季語って何だ!?
いつき組的新季語選定委員会 総集編
初出・俳句マガジンいつき組 2006年5月号
「いつき組的新季語選定委員会」は、季語になりそうな言葉を「新季語」として提案し、実際に句会を行い、本当にその言葉が「季語」として成り立つかどうかを検証する企画。2004年8月号(81号)より不定期に計13回連載を行った。
今回の特集では、今まで提案された「新季語」を通じて「季語とは何か」を探ってゆく。(文 新季語選定委員会)
はじめに
毎回の句会よる検証は、委員長(灰色狼)の手による「(新)季語&解説」を元に行われた。これは一般の歳時記に習って、提案された新季語に対し、「副題」・「解説」を加えたものである。「解説」は出来るかぎり詳細に明記したものが用意された(今回の特集では紙面の都合上掲載できないため、バックナンバーを参考にして頂きたい)。
季語ではない言葉を季語にして行ったこの句会、どうしようもない戸惑いや混乱を生じた時もあれば、すんなりと進んだ時もある。その違いは何か?
委員会の内容を順を追って振り返りながら、季語の仕組みや本質に迫ってゆく。
■検証1 夏・行事(2004年8月号)
新季語・鈴鹿8時間耐久ロードレース
【副題】8耐 鈴鹿8耐 鈴鹿の熱い夏
【例句】
鈴鹿8時間耐久ロードレースの鳩 いつき
8耐やガソリン補給どどどどど 灰色狼
8耐や地球はまわっているという まほろ
8耐やスプーンカーブとまばたきと ミズスマシ
前略おふくろ鈴鹿の熱い夏 むうん
【判定】不明(まだ認定不認定の判定をしてなかったため)
18文字の季語は、
長すぎて使えない!
毎年夏に三重県鈴鹿サーキットで開催されるオートバイによる耐久レース。今年で29回目を数える。第一回の新季語選定委員会は、委員長の趣味でこの言葉から始まった。
さて、これが季語になるかどうかなのだが、まず一番の問題は、文字数が多すぎること。「すずかはちじかんたいきゅうろーどれーす」とすでに18音もある。
これで俳句にするには、組長の揚句以外に「鈴鹿8時間耐久ロードレース雨/チャンヒ」くらいしかやりようがない。
だからといって「8耐」まで縮めると、意味が分かりにくい。ならば、「鈴鹿8耐」ならうまくいったかと言えば、そうとも言い切れない。その理由を探ろうと話し合いをしたが、「鈴鹿8耐をテレビですら観たことがない」という委員会メンバーが続出し、議論は急速に萎んでしまった。
■検証2 秋・行事(2004年10月号)
新季語・9月11日
【副題】米同時多発テロ テロ忌 9・11(きゅうてんいちいち、きゅういちいち) 悲劇の連鎖 ナインイレブン
【例句】
旗より日の洩れて九月十一日 わら
神様の焦げる匂いの九月十一日 チャンヒ
幾千の言葉帰らずテロ忌来る まぐろか
9・11コルクボードのピンの穴 かな
テロの日の大陸の入り口に立つ ひとみ
【判定】おそらく認定(まだ認定不認定の判定をしてなかったため)
時事的言葉でも
季語になる。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起こった日。
この事件のあった日から連日、ビルの崩壊する衝撃の映像が繰り返しテレビで放送され、テロが他人事ではない不安を、身近に感じるきっかけとなった。
テレビの生中継で「9月11日」を疑似体験した委員会メンバーには、この言葉を季語として認めるだけの説得力を感じたようだった。また、最近の俳句総合誌にも、この日を季語とした俳句が掲載されている。「9月11日」という言葉のイメージに何らかの共感ができるからだろう。
ただ時事的言葉の持つ意味は、時代と共に変化する可能性がある。例えば「8月15日」。戦後間もない時代と現在とでは、意味合いや重さが変わってきている。逆に、今だからこその「9月11日」の俳句もありそうだ。
■検証3 冬・行事(2004年12月号)
新季語・紅白歌合戦
【副題】紅白 美川と幸子 晦日のテレビ
【例句】
紅白やぴくりと震え猫の髭 州麻子
避難所のラジオ紅白歌合戦 むうん
美川と幸子お風呂わきました かな
紅白やお酢の匂いの残る指 灯馬
紅白や休憩室のシフト表 わたる
【判定】認定
「紅白」だけで
季語になるのか?
