【俳誌を読む】
『俳句界』2008年7月号を読む……上田信治
●「ホトトギス紳士録ーー清原枴童」坊城俊樹 p44
●「魅惑の俳人たち 7 ーー細谷源二」 p62
買初に吹かれ出でゆく妻子かな
蝶とぶや観世音寺の鐘遠く
ほつれ髪噛みて閨怨石蕗の花
英霊に遠き合掌麦踏女
など、有名無名の俳句ではあるが、その格調と高雅な精神性こそを枴童の作品としたい。そこにあるものは今に無き、貧しくも情愛のある冷徹な写生の道なのである。(…)あるいは、不器用に生きたかもしれぬが今の世に二度と出ない男のますらおの俳句と呼んでもいい。
現代でも俳壇とは年寄りのものという定義が生きている。すなわち、若くて傍若無人の俳人などは自然淘汰されるようなシステムも出来ている。(…)ましてや現代の若者こそがもっとも凛々しき感性を持ち得ないステレオタイプの者が多い。
それこそが枴童という存在が二度と出ない理由であって、必要としない理由である。(*1)
(「ホトトギス紳士録ーー清原枴童」坊城俊樹)
地の涯に倖せありと来しが雪
生きんとし日の出のごとく木を伐りに
わが流転花火の股に抱かれて
生きるは楽し鼻毛泳がせ種をまく
今、高齢化を憂いながらも、俳壇には洗練された詩情や鮮度に満ちた季感を盛った俳句があふれている。それは、それでめでたい景色にちがいない。しかし、俳句の魅力はけっして、それだけではないということを細谷源二の句は俳句史の一隅から、今という時代に照射し続けているのだ。
(「魅惑の俳人たち 7 ーー細谷源二」高野ムツオ「言葉のバイタリティ」 俳句は文中引用句より抜粋)
ほとんど同じ話形によって、ある作者を称揚し、現在の俳句が大切なものを忘れつつあると慨嘆する、2本の記事が、同じ号に。
さらに言えば、枴童なら〈露の世に眼をしよぼしよぼと飴細工〉〈風邪やつれせし面もたげ金のこと〉、源二なら〈さてどの木に冬の貧困を語らんや〉〈明日伐る木ものを云わざるみな冬木〉等、2人とも生活の貧しさや哀感をうたった句で知られる作者で、これは偶然だろうかと思ってしまう。
プロレタリア俳句、来るのか? 『蟹工船』が売れてるそうですし(*2)。
もっとも、とはいえ、
最近でも「清貧」「世に疎く」「不器用に生きて」といった措辞を俳句の中によく見かける。いかに自分が清く正しく美しく生きているかを自画自賛したものだ。私などはそのようなものを下劣なものとし讃美しない。(…)仮に本当にそのような境遇であろうとも、その私小説的なものを俳句作品に昇華されるものではないと信じてきた。 (…)
俳句においての真とは〈着ぶくれて恥多き世に生きんとす〉というような、どこかその恥の中にマゾヒスティックでシニカルな美意識をちらりほらりとさせるものではないだろう。すなわち、今までいくつか挙げてきた枴童の淋しいような作品ばかりが彼の代表的なものではないということである。
(坊城・前掲記事)
源二の俳句がプロレタリアイデオロギーに基づいているか、庶民の哀感から生まれているか、それは二次的なことだ。そんなことは、俳句が内蔵するポエジーとは、本来関わりのないことだ。源二の俳句は、人間が、そこに生きており、これからも生き続けなければいけないという存在の矛盾そのものから生まれてくる言葉そのものなのだ。(*3)
(高野・前掲記事)
つまり、いわゆる「社会性俳句」「境涯俳句」ではなく、しかし、現在の俳句の評価軸の閉塞を越える(枴童・源二のような)俳句があっていい、ということが、二人の筆者の一致して主張するところでしょうか。
*1. 坊城さんの文章は、いつもすこし日本語がおかしい。
*2. ネタ……じゃないのかな、新聞の好きそうな。
*3. 特集の「源二句セレクション」を読むと、〈ろくでもない生涯が終るある靴磨〉〈踏切番の貯金冬服に少し足りぬ〉等、明らかに、余計なお世話だろうという句が含まれ、この人、どうなんだと思わせる。
●7月号の好き句。
たれかれも蜥蜴でありし頃の虹 田中亜美
白南風やあらゆる椅子に腰浮かし 〃
背広着て本読む人や花槐 大木あまり
細長き森を出てゆくとき涼し 〃
いろいろな雲暮れてゆく鱧料理 〃
「源二句セレクション」より
ボーナスのカレーライスを子とふたり 細谷源二
病妻を抱けばすっぽり抜けて雪 〃
