2008-10-26

テキスト版 谷雄介 異郷の冬

異 郷 の 冬  谷 雄介

青畝忌の柿にまつはる光かな
ナイロンを燃せば匂ひや冬の畑
寒肥のうすももいろの袋かな
冬耕の動的にいや静的に
異郷の人のジャンパーを借りにけり
川涸れて川筋のしらじらとあり
製糸場のひとつありける冬景色
着ぶくれて案内役をなされけり
工場の由来よろしき寒さかな
ぬかりなく煉瓦は積まれ冬青空
煉瓦家の寿命は長し冬の暮
出迎へのゆかしき宿や雪もよひ
夕空に寒満月の残りけり
下駄を見てすこし落ち着く寒さかな
寒月や皿に犇く山のもの
青饅に厨房の冷え宿りけり
今生の湯気立ち上る蕪蒸し
下仁田葱の全長を知らざりき
猪肉に元気な頃のありにけり
紙鍋に炎よりそふ師走かな
遠くにも一顆の見ゆる柚子湯かな
湯冷めしてますます浅き土踏まず
風呂の香をわれも纏へる寒夜かな
凍つる夜の厩に仔馬ゐると言ふ
二三人スリッパ過ぐる寒さかな
埋火へわが莨火を加へけり
独り寝の寄せては返す毛布かな
朝粥に名の菜くはへて寒きかな
冬はつとめてこのごろ轍見ずなりぬ
神域へひとつ散りけり冬桜
まろき洞抱へてをりぬ冬桜
向かう向く絵馬おもしろき年の内
御神籤の朱色おとろふ寒さかな
息白く祭神の名を読み上ぐる
寒鯉の動くとき水妖艶に
寒鯉のこの一点の斑が惜しき
雪隠といふ札がありクリスマス
冬晴の奇峰感嘆するならひ
奇峰やうやく顔と認めて冬ぬくし
寒雁の飛び疲れては空の色
この街に見所のなし冬のくれ
手袋の奇術師めいてきたりけり
をんをんと冬の駅舎はかがやいて
どのビルも名前ありける寒さかな
東京は西へひろごる年の暮
公園の遊具一切寒夕焼
母が墓を欲しがつてゐる十二月
文房具この世に多き霜夜かな
冬蠅や今朝のチラシが卓の上
アルバムの中晴れわたり霜夜かな

4 comments:

匿名 さんのコメント...

「かな」「けり」が多用され、「や」が少ない(2箇所?)50句。なんらかの狙いがあるのだと思いますが、全体にやや窮屈になった印象。ヒットエンドランやセーフティバント選球ではなく、この作者のフルスウィングが見たい。

一方、それは、連作性のようなが意識されていることからも生じる読者側の気持ちでもあるでしょう。

余談ですが、いまどき、「角川俳句賞風」の連作なんてもはや誰も求めていない、「そんなもんどうでもいい」の世界では?と思ったりもします。「賞ってさあ、なんか、連作が有利っぽいよね」ってな空気は、退屈。

●下仁田葱の全長を知らざりき
●風呂の香をわれも纏へる寒夜かな
●二三人スリッパ過ぐる寒さかな
●埋火へわが莨火を加へけり
●雪隠といふ札がありクリスマス
●向かう向く絵馬おもしろき年の内
●冬蠅や今朝のチラシが卓の上

選考人を欺き読者を欺こうとするかのような操作性(例えば、作者の作家性・作品の特質を受け手に同定させたくないかのような)について、ひとつの芸として好ましく微笑むこともできますが、それがさらには作者自身を欺く操作性なら、幸せとは言えないのでは?

でも、意外に、嫌いじゃない50句w

匿名 さんのコメント...

異郷の人のジャンパーを借りにけり

異郷の匂いがしそうです。


猪肉に元気な頃のありにけり

二通りの読み方が出来て面白いです。
猪肉をがつがつ食べて元気だった頃。
猪肉になる前の猪が元気だった頃。

以下、好きな句。

寒肥のうすももいろの袋かな
紙鍋に炎よりそふ師走かな
独り寝の寄せては返す毛布かな
アルバムの中晴れわたり霜夜かな


以下、微妙なところを狙いつつも当たり前な言い方になっているところがあるような気がしました。

冬耕の動的にいや静的に
寒鯉のこの一点の斑が惜しき
向かう向く絵馬おもしろき年の内
手袋の奇術師めいてきたりけり

匿名 さんのコメント...

下駄を見てすこし落ち着く寒さかな
息白く、扉を開けて入ったところに思いがけず、
いくつかの下駄を目の当たりにして安堵する

寒月や皿に犇く山のもの
凍てつき、冷え冷えとした月の夜、山のものが皿に犇いていて
寂寥感はさらに増す

母が墓を欲しがつてゐる十二月
意外なものを欲しがっているようで、
意外ではない母の切実な願い

上田信治 さんのコメント...

◆二三人スリッパ過ぐる寒さかな
◆この街に見所のなし冬のくれ
◆公園の遊具一切寒夕焼

「遊具一切」の「切」の字が、不穏でいい。

◆ナイロンを燃せば匂ひや冬の畑
◆下仁田葱の全長を知らざりき
◆冬蠅や今朝のチラシが卓の上

◆冬耕の動的にいや静的に

いいな、と思うのだけど、この「いや」の、俳句臭さは相当なものだ。

俳句臭いといえば、「なされけり」「由来よろしき」「出迎へのゆかしき宿」なんて言い方は、うひゃあ、ってなるくらいイヤだった。

「神域」や「祭神」の句は、上に引いたような正面切ってふざけている句にまざると、まったく本気じゃなく見え、また、そういう句に混ざると「猪肉に元気な頃のありにけり」のナンセンスが、なめんな、って感じに受け取れてしまう。この構成は、やっぱ損だよ。

◆寒肥のうすももいろの袋かな

「うすももいろ」という言葉の甘ったるさが、どさりと置かれた肥料袋という実体に、乗っていくような、いかないような。表面性?

いちばん、引かれた句だったんだけど、ほどこされていない状態のそれは、「寒肥」と呼べないかも、と気づいてしまった。惜しい。