『俳壇』2007年5月号を読む
『俳壇』誌を読むのは、はじめて。ページをめくってみて「俳句が多い!」と思いました。「リレー競詠33句」「作品10句」「俳句と随想」「俳壇ワイド作品集」「一季語の冒険」「結社精選作家18人集」「現代俳句の窓」「結社リレー競詠・今月の実力俳人」「新句集の人々」と、これだけの俳句ページが並ぶ。「ああ、俳句がいっぱい載ってるなあ」という印象。
興味深いのは「俳壇ワイド作品集」。見開き2頁ずつ「今月の編集長」「今月の有力同人」「今月の結社賞作家」「今月の新人賞作家」「今月の新結社主宰」と並ぶ。これらの見出しから編集意図が汲み取れます。『俳壇』誌は、「俳壇」を、俳句作品を通して生真面目かつ忠実に(バランスよく、壇の中層あたりからもこまめに吸い上げて)一誌にまとめた雑誌、ということなのでしょう。他誌にも共通する「機能」かもしれませんが、他誌に増して「業界誌」的色合いが強い。
俳句以外のページは、エッセイとノウハウ解説が主成分。特集「新緑の京都・奈良を詠む」(p71-)は「特集」というより「文集」に近い。「芭蕉と奈良」「虚子と京都」…といった具合に領分を振り分けられた各執筆者の各記事は、話題やテーマをクロスさせることがない。その意味で「文集」。
連載・特集の別にかかわらず、読んでいて目にとまる箇所はほとんどありませんが、ひとつ、大野鵠士「発句と脇句」(「連句のすすめ」連載第5回・p50-)。芭蕉「さみだれをあつめて早し最上川」は、連句においては「さみだれをあつめてすゞし最上川」との発句であったことに触れ、これは推敲というより、場をわきまえたヴァージョンであると指摘する。「早し」の句は堂々としすぎていて、とりつくシマがない(脇句がつけにくい)、「すゞし」くらいのほうが当座の人々への挨拶になる、といった解説。なるほど、です。
また、保存版俳壇誌上句集・西東三鬼100句(巻末)、文学名作選・上林暁「諷詠詩人」(p192-)が、復刻といった意味合いで掲載されています。後者は新宿「ぼるが」を舞台に、俳人・高橋鏡太郎を描いた私小説(1963年発表)。この2つは毎号のシリーズのようです。他誌にはない成分でしょうか。
「西東三鬼100句」の解説(齋藤愼爾)を一部引いておきます。
一世紀以上の歴史を持つ俳句史のなかで、西東三鬼ほど狭い俳壇の枠を越えて、他の分野(文学・絵画・映画・演劇など)の知的・芸術的関心を一身に集めてきた俳人は稀であろう。(…)たとえば松本清張は言う。「現代俳句でもっとも天才的な地位の作家であった。その詩趣はボードレールの『悪の華』に近いが、それよりも東洋的な美しさがあり、豊かで鋭敏な感覚がある。奇怪な壁画を見るような不気味さと、吸い込まれそうな鮮紅の色彩を持っている」と。
1頁と短い解説ですが、松本清張のほか、塚本邦雄の三鬼讃も引かれ、興味深い内容です。
(さいばら天気)
2007-04-22
『俳壇』2007年5月号を読む
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2 comments:
俳句総合誌を読んで-「ああ、俳句がいっぱい載ってるなあ」という印象。-を持つさいばらさんはナイスです。
匿名さんと同じく、
>ああ、俳句がいっぱい載ってるなあ
というところに注目。身も蓋もない言い方というのは正にこのことですね(しかも的確)。
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