湖上の風 山口優夢
松の芯雲にひかりの多き日の
ぶらんこの真下ときどき水たまり
青葉若葉向かひのビルにはたらく人
あぢさゐはすべて残像ではないか
梅雨長し髭はつぶやくやうに生え
くちなはの胴の密度を感じけり
蜘蛛の巣にはげしく揺るるところあり
硝子器は蛍のごとく棚を出づ
江戸湾も東京湾も明易し
夜着いて朝発つ宿の金魚かな
白日傘番地見ながら歩きけり
影深き薔薇の奥より蟻出でぬ
炎天やのぼれば下りる歩道橋
夏風邪のいちにち写真見て過ごす
問診は祭のことに及びけり
たつぷりと鰭動かして水澄めり
病室のみんな見てゐる秋の川
地は空のかがやきに堪へ蔦紅葉
十六夜の綺麗にお辞儀するひとよ
風に火のちぎれゆくなり豊の秋
草の実や急に始まる牛の尿
秋思いま湖上の風となりゆけり
夕霧へ馬と少女の歩むかな
美術展人になで肩いかり肩
肘掛けも背もたれもなき秋の暮
それぞれに十一月の木となりぬ
手袋を待たせ仏蘭西料理店
水洟や道路のしたの日本橋
虎落笛駅に奈落のありにけり
日本語に英語で返す焚火かな
暮早し風呂に入りて風呂洗ふ
音のなき夜の大河に悴めり
アトリエ寒しやがて女陰となる粘土
雪の夜の明りの強き工事かな
ちちははが初東雲を見て話す
口とがらす牛乳パック冬ぬくし
耳袋線路の果てはひかりけり
網棚のうへに物なし冬怒涛
目が水のごとくかがやく風邪心地
点心を食べて暮れけり春の雪
耳たぶに触れゐて猟期果てにけり
死ねば神仏指にうぐひす餅の粉
橋ありてみづ暗くなる猫の恋
血の通ふ色してをりぬ花馬酔木
凸凹に雑巾かわく桜かな
チューリップひらけばひらくほど無惨
見送りのあと春燈のがらんどう
首すぢにいつも風あり春の海
鳥影は桜の中を通りけり
卒業や窓のかたちの日のひかり
●
2008-10-26
テキスト版 山口優夢 湖上の風
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8 comments:
優夢さんの句は、ハマると「キュン」となる句が多いような気がします。実はブログの俳句もこまめにチェックしているんですが(すみません、コメントもしないで)今回の作品は、より「ググッ」と読み手の心を掴んでくる句があって感動しました。
梅雨長し髭はつぶやくやうに生え
梅雨の長さをつくづく実感できる句。髭を「つぶやくように生え」と捉えたのは面白いな~と。男なら、誰でもわかるはず。
蜘蛛の巣にはげしく揺るるところあり
活写の句。全体的に揺れているんだけれども、糸の基点になっているところはそんなでもなくて、中心部ほどに大きくたわんでいる。当たり前なんだけれども、なかなかよそ様が捉えなかったところを大きく捉えていて、好感を持ちました。
夜着いて朝発つ宿の金魚かな
この句、いの50句の中では一番好きな句ですね。何も言っていないんだけど、ただ「金魚」というフレーズがあるだけでなんだかドラマのワンシーンのようになってしまう。わたくしはこの「宿」を海辺のビジネス旅館と想起しました。
夏風邪のいちにち写真見て過ごす
「夏風邪」の季語の本意にかなったしっかりした句。しかも、何の写真なんだか想像させてくれる楽しい句ですね。
美術展人になで肩いかり肩
ははは。(笑) わかります。美術展好きなんで。
日本語に英語で返す焚火かな
話し相手が外人なのか何なのかよりも、新しい焚き火の情景を想像できて、面白いなと思いました。
雪の夜の明りの強き工事かな
雪の静かに振る様子と、発電機のうなり声や工事の喧しさがなんだか物悲しい雰囲気をかもし出しいています。
網棚のうへに物なし冬怒涛
「冬怒涛」で抜群に「グッ」ときました。東北や山陰の無人駅に長時間停車している一両電車。おんおんと海鳴りが聞こえてくる切迫した空気がたまりません。
目が水のごとくかがやく風邪心地
あの潤んだ感じを「水のごとくかがやく」と単純ながらもさりげない直喩に表現したのに、「キュン」ときました。
鳥影は桜の中を通りけり
これもきれいだな~。桜の枝を仰ぎ見た上に鳥の飛ぶ影。暖かな空気が首の周りをなでていくようです。
卒業や窓のかたちの日のひかり
50句が「雲にひかりの」で始まり、「窓のかたちの日のひかり」で終わる充足感。双方ともに、格調の高い句ですが、こちらのほうが好きでした。
あと、なんとなく思ったことですが、横書きにして面白いなという句と、縦書きでバチッと決まる句と、両方だな~という感じとがありました。
以下、横書きで面白いな、という句。
あぢさゐはすべて残像ではないか
風に火のちぎれゆくなり豊の秋
水洟や道路のしたの日本橋
●あぢさゐはすべて残像ではないか
こう書かれると、あじさいだけでなくその他の草も木も人も建物もすべて残像ではないかと思えてきます。
目に見えているものすべての存在を、そして自分が生きているということすら疑ってみたくなる。
●くちなはの胴の密度を感じけり
●地は空のかがやきに堪へ蔦紅葉
「胴の密度」、「かがやきに堪へ」など措辞の巧みさを思います。
