アイスコーヒー 上田信治
てのひらのあかるき人に小鳥来る
其のうへをひかりのとほる運動会
けん玉のかちりと入る秋の暮
ひもつけて鶏飼ふ家や鳳仙花
四つ割の柿と写真の二三枚
向かひあふ銀杏二本の散りつづく
ひよどりは隣の庭へゆくつもり
きらきらときこえぬことば鳥威
蓑虫の水のうへなるけしきかな
ゆふがたを川の流れていぼむしり
さつきから犬は何見て秋の風
椎茸や人にこころの一つづつ
冬の浜より国道へもどるみち
くりかへす電光ニュース海に雪
水涸れていつせいに人笑ひけり
薬飲むとき見えてゐる柚子の種
少しづつかたちを変へて悴める
はつふゆの裸足に踏んで新聞紙
があと鳴る毛糸編み機や冬の雨
大根に雨降つてゐるなつかしさ
いちおうは親切にする青木の実
よこむきに飼はれてゐたる兎かな
うしろへと髪のびゆける冬木かな
公園の柵に干さるる毛布かな
狛犬のあたまに雪の高く積む
牡丹雪ちひさくなつて急にやむ
雪虫は煮豆のうへを飛んでゐし
らくがんをがりがりと食べ梅の花
はつさくが鈴生り車庫の口四角
室内のひかりのなかを春の蝿
読みさしに白紙をはさむ孕み鳥
砂利の山シロツメクサの少し生え
歯痛頭痛ときどき雲雀鳴きにけり
防風や風は見てゐるはうへゆき
鯥五郎いづれ地球は水びたし
ラブホテルばかりの駅や朝桜
日永とは力の脱けてゐる河口
ひきだしの底板うすき麦の秋
ふたしかな荷物を抱へ青薄
夏の夜の棒高跳びの雨になる
しろがねの蚊遣の脚の汚れけり
つながつて家の暮れゆく花南瓜
ただ食べてをはる一日扇風機
舟の絵の夏掛かけて子供かな
コンビニエンスストアに一人ゐて夕立
ほとんどの石濡れてゐる造り滝
たくさんの人が見てゐる夏の川
あけがたの工場群よ向日葵よ
アイスコーヒー上より薄くなりゆける
あなたきつとわすれる腐草螢になる
●
2008-10-26
テキスト版 上田信治 アイスコーヒー
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6 comments:
くりかへす電光ニュース海に雪
さつばつとした内容と「海に雪」の出合いがとてもいい
はつふゆの裸足に踏んで新聞紙
冷たさを感じはじめる頃の皮膚感覚
狛犬のあたまに雪の高く積む
白い綿帽子みたいにちょこんと載っている様子が可笑しい
しろがねの蚊遣の脚の汚れけり
とっても小さな発見が妙にリアル
ただ食べてをはる一日扇風機
真夏の一日はそんな感じ
コンビニエンスストアに一人ゐて夕立
レジの人と心通じ合う、一瞬
てのひらのあかるき人に小鳥来る
現在形で終るからか、予言、のようにも思える。ふとした瞬間の身近な女性の何気ない仕草を寿ぎ、まぶしんでいるような、幸せな句。
其のうへをひかりのとほる運動会
運動会の賑わいではなく、その少し上の静けさを見ている。目を凝らして見ていた運動会から、一瞬気を抜いたときの彼の視線の上げ方を追体験してみる。
四つ割の柿と写真の二三枚
二三枚、と言うからには、写真は重なって置かれているのだろう。四つ割の柿も、二三枚の写真も、彼が用意したものではなく、彼のために用意されたものでもなく、彼はただそれらを通りすがりで見ただけ、のように思える。何の写真かということすら、彼はきっと知らない。
蓑虫の水のうへなるけしきかな
「けしき」なんて言って、時を止めましたね。
ゆふがたを川の流れていぼむしり
下五でいきなり景色のスケールをぎゅっと縮める。いぼむしりの顔をじっと眺めていると、さらさらと川の流れる音が耳につく。
くりかへす電光ニュース海に雪
全然並び得ない二つの景色。しかし、これらをそれぞれ眺めている彼の心のくらさには、どこか通い合うものがあるような。
少しづつかたちを変へて悴める
五十句では一番好きな句。寒さの中の人間を無機的な言葉で言いとめることで、逆に人間の生臭さが際立つ。
はつふゆの裸足に踏んで新聞紙
