2018-08-26

【週俳7月の俳句を読む】熱く、新しい風  名取里美

【週俳7月の俳句を読む】
熱く、新しい風

名取里美



2018年の7月は、熱波と台風にかき混ぜられた。週刊俳句の7月も熱く、新しい風が吹き抜けた。


湯浴みの時間蜘蛛たれさがる時間
  加藤知子

蜘蛛の行動パターンにも時間軸があるのだろうか。人間(作者)が湯浴みする時と蜘蛛のたれさがる時を同時ととらえた発見が光る。ふいに天井から下がってきた蜘蛛に、作者はドキッとされたであろうけれど。湯浴みの空間も艶やか。

扇風機菜食主義者ののどぼとけ   加藤知子

この菜食主義者の方は、やせているだろう。扇風機の風に吹かれる尖ったのどぼとけを思った。扇風機を愛用し、クーラーを避けるような生活かもしれない、とまで想像がふくらむ作品である。


夢いまだ指にのこれる団扇かな   紆夜曲雪

夢が指にのこっているとは繊細である。夢の中で何かに触れた。きっといい夢だったのだ。その思い出の指でつまみあげた団扇もさらに奥ゆかしい。団扇を扇ぎながら、作者は夢を辿るのだろう。

すれちがふたびにほたるとなりにける  紆夜曲雪

螢が在るのではなく、何かが螢になる感覚。和泉式部の「物おもへば沢の螢も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる」もあるが、すれ違う臨場感が美しい作品である。


コイントスの表裏炎天漂へり    吉田竜宇

コインを投げて表裏で二者択一するコイントス。高く投げ上げたコインだろう。炎天の虚空をコインの表裏がきらきらと漂う。コインは炎天の光を返して鋭い光を放つ。

天の如く湯豆腐冷めて海のごとし  吉田竜宇

あつあつの湯豆腐の天は、つめたい冬空。火の消えた湯豆腐は、寒気にどんどん冷える。
天の如く冷えて、海のようであったという、ふたつの比喩が新しい湯豆腐である。


蚋を打ちさらに何かに怒りつつ   西村麒麟

鬱陶しい蚋を打ったあとも、いらいらしているその人。蚋以外にも原因がありそうだ。怒りという人間味を彷彿させる作品である。

よたよたとみんな大人や夏の家   西村麒麟

この夏の家は、久々に帰省した実家を思った。年月に子供は大人になり、大人は老人になり、家の中を忙しなく、よたよたと歩き回っている。みんな大きくなったな、年老いたなとしみじみされた夏の家だったのだろう。


八月の終電はみな広島へ      紀本直美

広島駅はターミナル駅としても地域の中心地であるから、終電が集まるのだろう。八月の終電となると、広島忌に重なる。原爆が投下された三日後から路面電車が運行されたそうだ。電車でも悼む思いがつのる。

親友が独身になる風薫る      紀本直美

親友の葛藤を知る作者かもしれない。決断した親友の清々しさの薫風にも思える。親友にエールを送る作者である。


夏至きのふ洗ひざらしの藍を着て  金山桜子

洗いざらしの藍木綿のぱりっとした張りに腕をとおす爽快感。昨日の夏至の太陽をたっぷり浴びた藍木綿なのだ。なおさら、気持ちよさそう。

マンモスの肋くぐりて涼しさよ   金山桜子

マンモスの骨格標本の下をくぐったのであろう。マンモスの大きさ、肋の荒々しさ、絶滅した紀元前、はるかな思いにとらわれる壮大な涼しさである。


はつなつの樹上生活ほーいほーい  秋月祐一

樹上生活にふたつ思った。
ひとつは井上ひさしの幻の遺作の『木の上の軍隊』である。終戦を知らず、二年間、沖縄の伊江島のガジュマルの木の上で生活した二人の日本兵の物語。上演されたので、劇中の「ほーいほーい」なのかしら。
またひとつは、ツリーハウス。実物を見たことがある。子供の秘密基地ならず、とんがり屋根の立派な小屋が大木の中ほどに建てられていた。はつなつの若葉がそよぐツリーハウスでは、大人も子供もハイになりそう。ほーいほーいとはしゃぎそうだ。

職やめる決意ぐらりと夜の蟻    秋月祐一

夜の室内に残って彷徨っている一匹の蟻を思った。巣に帰りそびれたのか、仕事でえさを探しているのか。転職の決断がせまるとき、逡巡する夜の蟻の様子が切なく見えたのであろう。


明日は明日の風が吹く。
秋月氏の作品に、付句のようにふいに出たこのフレーズ。
繰り返す残暑も台風も心よりお見舞い申し上げます。
お読みいただきありがとうございます。


加藤知子 花はどこへ 10句 読む
紆夜曲雪 Snail's House 10句 読む
吉田竜宇 炎上譚 読む
西村麒麟 秋田 10句 読む
紀本直美 夕立が降るから 10句 読む  
金山桜子 藍を着て 10句 読む
秋月祐一 はつなつの 10句 読む

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