サラダほどの雲の真下で餅ほうばる 〃
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2008-06-29
『俳句界』2008年7月号を読む 上田信治
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2 comments:
依光正樹「俳句意識と宇宙意識」(雑誌俳句2007年10月号掲載)を批判する。
これぞ、人生の若造、俳句のみでの先達でしかない業俳の思い上がった評論である。
依光正樹によれば…
俳句を書くことが たとば働くことと同じように空しいことであることに気づかない。 … どのように空しいかは書き続けてゆくうちにわかる。また空しさを知ったことで力が抜けて、何を詠むと俳句的なひろがりを見せるのか、何を詠むと標語や教訓になってしまうのかも自ら分かってくるのである。 そのむなしさを知る方法として ・・・ 「ざるそばをそれぞれつけて一家族」と、筑紫磐井の「もりソバのおつゆが足りぬ高濱家」を挙げ、前者を核家族のありようを言いたいのであろう。しかし、どこか示唆を含んでいるし、面白さの焦点があわない。ざるそばのつゆを同じにして食べる家族は稀であって、衛生的にもよくない。 … 後者について、毎日のご飯やおかずのようなものではない。高級なブランデーのように味わうものだと思う。俳句をはじめて間もない読者でこの句の意味がわからないとすれば、この句の意味につきあたるまで俳句をつづけて欲しいと思う。 … 旅人が詠む農業の句は俳句意識では成功しない。宇宙意識で詠まれた句の中に一粒の星が存在するのみだと思う。
特集「作句上の危険な勘違い」で述べ過ぎる勘違いについての評論であるが、依光正樹の言う「俳句意識」「宇宙意識」なるものについて何一つ定義も説明なく、述べ過ぎる勘違いについて俳句意識では成功しない、宇宙意識の中に星が存在すると言われても、野狐禅を聞かされている様のものである。「新参者には分からないだろう、続ければ分かって来るから…」とは、下手な指導者の常套句である。
さらに「ざるそばをそれぞれつけて一家族」で致命的な解釈の誤りをしている。「つけて」をつゆにつけると依光正樹は誤解しているが、この句では会席料理などメインの食事の後で、好みの一品を聞かれ追加することと解釈するのが素直であろう。「夫々一品追加したところ同じざるそばになった、やはりおなじ家族だなア」と、同じ号の平成俳壇辻桃子選トップ推薦「水飯と意見まとまる昼餉かな」に通じる俳諧味のある句である。ざるそばを同じつゆで食べる家族とされたのでは、作者にはお気の毒だ。おつゆが足りぬ高濱家の句についても、依光正樹はこの句の意味が分かるまで続けろと言うのみで、述べ過ぎる勘違いのテーマにどう関係するのか何一つ語っていない。
また、筑紫の句を毎日のご飯のようでなく、高級ブランデーのように味わうものとする依光正樹の意図が全く分からない。俳句にハレとケの区別があるとは思えないのである。
六十五歳にして俳句の世界を覗いた新参者としては、この世界は忌日の句が多いとか、家元のお茶やお花の世界のように虚子の子孫が活躍しているのが、不思議に思えるだけである。
我見庵
我見庵さん、こんばんは。
忌日の句、多いですか?
というのは、句会(リアル/ネット)でほとんど見かけないものですから。
ほんとに多いのだろうか?と興味がわいて、総合誌をめくってみました。『俳句』『俳句界』『俳壇』(すべて7月号)。
3誌合わせて新作800句ほどに目を通して、見つかったのは次の2句だけでした(洩れはあるかもしれませんが)。
芭蕉子規よりも巨人の虚子忌かな 大関靖博(『俳句』7月号)
作者には失礼ですが、こりゃひどいw。
父の忌の風触れやすき羅よ 大木あまり(『俳句界』7月号)
これはいわゆる忌日俳句の範疇には含まれませんが、いちおう「忌日」を詠んでいるということで。
800句のうち1、2句。
総合誌を見ても、カジュアルな例(先ほども言った私が参加する句会)を見ても、忌日の句は、多いように思えませんが?
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