2018-10-07

角川俳句賞とその時代〔前篇〕 西澤みず季

角川俳句賞とその時代〔前篇〕

西澤みず季

『街』第125号(2017年6月)より転載

昭和三〇年。この年石原慎太郎が「太陽の季節」で第一回(1955年度)文學界新人賞を受賞。翌年一月には第三十四回芥川賞を受賞。(1955年下半期)その後、この小説に描かれたブルジョア階級の既成の秩序にとらわれず奔放な考え方と行動をする若者達を太陽族と称し、石原裕次郎(石原慎太郎の弟)主演で映画化されたことも相まって、一大ブームとなる。ロカビリーが流行り、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と呼ばれ、この電化製品を手に入れることが一つのステイタスであった。

敗戦から十年、日本はアメリカに追いつけとばかりに高度成長期に突入して行く。

しかしそれは一部のブルジョア階級の人々の生活であり、一般市民はまだまだ生活に困窮している人も多かったと聞く。この年第一回角川俳句賞が発表される。

第一回角川俳句賞の撰者は、石田波郷、加藤楸邨、中村草田男、松本たかし、山口誓子。
受賞作「つばな野」。受賞者は鬼頭文子三十五歳(鶴、杉所属)。

画家である夫は画業の勉強のため単身パリに渡る。作者は日本でフランス人に日本語を教えながら渡仏の日を待っていて昭和三十二年渡仏。その後離婚しフランス人男性と再婚し彼の地で亡くなる。離婚の年は定かではないが、「パリ俳句会」の主宰を務める。高学歴、インテリジェンスに溢れた女性であり、いかにも戦後らしい女性俳人の登場である。またこの時代の女性俳人のスター性について、―俳壇ジャーナリズムに騒がれるにふさわしい条件を兼備していること。ジャーナリズムは平凡なものをとりあげない―とあるが、この経歴を見る限り、少なくともスター性は充分満たされていると思われる。

雨の手にバラの實受けぬ愛天降る

夕づつに紫蘇の香のぼり愛天降る

つばな野や兎のごとく君待つも

こはれ椅子月光にあり逢はむとす

祭笛君童らにおどけつつ

初々しい愛が溢れた句。特にタイトルになっているつばな野の句は季重なりにも関わらず、兎のごとくと使ったことにより、兎のように可愛い私、寂しい私を強調している。最初の二句、天降る(あもる)という言葉の響きが美しい。

ねむらむか遠夫(つま)よおのおのの寒夜抱き

プロヴァンスに夫ありたんぽぽの絮のとぶ

夫が寝嵩夫が形の足袋無き灯消す

鳥雲やおのおのの積むしらぬ時

フランスと日本に別れて暮らす夫を恋う句。

定型に収まらない句が多く、それがかえって夫への思いの強さを感じさせ、切なくなる。寝嵩という言い方が新鮮であった。

夫が邊や繪具奔放に夏めきぬ

燕とカンヷスと今新しき

春の雪レダ畫きし夜の夫優し

五月の汗夫默し畫く牧神を

夫かなし窓側の半身(み)は凍てつ畫く

画家である夫を描いた作品。夫を見る眼が一途である。

「若々しい艶のある抒情でうたひあげられてをり、ひねくれたところが全くない。何もかもが柔軟な抒情の中に溶け込んでしまってゐて、抵抗を感じさせない善良な目で貫かれてゐる。もう一つ、この生活の中で何か乗り越えなければならないような抵抗が生まれてくるとこの作者は変貌するであろう。」(加藤楸邨)

「異常なほどの夫君へ恋情が放胆な抒情詩に一篇を輝かせている。」(中村草田男)

「多少独善的でもあり、陶酔的でもある。現在の青春性を何時まで持ち続けることができるだらうか」(松本たかし)

「俳句はただ一人の記録であってはならない。(…)この受賞を機として、俳句そのものの厳しい形象ということに心を用いひるようになってほしい。」(石田波郷)

作者はこの時三十五歳。戦争真只中に青春時代を過ごし、敗戦の惨めさ飢え、焦土と化した東京、全て体験しているはずであるにもかかわらず、俳句の中には全くそれを感じさせない。俳句とは元来そういうものなのか。唯一、

黒人霊歌ひまはり枯れつ枯れつ立つ

終戦直後の日本人の生き抜く強さがひまわりに象徴されているようで、好きな句であった。

(つづく)

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