海を見てゐる 青島玄武
車ごと犬に吠えられお元日
若菜摘む籠のかはりの掌
獅子舞の後ろの脚になれと云ふ
寒立馬みな山頂を仰ぎけり
珈琲の匂ひの人と日向ぼこ
恋文に似て絶壁の氷柱かな
水洟の子らがたいへんたいへんと
三寒を四温に削る鉋かな
水鳥のなき湖となれる夢
縄跳の男の子いや女の子
地球儀にコートを着する帰宅かな
春寒の入る隙なきおもちゃ箱
髭先の先まで咲くや臥龍梅
首吊れぬ梅の枝こそめでたけれ
野の芝も上機嫌なる凧日和
凧揚げし空に夕日の残りけり
山霞む耳に耳たぶあるやうに
通るたび鶯餅が気にかかる
雛よりも海を見てゐる少女かな
啓蟄や仕事の後の手の黒き
末黒野を猫あをあをと歩みをる
涅槃図を仏に負はすお寺かな
鶴林にそれぞれの恋終はりけり
永き日や口の中から魚の骨
蝌蚪どもの水の形に諍へる
鉄橋を過ぎ菜の花に入りにけり
帽子ごと頭を撫づる桜かな
一葉の舟となりけり花の影
散る花に真つ正直な枝ばかり
その影を横顔と思ふ残花かな
十歳の女ごころや桃の花
青き踏む今日の暮色の端を踏む
笑ふたび藤見の人の揺るるかな
行く春の椅子に座れば鳴きにけり
初夏の空や波立つ瓶の水
暗闇の背中の汗の匂ふかな
ハンカチもまたへとへとでありにけり
うつしよを鳥と生まれて巣立ちけり
弁当の飯を平らに若葉雨
縷縷語るごとくに絞る洗ひ髪
うごかせば体がことば南風
夏川の真ん中掴む足の指
しばらくは孫の手となる蠅叩
葉桜やそろばん塾の騒がしさ
夏の夜の荒野のやうな鏡かな
蜘蛛の囲のまず直線に始まれり
夏の母だんだん父に似て来たる
コンビニでカルピスを買ふ水着かな
仏見て出口に押し出されて夏
泣く闇を人は蛍と名付けたり
●
2008-10-26
テキスト版 青島玄武 海を見てゐる
登録:
コメントの投稿 (Atom)
6 comments:
好きな句と感想を述べます。
車ごと犬に吠えられお元日
「車ごと」と言うことで、車よりも犬の方が強いように感じる。その情けなさが元日というめでたい季語を裏切っているところと、車の中と外の空間の対比が面白い。
恋文に似て絶壁の氷柱かな
実際の景色よりも、「絶」「壁」「氷」「柱」それぞれの文字が織り成すイメージを恋文につなげて読みたい。この人のイメージの中の恋文は、決して甘いものではないようだ。
縄跳の男の子いや女の子
元気な子だ。「男の子いや女の子」という認識の揺れも、縄跳びの動きの中だからこそ、だろう。
首吊れぬ梅の枝こそめでたけれ
梅の枝がめでたいと言いながら、めでたさよりも禍々しさが際立つ。
通るたび鶯餅が気にかかる
季節モノだから、鶯餅が出ると、なくなる前に食べなきゃ、とはらはらする。そんな感じがよく分かる。
十歳の女ごころや桃の花
「桃の花」は、女の子にはややつきすぎではあるが、「十歳の女ごころ」、あるんだろうなあ。「十歳の男ごころ」よりは、複雑な。
弁当の飯を平らに若葉雨
この句、一番好きでした。弁当の飯「を」平ら「に」という助詞の使い方からすると、朝、弁当に飯をよそっている様子を思う。そのしっとり感が、若葉雨の湿度によく合っている感じ。
しばらくは孫の手となる蠅叩
蠅叩の、蠅を叩く方を手に持って、取っ手の先で背中を掻いている、そんな実に馬鹿馬鹿しい様子。
仏見て出口に押し出されて夏
美術館か、お寺か。お寺として読むと、寺の中のひんやりした暗さと、外に出たときの明るさの対比がよく出る。いずれにしても、こんなことを言った俳句は初めて見た。
◆車ごと犬に吠えられお元日
おもしろいです。「お元日」を、おもしろすぎると取るむきも、あるかもしれません。しかし、
◆永き日や口の中から魚の骨
となると、間違いなくおもしろいし、「永き日」は、意外と動かないのではないでしょうか。
◆暗闇の背中の汗の匂ふかな
人が、暗闇で前後に位置しているのでしょう。闇に匂う、汗の匂うは、よく見ますが、その位置関係がおもしろい。
◆山霞む耳に耳たぶあるやうに
◆うごかせば体がことば南風
◆弁当の飯を平らに若葉雨
獅子舞の後ろの脚になれと云ふ
前脚はぼくがなる?
