藤 幹子 ドアノブ
連れて欲しさうな顔してポピーかな
乾板の酸くにほひけり薄暑光
掃除機は赤いリボンを噛み遠雷
虹立ちてカスタネットは右手にあり
天井のカビ擦るわれは手長猿
ひとつ伸びひとり居りたい蝸牛
緑雨かなトンネルは首もたげたる
火蜥蜴の腹踏むやうに夏の砂
お砂場に蟻の墓あり赤い汽車
孤独など愛しはせぬに短夜や
窓ごとに八月団地父子の声
日焼け跡おしつけてゐる硝子窓
呼ばれない二百十日の待合室
秋思ありふりかけにして飯にしよう
薄紅葉深山の目蓋ふるへけり
爽やかに犀は尿を後ろにす
秋気澄みメレンゲの角ほこらかに
詩歌では虫も殺さぬ男郎花
父はただ愛すべきもの熟柿落つ
雁渡し高天原へ子は跳ねる
人恋ひの果てなむ国の穴惑ひ
すがれ虫すてた上着の夢を見し
釜底の固き飯粒そぞろ寒
豚抱いて夫は寝ねけり惜しむ秋
カピバラは目を閉じてゐる神の留守
案外に薄汚れてら山茶花ら
三島忌や切手を貼つてさやうなら
すき焼きに滅法よわき若さかな
人参のスヰートなる日口つぐむ
象といふ象こぼれてはクリスマス
おほかたは面罵の記憶年忘れ
念入りにオムレツ閉ぢて年詰まる
大年が目測を誤りて落つ
人日の温水プール煮凝れる
国境を愛撫してはや松過ぎぬ
ため息を吸ふ役目なり竈猫
純愛がひつそり蜜柑箱の中
小春日を裏ごしにしてふくらはぎ
春立つやコップの中にある潮
森動くやう大試験開始せり
はうれん草ほどの違和感夜歩く
フリージア家族会議にある無言
蠅生まる浮気未遂と言ひきかせ
川の街泣くかはり吹くしやぼん玉
三分の一揺らぎをる春の河馬
鳥帰る荷物の多き地平線
レントゲンだけ撮りに行く白木蓮
いらへ待ち苦き茶となる春の夜半
犯人は中指といふ桜餅
花曇味などしないドアのノブ
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2007-10-28
藤幹子 ドアノブ
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9 comments:
独特の俗と俳。この個性は得がたいと思う。
この作者が、対象を真正面に捉える句も見てみたい。
仮名遣いにもう少々の気遣いを。
以下好きな句。
父はただ愛すべきもの熟柿落つ
ため息を吸ふ役目なり竈猫
フリージア家族会議にある無言
別に、詩なんだから、意味がつうじなくても構わないわけですが、そういう作品に対して、読者は、この作者のこと信用しても大丈夫かしら、というところから、アプローチします。
分ることに重きをおかない=読む側の「仕事」が多い作風である以上、それはしょうがないわけで。
連れて欲しさうな顔してポピーかな
ひとつ伸びひとり居りたい蝸牛
ううん。はじめの何句かで、困ってしまう。
これは、こう書きたかったというより、日本語として舌足らずな状態なのでは。
あと、年が押し詰まる、とは言いますが〈年詰まる〉という言葉は、たぶんない。
俳句っ「ぽい」言い回しなんかしないで、書かれたほうが安全かも、です。
自分は、言い方に自信がないときは、ググったり、「大型俳句検索エンジン」で検索して、アリかナシか確かめたりしますよ。便利便利です。
カピバラは目を閉じてゐる神の留守
大年が目測を誤りて落つ
好きかも。
〈年詰まる〉は俳句ではよく使われますよ。日本語では、知らないけど。(そういう俳句言葉、たくさんありますよね)
藤幹子さんは、1年かそこらか前から、すごく注目させてもらっている人。ゆっくり読んでから、また書きます。
>〈年詰まる〉は俳句ではよく使われますよ。
おっとしまった、知ったかぶって、しまいました。
これは、汗顔の至り。
これから書くことに、私の勝手な思い込みという部分が多々含まれる危険性があること、また、ここで語るべきは、掲げられた50句(限定)についてであって、作者に関する予断や先入見を含むべきではないという原則論をあえて破ることを、まず宣言しておいてから。
藤幹子さんの作る俳句をこれまでそれほど多く見てきたわけではありませんが、そうとうの期待を抱いていたのは、そのピカレスク性のようなものの存在を言い出していたからです。悪漢俳句。ときとして、ぬけぬけととセクシャルな題材を扱い、抒情とは(素敵に)遠く、乾いた書きぶりを見せていました(私の藤幹子観)。
このあたりは、朝比古さんの指摘する「独特の俗と俳」とつながると思う。
表現するのがむずかしいのですが(みずからの非力を嘆く)、悪徳を「俳」に忍び込ませ、しらじらしく取り繕った日常を笑い飛ばす。そんなファンキーwな句を、これから先、たくさんつくりはじめるのではないかと、陰ながら注目させていただいていました。
そのアタマで今回の50句を読ませていただくと、
三島忌や切手を貼つてさやうなら
この句がおもしろいけれど、全体は、ファンとしてちょっと期待はずれ(ぞんざいで無遠慮な言い方をご容赦ください)。
天井のカビ擦るわれは手長猿
