すずきみのる 日々録
大寒の南拓けて京の町
蓑虫を数年見ざる青き空
厳寒の甍の一部となりて鳩
風鐸を首と吊して凍て厳し
水中に枯れ切る蓮の千の茎
冬麗や駅屋上のヘリポート
春浅き朱塗りの門に花天井
梅林に青きホースの長々と
千体に余る一体あたたかし
朧夜の誰かに尾行されさうな
菜の花を壺に咲かせて京都駅
春霞西と東に本願寺
末黒の薄昔お歯黒婆の家
李氏の墓朴家の墓や竹の秋
路地奥に鐘楼見えて沈丁花
光源はいづこ古雛の面
東西に本願寺置き春霞
涅槃図に人の顔して泣ける象
涅槃図に左右より雲棚引きて
涅槃図に顔赤きもの青きもの
悲しむは言祝ぐに似て涅槃の図
花御堂昏の空より雨少し
花祭昔牛馬の通ひ道
遠景にエナメル引の春の川
雷神の三指が掴む春の闇
細殿に春の落ち葉の留まりて
一木の落花の芯に黒き鳥
口中に炫夏の朱あり阿修羅像
葉桜の影が背中を流れゆく
風薫る蹄の跡が草の上
青き実を付け馬出しの桜かな
小さき蜘蛛腕に這はせて神の宮
緑さす素駈の馬が眼前を
白馬が素駈の二陣つとめけり
馬の血を五月の水で流しけり
新緑の舟形左大文字
くらがりに三人の婆玉露摘む
新緑の渓を繋ぎて嵯峨野線
青葉闇より発光の捨て便器
実りつつ金鈍ゆけり麦畑
秋の初風屠死を待つ合鴨に
三俣の幹のひとつに法師蝉
軒燈を透かしてゐたる秋簾
秋の雲昔旅宿のパスタ店
月天心京都タワーはビルに乗り
使はざる普通教室秋日満つ
焔の色が照らして通る火の祭
秋の闇捲り捲りて焔立つ
菱取りの水に手首を失いぬ
菱取りの小暗き道を下りて来し
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2007-10-28
すずきみのる 日々録
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9 comments:
一読漢字が多い作品群。手堅くとても俳句的な措辞の中に、ヘリポートやらパスタ店やら京都タワーやら、現代を感じさせるキーワードを散らばらせるところなぞ、手練を感じる。
以下好き句。
梅林に青きホースの長々と
朧夜の誰かに尾行されさうな
春霞西と東に本願寺
路地奥に鐘楼見えて沈丁花
涅槃図に人の顔して泣ける象
馬の血を五月の水で流しけり
蓑虫を数年見ざる青き空
厳寒の甍の一部となりて鳩
風鐸を首と吊して凍て厳し
水中に枯れ切る蓮の千の茎
千体に余る一体あたたかし
朧夜の誰かに尾行されさうな
涅槃図に人の顔して泣ける象
葉桜の影が背中を流れゆく
馬の血を五月の水で流しけり
男は男として生まれた以上、必ず一度はダンディズムに憧れます。ダンディーであることは男として
一つの勲章です。
ダンディズムの極地として三島の割腹自殺や
田村隆一の宝島社のポスターがあるように思います。
この方の作品からまさにダンディズムを感じます。ダンディズムは年輪を重ねなければ恒常的に身に付くものではありません。
もちろんそれは年齢と同じであったり、比例するものではありません。
どれだけ濃く生きたか、男として生きてきたかが大切ではないでしょうか。
この作者の方はよほど濃密な人生を送られてきたのではないでしょうか。
そのように思いました。
好きな句
大寒の南拓けて京の町
大寒の南とは、湾から望む都のイメージでしょうか。颯爽とした古を感じます。
春霞西と東に本願寺
骨太な構成。男性的。
葉桜の影が背中を流れゆく
葉桜の影の流れイコール帆船が洋上を滑る感覚に近い。
全体的にノスタルジィーとしてではなく、今まさに息づいている古。ヘリポートもパスタ店も京都タワーでさえ、その息吹の中に沈んでいるみたい。本願寺が向きを変えただけでもう一句あるのは何かの符牒なのでしょうか・・?涅槃図三句は呪文のようでした。
春霞西と東に本願寺
東西に本願寺置き春霞
