『俳句』2007年8月号を読む ……上田信治
●大特集「古典となった戦後俳句」p59-
70代から20代までの20人の俳人が「古典となった」戦後俳句30句を選び、500字ほどのコメントをつける、という特集記事。
ページの大半はそれぞれの選出句なのですが、そのほとんどが、超有名句であるうえに、重複しています。宗田安正さんが一句めとして選んだ〈炎天の遠き帆やわがこころの帆 誓子〉を、20人中8人が挙げている。作者として林田紀音夫をとりあげた9人中8人が〈鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ〉を、挙げている。
「古典」というのは、自分のセンスや勝手で選ぶものではないので、これは当然の結果ですが、残念ながら、大半の句が「また、あれか」なわけです。これでは、いかな論客20人といえ、力のふるいようがない。
せっかくの大特集なので「戦後」と「古典」についてのコメント集として、読んでみました。
「「戦後俳句」は六十年です。芭蕉と蕪村の七十年差、蕪村と一茶の五十年差と比べても短くはありません。」(岸本尚毅「総論 淘汰と増殖」)
「私の付けた条件は、戦前すでに評価の定まった作者は割愛する、存命者は外す、の二点だ。その結果、戦後に活躍の中心があり、作句人生を完結(その中には夭折という完結も含むが)した作者の作品ということになる。」(高橋睦郎)
「ものの本によれば、古典とは、すぐれた著述や作品で、過去の長い年月にわたって多くの人々の模範となり、また愛好されてきたもの、ということらしい」(中嶋鬼谷)
それは「ものの本」ではなく、辞書なのでは。
「「古典」とは、個々の読者の思いを超越し、普遍の世界に仲間入りした作品のこと」(加藤かな文)
「古典とはあまりに有名で、もう本当にいい句か、そうでもないのかわからないような句をいうような気がしてきた」(正木ゆう子)
「30句の冒頭は、誓子の〈こころの帆〉の句とすぐに決まった。終戦のその日から一週間後に詠んだというこの句には、今日や明日は見えないけれど、明後日はクリアに見えるという奇妙な視力が働いている。(…)戦後俳句史を、この誓子的視力が変容していく過程ととらえてみたらどうだろう。(…)平成の作品はどこか朦朧としており、(終戦時の ※筆者注)放心の復活とも思われる。だが足下の水面を凝視する湘子(〈あめんぼと雨とあめんぼと雨と〉※同)には、誓子的視力のかけらもない。」(加藤かな文)
「かつてのような青春詠を詠める若者は果たしているだろうか。既存の価値観や道徳への不信と諦念が深まっていく中、若手の作は伝統から遊離した独特の浮遊感を持つようになっている。」(高柳克弘)
「私が生きてきた現代は、空虚でどこかさみしい。」(神野紗希)
加藤、高柳、神野の三氏は、「古典」うんぬんは、脇へおいて、現在から見た「戦後俳句」についてコメントしています。その立論は、やや、強引だったり紋切型にかたむくとはいえ、役どころを外していないのは、さすが。
いちばん、印象的だったのは、冒頭の総論の中の、つぎの一文でした。
「極論すれば、戦後俳句史は有力俳人の加齢の過程だったのかもしれません。」(岸本尚毅)
なんと、身も蓋もないことを。「芭蕉と蕪村の七十年差、蕪村と一茶の五十年差」、戦後60年をはさんで、バトンは受け渡されるのか、どうか。
選句がおもしろかったのは、小澤實さん。
一句めに〈しぐるゝや駅に西口東口 安住敦〉を置き、昭和20年代〈抽斗の国旗しづかにはためける 神生彩史〉〈深雪晴非想非非想天までも 松本たかし〉、昭和30年代〈怒らぬから青野でしめる友の首 島津亮〉から、昭和50年代〈じゆぶじゆぶと水に突込む春霰 岸田稚魚〉、昭和60年代〈だから褞袍は嫌よ家ぢゆうをぶらぶら 波多野爽波〉などをへて、〈たたずめる我と別れて秋の風 田中裕明〉で〆るという構成。それがある意味、戦後の「精神史」と見えて、あざやかでした。
●合評鼎談「小さな大発見のある句」大輪靖宏・筑紫磐井・櫂未知子 p179-
大輪「(一茶は)当時はそれほど注目されてはいないんです。江戸の三大家とか天保期の三大家とか言われた人たちは他の人ですから」
筑紫「蕪村も今の突出した評価に比べれば当時はずっと低いですね。いろいろな人がいたから」
(略)
大輪「だから蕪村や一茶のような光の当たり方が今後、現代の作家にもあると楽しいですね」
おや、話がつながっていました。大輪さん、同時代の評価なんて当てにならないんだ、ということを、暗に言われているようで、過激です。
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2007-07-29
『俳句』2007年8月号を読む 上田信治
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1 comments:
製作されてから100年以内のものは、骨董ではなく「中古品」、というのが古物商の常識らしいです。俳句もそうじゃないでしょうか。発表されてから100年以内の句は、まだ古典じゃなくて「中古」ですよ。
だいたい、戦後発表の「俳句」の古典を30句選べと言われて、たった30句しか選べないところに、いわゆる無季とか自由律の句を加える選者の神経を疑ってしまいました。
でもよく考えてみると、ようするに、まっとうな「有季定型」で、古典にしてもいいような戦後の「俳句」が、現時点では30句も無いのだなってことに気が付きました。これは選者の責任ではないですね。無季、自由律の句も入れなければならなかったのは、苦肉の選句だったのですね。選者の神経を疑ってごめんなさい。
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