や句集を読むことについての示唆があったことが、この勉強会の大きな収穫だと感じている。
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