がさがさっという足の裏の感覚。裸足は夏の季語だから、と思って踏み込むことをためらっていたそこへ敢えて踏み込んだことで得られた、新たな触感。
よこむきに飼はれてゐたる兎かな
こちらを向きもしないし、お尻を向けるのでもない。それを飼っている側も肯っている感があるのが、暖かい。
公園の柵に干さるる毛布かな
汚なそう・・・
歯痛頭痛ときどき雲雀鳴きにけり
歯痛や頭痛と並べられる雲雀。
ラブホテルばかりの駅や朝桜
ラブホテル、そして朝。となれば、あたりはカップルだらけ。桜はしょぼいものだろうという気がする。朝、ラブホテルの無駄に華美な装飾は取れて、みじめさは増す。
ひきだしの底板うすき麦の秋
引き出しを開けたときのあの感覚が手によみがえる。
ただ食べてをはる一日扇風機
怠惰な日。扇風機の前から離れられない。
アイスコーヒー上より薄くなりゆける
グラスの中に光のムラができている。おいしそうなアイスコーヒーではない。こんなどうでもいいものを見ている彼は、何かを待ってでもいるのだろうか。
あなたきつとわすれる腐草螢になる
こうなってくると、ただの時候の季語とは読みたくない。本当に、腐った草が蛍になってしまうような気がしてくる。明るい口調だけれども、切ない言葉遣い。
けん玉のかちりと入る秋の暮
けん玉の後ろに大きな秋の夕日が見えてきます。
向かひあふ銀杏二本の散りつづく
まるで競い合うように。永遠に。
薬飲むとき見えてゐる柚子の種
柚子の内部を見ているような。
もしかして、トリップ系の?
sharpness you up
よこむきに飼はれてゐたる兎かな
板に兎が描いてあるだけだったりして。
ひきだしの底板うすき麦の秋
こんなところまで俳句になるんですね。
すみません。
Frisk Sharpens you up!!
のつもりでした。
◆<くりかへす電光ニュース海に雪>
上五中七に現代的な日常を感じたところに、突如、<海に雪>。意外性もあるし、海に触れる瞬間に消えてゆく雪と、大都会で繰り返すニュースの浸透性のなさが呼応する。こう書くと理屈っぽいが、この句は自然にそれを昇華している。
◆<ひきだしの底板うすき麦の秋>
これも意外性が強い。上五中七のおもしろさを得ると、下後の着地に戸惑いそうだが、底板の色や、青春性、乾きなど、微妙なもので麦の秋につなげた。面白い。
◆<あなたきつとわすれる腐草螢になる>
女性のようなつぶやき。意味を感じたり、意味を詮索したりすることを放棄して楽しみたい句。この作者には両性具有のようで、男を感じさせる何かがある。
●ゆふがたを川の流れていぼむしり
●冬の浜より国道へもどるみち
●くりかへす電光ニュース海に雪
…はすでに話題にのぼっていますね。私は「見立て」と読みました。動きは逆ですが、雪ってのぼっていくように見えることがあります。厭な見立てではありませんが、この作者の路線とは違う気がします。
●はつふゆの裸足に踏んで新聞紙
●室内のひかりのなかを春の蝿
●読みさしに白紙をはさむ孕み鳥
…これ、やります。外食のときの紙ナプキンとか。関係ない話でしたが。
●ひきだしの底板うすき麦の秋
…は、50句のなかで輝いているとこ。
●舟の絵の夏掛かけて子供かな
●アイスコーヒー上より薄くなりゆける
作者とは句座を共にすることもなく、ふだん句をあまり拝見していないのですが(そんなことあまり関係ないか)、「信治調」ともいうべきものがすでにはっきりとあるような気がします。それは読者にとっても作者にとっても幸福なことです。句それぞれの出来や相性以前に、「そのひとの句」といった感じがあることは、いいですよね。
ただ、去年の落選展の50句のほうが、「信治調」のマニア性に訴えるものが強かったような気も。
●ひもつけて鶏飼ふ家や鳳仙花
…個人的には例えばこういうのがよろしいのです(この句は誰も誉めてほしくない。マニアとしては)。
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