2009-05-31

林田紀音夫全句集拾読 069 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
069




野口 裕





白髪のわれ怖しく翼下に海

昭和五十年「花曜」発表句。珍しく飛行機に乗ったのだろう。一時は死の淵に直面したが、白髪となるこの歳まで生きのびた。しかし場違いにも飛行機などというものに乗って…、と作者の来歴を加味すれば、「うどんの箸を割り損ず」と同様の構図となる。日本人が集団で海外旅行に出かけ始めて、顰蹙を買っていたのもこの頃だったか。


白昼の回向につづき道消える
燈明をつつむくらやみ声詰まり
盃の無明に草木私語しきり

昭和五十年「花曜」発表句。最近、「花曜」で句座をともにした人の話を聞く機会があった。その証言によると、抹香臭い句が妙に多かったらしい。すでに、第一句集に

仏壇の金色ひらき寿司もてなす
施餓鬼の稚児に親が生きのび紅をさす

などがあり、第二句集にも

仏壇のない暮し柿を妻が買い
位牌の色で移る夜ひとり海を聞く
数珠かくし持つ橋脚に水汚れ
花火こぼれて卒塔婆林立するくらがり

などがあるが、第二句集以降にはたしかに仏教を下敷きにした句が多くなる。彼の想念の中から「死」が消えることはなかっただろうが、この年代には戦後の混乱や病による「死」の影が遠のいてゆくばかりとなる。そこから、「死」を確認する手段として登場するのが、日常のそこここにある仏教だろう。

見比べてみて初めて分かったことだが、時が下るとともに師ゆずりの「人情」の味わいも消えてゆくところがある。彼にとって句を書きにくい時代になっていることは否めない。

 

不意のさびしさ嗅ぎ寄る犬に白うすれ

昭和五十年「花曜」発表句。危うく素通りしそうだった。「不意のさびしさ」で切る読み方も考えられるが、たぶん繋がっているのだろう。「白うすれ」が微妙な言い回し。犬から急に現実感がなくなったかのような気分に陥る。

 

笹舟を流したのちの指濡らす

昭和五十年「花曜」発表句。笹舟を流したときは指を濡らさなかったが、そのあとで濡らした、と取るのだろうか。笹舟を流したときは気付かなかったが後で見ると指が濡れている、のではなさそうだ。指が濡れたことにより、時間が過去に流れて行く。

 

雨の糸絡み地妖の刻移る

昭和五十年「花曜」発表句。同時に、昭和五十年「海程」発表句でもある。「海程」発表句を読んでいる時点ではスルーしていた。細かく降り続く雨の夕景に禍々しいものを感じ取った句。しかし、どうしても第一句集の、「雨の糸よ買ひに行かねばアドルムなし」の切実さと比較してしまう。「移る」にある冷静な観察眼が、句のスケールを小さくしているようだ。

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