連作中に、この二句があることは、どう考えても失敗でしょう。かなづかいの間違いもあって、かなり短期間でまとめられた作品ではないかと、想像。
大寒の南拓けて京の町
花祭昔牛馬の通ひ道
口中に炫夏の朱あり阿修羅像
細殿に春の落ち葉の留まりて
緑さす素駈の馬が眼前を
京都らしいキーワードを含む句からは、いがいと平板な印象でした。
冬麗や駅屋上のヘリポート
梅林に青きホースの長々と
月天心京都タワーはビルに乗り
個人的に好きだったのは、身も蓋もない観光地としての、京都の句です。
秋の雲昔旅宿のパスタ店
は、「るるぶ」というかんじですが。
訂正
×京都らしいキーワードを含む句からは、いがいと平板な印象でした。
○京都らしいキーワードを含む句からは、いがいと平板な印象を受けました。
失礼しました。
朝比古さま、さわDさま、桜さま、植田さま、懇切丁寧なコメントをありがとうございます。コメントを読ませていただきながら、自分のなかにある長短含め、気づかなかった要素に目を開く思いがしました。次年度の「角川俳句賞」チャレンジの力とさせていただきます。なお、一点お詫びをしなければなりません。実は、本願寺の句なのですが、「角川俳句賞」投稿作品を「週刊俳句」にお送りする際の復元作業の時、迂闊にもこちらも気がつかないままに、推敲前後の作品を入れてしまったようです。「春霞」のほうが推敲後の作品です。全く不注意なことでした。なお、推敲前作品に代わる句は、現在の小生の事情でお知らせできない点もあわせてお詫びします。
すずきみのるさま
>復元作業の時、推敲前後の作品を入れてしまった
ご事情、理解いたしました。
妄言多謝。
ご参加に、あらためて御礼を申し上げます。
梅林に青きホースの長々と
涅槃図に人の顔して泣ける象
涅槃図に顔赤きもの青きもの
青葉闇より発光の捨て便器
秋の雲昔旅宿のパスタ店
月天心京都タワーはビルに乗り
あたりが好きでした。やや、言葉の雰囲気に流れる句が多いような気がしましたが(「雷神の」など)、それと正反対の方向に振れることがあって、そういう句が楽しかったです。しんじさんのおっしゃっていることと同じような感じですが。
すずきみのる様
鮟鱇です。玉作拝読しました。下記、私は面白いと思いました。
蓑虫を数年見ざる青き空
「不在」を詠むことによって、景が情になっています。
風鐸を首と吊して凍て厳し
風鐸を「生首」に見立てることで、景が厳しいものになっています。
涅槃図に人の顔して泣ける象
人が象の顔をして泣いているのでしょうか。いずれにしても、人が人の顔をして
泣くよりも、悲しみが深い。
雷神の三指が掴む春の闇
雷神が内蔵する「光」と「闇」の対比、「掴む」がいい。
馬の血を五月の水で流しけり
「血」と「水」の対比が鮮やかです。血の赤と五月の水が映す空の青または木々の緑。
くらがりに三人の婆玉露摘む
「くらがり」と「玉露」の対比がいいと思います。
青葉闇より発光の捨て便器
この句、とても好きです。寓意があります。
秋の雲昔旅宿のパスタ店
千体に余る一体あたたかし
朧夜の誰かに尾行されさうな
この二句、それぞれに読むのではなく、二句一対で読んだ方が感興があります。
秋の初風屠死を待つ合鴨に
よい句ですが、一茶句(春雨や喰われ残りの鴨が鳴)には劣りますね。拙作にも
同工の漢語俳句があります。
曄歌・讀一茶句作曄歌一首 2006.1.28
有鳴鴻。未被呑吃,春雨中。 (中華新韻
鳴鴻あり。未だ呑吃(くわ)れずして,春雨の中。
上掲拙作は、台湾のブログに引用され、よい句だと書かれました。
しかし、一茶の原句を知る中国人から、誤訳だと指摘されました。
「読んで作った」もので、翻訳ではないとしたつもりですが、翻訳だと思われたのです。
本歌どりは、むずかしいですね。
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