この句は、私の期待からすると、「われ」ではダメ。俳句的自嘲(すごく安全圏)ではなく、せめて「きみ」。
父はただ愛すべきもの熟柿落つ
「愛すべきもの」はやはり安全圏で、すごく不満。「唾棄すべきもの」とか。
以上、ほんとうに、私の勝手な希望を述べているだけで、失礼な感想を言っているかもしれませんし、最初に言ったように、ピカレスク性自体、思い込みにすぎないかもしれませんが、秘密裏に注目していたマニアックwなファンということで、ご容赦。
ただ、私の期待している路線が、本人の意に添うものかどうかは、わかりません。その点まったく無視して書かせていただきました。
50句全部読み、いいなあと思う句を選び、なおかつコメントをどうしても書きたくなる作者でした。
掃除機は赤いリボンを噛み遠雷
緑雨かなトンネルは首もたげたる
火蜥蜴の腹踏むやうに夏の砂
日焼跡おしつけてゐる硝子窓
フリージア家族会議にある無言
川の街泣くかはりに吹くしゃぼん玉
レントゲンだけ撮りに行く白木蓮
好きです。ファンになりそう。
「俳句」誌上で最終審査に残った方の作品を読みましたが、惹かれる方はあまりなかったので、落選展の企画と落選展に句を公表された方に感謝、感謝です。楽しみました。
あ、津川恵理子さんの句は好きですけど。
今回、初めて、鑑賞に参加させていただきます。
好きな句
火蜥蜴の腹踏むやうに夏の砂
足裏の触感がありありと伝わってきました。
人日の温水プール煮凝れる
生暖かい水のてらてらとした揺らめきが見えます。
森動くやう大試験開始せり
試験開始と同時に起こるあのペーパーのざわめきが聞こえます。
全体として、日常の意識下への潜水、そんな感じを受けました。時々、息継ぎしに上がって来るみたいに、普通の句が混じってるのも面白く読みました。
お砂場に蟻の墓あり赤い汽車
爽やかに犀は尿を後ろにす
三島忌や切手を貼つてさやうなら
小春日を裏ごしにしてふくらはぎ
はうれん草ほどの違和感夜歩く
あたりが好きでした。
発想や取り合わせを飛ばして作る方法をとっていらっしゃるようですね。その作り方自体にも好き嫌いがあるでしょうし、そのようにして作られた句の中でも好き嫌いがはっきり分かれる気がしました。
僕の好みは、機知が働いているようなものではなく、視界の果てのぎりぎりで像を結ぶようなものです。しかも、既存の叙情に回収されていないのがいいなあ、と思いました。
藤 幹子様
鮟鱇といいます。玉作拝読しました。
犯人は中指といふ桜餅
呼ばれない二百十日の待合室
秋思ありふりかけにして飯にしよう
爽やかに犀は尿を後ろにす
詩歌では虫も殺さぬ男郎花
三島忌や切手を貼つてさやうなら
などが面白いと思いました。三島忌は、故人を過去の人としてこだわらないところに、女性の強さを感じられて快いです。
さて、率直に申し上げて、藤さんはご自身の感覚を信じて句をお作りになっていると思えました。自身の感覚を信じることは、詩を作る以上はだれも避けて通れないとは思いますが、私にはできれば避けたいことです。私は漢詩を作っています。漢詩の長所として、理屈が通らなければ詩にならない、ということがあります。
そこに漢詩の限界もあるのですが、藤さんの作品は、そういう漢詩の作法の対極にあるように思えます。つまり詩における理屈の働きは、これをいっさい認めない。そこで、
乾板の酸くにほひけり薄暑光
掃除機は赤いリボンを噛み遠雷
天井のカビ擦るわれは手長猿
これらの句は、景は頭に浮かびます。しかし、その景を描く理屈を欠いていますので、景は景に留まってしまうように思えます。私にはですが、景中情あり、という形で、作者の情を思い浮かべることができないのです。情とは、必ずしも豊かな感情ではありません。作者の心の様子。
ひとつ伸びひとり居りたい蝸牛
何がひとつ伸びるのか。角でしょうか。角がひとつということと、ひとり居りたいということは、それだけでは、漢詩的にはですが、照応しません。
緑雨かなトンネルは首もたげたる
「トンネルは首もたげたる」ということの理屈・意味がわかりません。「首もたげたる」がいらないのでは。
緑雨かなトンネルは
非定型でよいのではないでしょうか。
火蜥蜴の腹踏むやうに夏の砂 は、
火蜥蜴の腹踏むやうな夏の砂 であるか、
火蜥蜴の腹踏むやうに夏の砂踏む ではないでしょうか。
人恋ひの果てなむ国の穴惑ひ
この句題は、セックスですか?
フリージア家族会議にある無言
口語なら、フリージアが家族会議にある 無言 とすべき
文語なら、フリージア家族会議にあり 無言 とすべきではないでしょうか。
以上、あまりよい読者でなくて、申しわけありません。
曄歌・讀藤幹子女士之玉句有感作一首
見霊犀,角對東風,撒尿西。
霊犀見ゆ,角は東風に對し,西に撒尿す
原玉:爽やかに犀は尿を後ろにす
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