以下、好きな句を。
●梅雨長し髭はつぶやくやうに生え
●たつぷりと鰭動かして水澄めり
●硝子器は蛍のごとく棚を出づ
●日本語に英語で返す焚火かな
アタマから。
●あぢさゐはすべて残像ではないか
●梅雨長し髭はつぶやくやうに生え
●くちなはの胴の密度を感じけり
こうしたレトリックの面白さを楽しませていただける句とは別に、
●夜着いて朝発つ宿の金魚かな
は、いい空気。
●死ねば神仏指にうぐひす餅の粉
●凸凹に雑巾かわく桜かな
●見送りのあと春燈のがらんどう
●首すぢにいつも風あり春の海
影深き薔薇の奥より蟻出でぬ
エロティック
問診は祭のことに及びけり
診療所の二代目若先生だったりして
病室のみんな見てゐる秋の川
パジャマ姿の患者の顔がずらりと並んで
アトリエ寒しやがて女陰となる粘土
目に浮びます
口とがらす牛乳パック冬ぬくし
牛乳臭さが鼻をつかないのでこの飲み方が一番美味しいです
網棚のうへに物なし冬怒涛
目が水のごとくかがやく風邪心地
凸凹に雑巾かわく桜かな
究極の雅俗の取り合わせが、イヤミにならないのは凸凹のせいかも
鳥影は桜の中を通りけり
「蜘蛛の巣にはげしく揺るるところあり」
志賀直哉の『城之崎にて』というお話の中に、風もないのに木の葉がひらひら動くという場面がありました。実は肌に感じられぬ程の風の流れが、木の葉を揺らしているらしいと、一応の落ちはつくのですが、しかしとても繊細で不思議な印象を与える一場面でした。落ちがなければ、散文詩風な一節として味わうことが出来たように思いま。もっとも、小説としては破綻の部分になるのかもしれませんが。
この句の場合は、明らかに吹く風に反応して揺れ動く蜘蛛の巣全体のうち、ある部分だけが他の部分より激しく揺れ動いているということに気が付いた時に、基本のモチーフは出来上がったようです。何故、その部分だけがそのように風に強く反応するのか、それは不思議でもあり、またそこには何かの原因があるのでしょうが、それらを一切捨象することで(それは俳句形式の限界ゆえに)、そこに一つの詩因が生まれているように思います。もちろんそれは、対象への適切な切り込みがもたらしたものなのでもあるのでしょうが。
◆<松の芯雲にひかりの多き日の>
水に光りが映えるように、山に光りが生えるように、雲に光りが映える。
近しい雲と光りに発見がある。
そこへ、樹齢長き松の新芽を合わせる。いやー、参る。
でもそんな言い方は逆差別。年齢に関係なく、テクニシャンをテクニシャンと認める拍手が必要。そしてのこの清新さにも拍手。
◆<あぢさゐはすべて残像ではないか>
いろんなこと書けるから、やっぱりちょっと腹立つかなぁ。
◆<蜘蛛の巣にはげしく揺るるところあり>
一点。この一点を攻めて全体や本質に迫る。大拍手。
◆<夜着いて朝発つ宿の金魚かな>
50句の白眉。幅広く日本人に浸透する調べがある。
例えば、池波正太郎の小説の章代わり、「夜着いて朝立つ宿の・・・」とこられると、ゾクっとくる。そんな気持ち良い調べを作者の身体は持っている。
そして俳句として「金魚」をつけるのだからたまらない。早くダメになって欲しい。
◆<夏風邪のいちにち写真見て過ごす>
夏風邪らしいアンニュイ。
◆<問診は祭のことに及びけり>
この句も好きだけれど、読み返すと、<問診>の<問>が厭になる。
”会話”を作るための<問>だ。
◆<風に火のちぎれゆくなり豊の秋>
うーん。かっこいいぞ。意外性もありつつマッチしてる。
◆<草の実や急に始まる牛の尿>
こういうのがあるのも賛成。
◆<秋思いま湖上の風となりゆけり>
これが表題作っていうのは・・・。
それにしても読ませてくれます。
小池康生さんのコメント、1行目、
誤「山に光りが生えるように」
正「山に光りが映えるように」。
と、小池さんから訂正のご連絡がありました。
◆松の芯雲にひかりの多き日の
◆あぢさゐはすべて残像ではないか
「油圧もて日月上がる松の芯 中原道夫」
「大半の月光踏めば水でないか 田中裕明」
くらいなら、みんな知ってる平成の名句だから、ご愛敬なのだけれど、
◆ぶらんこの真下ときどき水たまり
◆青葉若葉向かひのビルにはたらく人
「鞦韆の裏を映せるにはたづみ 佐藤文香」
「秋時雨ビルは向かひのネオンを映す 同」
となると、ちょっと、気になる。まさか、寺山きどりでもなかろうから、似てると思ったら、捨ててしまえばいいと思う。自分も〈あけがたの工場群よ向日葵よ〉という50句中の一句、〈あけぼのの宝石類や花の雨 文香〉と似すぎているのに後から気づいたので、こういうのって、あるんだけどね。ここ数年、同じ句会でやることが多かったからね。
◆問診は祭のことに及びけり
◆地は空のかがやきに堪へ蔦紅葉
◆雪の夜の明りの強き工事かな
◆凸凹に雑巾かわく桜かな
いいですね
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