2007-10-21

成分表10 灰皿 上田信治

成分表10 灰皿 ……上田信治

                          初出:『里』2006年12月号



夜、うまく眠れないときなどの時間つぶしに、いろいろのことを思い出す。なにかを思い出すことは、頭の運動会として楽しい。

今日は、いなり寿司を思い出してみる。

いなり寿司は、はじめ、甘辛く煮た油揚として口中にあらわれる。

油揚のジューシーさや出汁の濃淡は、いなり寿司によってさまざまであるが、とりあえず、もっとも最近食べたそれを思い出しつつ、それを歯で噛む。圧力で油揚のふくむ汁がやや押し出され、次いで、すし飯が一口分のかたまりとして、口中に解放される。

さらに噛んで、すし飯の味が感受され、それが油揚の味と次第に混ざっていく過程を思い出す(時間の経過する様を想起することは、力業である)。すし飯の味加減もまたさまざまだが、とりあえず、母の作ったそれを思い出す。すし飯には具として、白胡麻すこしと細く切った人参が入っていることにする。

ここで、口中からいなり寿司を消し、梨の実の味を思い出してみることにする。品種は二十世紀にしよう。長十郎とも幸水とも違う二十世紀の味が思い出せたら、次に林檎の味を思い出す。そして、その違いを対照する。酸味と香り、果肉の密度。梨、林檎、梨、林檎と、リズミカルに口中の味を入れ替えてみる。


  梨むくや甘き雫の刃を垂るゝ   正岡子規


ことばはもともと、人の記憶から、感覚やイメージをとりだして現前させるように働く。そして、ある種の俳句は、ことばのその機能の粋だ。「甘き雫の刃を垂るゝ」と読むたびに、自分は、口中に梨の味があふれるのをとどめえない。これもひとつの頭の体操である。


  灰皿の汚れてゐたるもみぢかな  島田牙城


「汚れてゐたる」と書かれ、それ以上特定されなかったことで、この灰皿は遍在性を得た。

日本のすべての景勝地に汚れた灰皿があり、そして灰皿があるところには、紅葉がある。記憶にあるすべての紅葉が、汚れた灰皿を「起点として」想起される。最小限のことばのからくりで、眼前に紅葉があらわれる。俳句はその時、小さな幻灯機に似る。

豪奢な景色の中心には、ちゃっかり灰皿が収まっている。



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