恋文に似て絶壁の氷柱かな
雫は凍りキラキラ輝くがやがて融ける 恋も然り?
水洟の子らがたいへんたいへんと
重大事件を告げに来た子が水洟を垂らしている 可笑しい
縄跳の男の子いや女の子
大和和紀の漫画「はいからさんが通る」の紅緒みたいな男勝りな女の子
弁当の飯を平らに若葉雨
「弁当の飯を平らに」と「若葉雨」の不思議な呼応、巧み
しばらくは孫の手となる蠅叩
雑菌の温床となるまでに
永き日や口の中から魚の骨
今朝食べた鮭の骨が夕方出てきた?
永き日がゆったりとしていい感じ。
弁当の飯を平らに若葉雨
作業服着た人が雨宿りしながら弁当を食べてる風景を思いました。
平らに盛られたご飯は時間がたって重みでさらに平らに。
雨の湿気による重みも加わっているよう。
夏川の真ん中掴む足の指
作品を読みながら、たぶん作者には小さな女のお子さんがいるのではないかと。
それも男の子みたいに活発な女の子。
父と子の微笑ましい一齣が目に浮かぶようです。
◆<獅子舞の後ろの脚になれと云ふ>
前脚になりたかったのか。そもそも獅子舞の中には何人入っているのだ。二人なら前とうしろの取り合い。三人なら頭の役もいて、後ろと前の脚という微妙な分担。いずれにしろ、役割のなかで葛藤する男がいる。普遍的な葛藤だ。
しかも、夏祭りの神輿の上ではなく、冬に姿を隠す役割の中での葛藤というのが、さらに葛藤の質を珍しくしておかしい。
作者は、頭の役がご希望?目出度さの先っぽにいたかったのだろうか。
◆<水鳥のなき湖となれる夢>
睡眠の夢と受け取らず、幻想の夢として受け取る。水鳥のごちゃごちゃいる湖。それが突然、水鳥のまったくいない湖となる、それは面白い。しかし、その急展開の状況をこの17音が描ききっているかというかというと疑問である。<なき>がうつくしくない。
作者に会ったことも話したこともなく、氏素性も知りもせず、こちらの氏素性も知らせぬ間柄で大変、生意気なコメントではありますが、惜しいかと。
◆<縄跳の男の子いや女の子>
寒さに縮こまらない女の子。脚にバネがあ る。だから男に見えた。素晴らしい。
◆<ハンカチもまたへとへとでありにけり>
ぞくっと、スクロールする手が止まった句でありますが、<も>にひっかかりました。<も>と言って人間の草臥れ具合を示唆しなくとも、ハンカチの草臥れ具合いだけを言えばそれでいいのかと。またまた、面識のない方にご無礼ではありますが、お会いしたときに詫びるとして、もう少し書きたいことを書かせていただきます。
◆<葉桜やそろばん塾の騒がしさ>
おもしろいです。ただ、<騒がしさ>なのか。<騒がしく>なのか。浅学非才のわたしにはわかりませんが・・・・。
<葉桜>と<子供らが騒ぐそろばん塾>の取り合わせはとても面白く。
以上、酒を酌み交わしたこともなく、会釈もしたこともない方に言いたい放題、どうかお許しを。
●車ごと犬に吠えられお元日
●獅子舞の後ろの脚になれと云ふ
●永き日や口の中から魚の骨
●帽子ごと頭を撫づる桜かな
「~ごと」が一句目とカブりましたが、気にすることはありません。
●うごかせば体がことば南風
●夏川の真ん中掴む足の指
俳諧味のある句が好きでした。
ときどきスベる(笑わし損なう)のは、しかたありません。
でも、俳句世間一般、とりわけ「賞」みたいな場では
俳諧味が忌避される傾向があるようにも思います。
ま、そんなこと、どうでもいいことです。
楽しませていただきました。
コメントを投稿