この回より、句会参加者による多数決で認定か否かを判定することになった。結果は認定。しかし、改めて見直すと問題も多い。
まず、「大晦日」の副題で良いのではないかという意見。確かに「紅白歌合戦」という言葉から想像する情景は、「大晦日」のそれとかなり近い。しかしその論理なら「年越し蕎麦」も「大晦日」の副題にしなくてはならない。「紅白歌合戦」は単独で季語にしたい。
それにしても、この季語も文字数が多すぎる。そこで副題の「紅白」だけを使う場合が多かった。でもこれって、無理がないか? 「紅白饅頭」は「紅白歌合戦饅頭」の略になってしまうのか?
それに比べれば「美川と幸子」の方が、刹那的だが無理がない気がする。今しか詠めないかもしれないが…。
■検証4 春・行事(2005年3月号)
新季語・椿まつり
【副題】(お)椿さん 伊予路の春 お八日
【例句】
椿まつり名前分からぬ同級生 らまる
椿さん居酒屋始めると言う教師 ロッチ
軽トラはなにわナンバー椿さん むうん
お八日やまとまる気配なき縁談 しゅん
太鼓打ち鳴らせお八日なる闇に いつき
【判定】認定
ローカルな祭を
季語にするには?
京都の祇園祭や福岡博多のどんたくなど、地方の祭が季語となっている例は多い。そこで、松山市で最も人の集まる祭、「椿まつり」が提案された。季語としての判定では、委員会メンバーの多くが地元松山市民いうこともあり、あっという間に満場一致で認定となった。
ここで問題となるのは、「椿まつり」が地元の人間以外に、どれほどの普遍性も持っているかという点。言い換えれば、その祭ならではのオリジナリティ。「商売の神様」という、ある種下世話な世界を背負った「椿まつり」には、十分季語となる資格があるようだ。
ここで一つ提案。同じ松山市のオリジナリティのあるイベント、「俳句甲子園」も季語として多くの俳人に俳句を作って頂きたい。毎年8月中旬に開催されているので、「初秋」の季語として是非ご検討を。
■検証5 春・生活(2005年5月号)
新季語・五月病
【例句】
先物の話ながなが五月病 ピアノフォルテ
五月病砂噛んでいる靴の底 ピアニシモ
五月病魚の中のピノッキオ まぐろか
ペンギンの皆右を向く五月病 らまる
雲全て文字の形に五月病 かな
【判定】認定
俳句にしやすいのは
共感しやすいから?
「五月病」は委員会メンバーにすこぶる評判が良かった。
まず、5音なのが嬉しい。そして、取り合わせの俳句が作りやすかったことがその理由。
でもどうして取り合わせをしやすかったのだろうか?
一番の理由は、「五月病」という言葉の持っているイメージが、多くの人に共感しやすいからだろう。また、「五月病」が一種の「心の病気」なのも俳句を作る素材として有効なようだ。例えば、同じような病気の季語に「風邪」がある。しかし、外から貰う「風邪」に比べ、自分の心の中から生まれる「五月病」の方が、複雑な心情を表現しやすい。
というわけで「五月病」は、新季語選定委員会が太鼓判を押して世に出せる、数少ない季語の一つである。が実は、「五月病」を既に採用している歳時記があるとのこと。何たること!
■検証6 夏・生活(2005年8月号)
新季語・オーバーヒート
【副題】冷却不良 水温異常
【例句】
いい人で終わる日々水温異常 きとうじん
国境のオーバーヒートの土の色 チャンヒ
オーバーヒートして9㎝ハイヒール いつき
オーバーヒートテレビをずっとみた みゆう
オーバーヒートこの世にひとりたる私 まほろ
【判定】不認定
季節感があっても
季語になれないこともある。
「オーバーヒート」とは、夏場の暑い日に、エンジンのラジエーター内の冷却水の温度が異常に上がってしまう現象のこと。オーバーヒートになると、当然車は動かなくなってしまう。自動車の運転免許を持っている人は、一度は耳にしたことがある言葉だろう。これまた、委員長の趣味で検証することとなった。
しかし委員会メンバーには不評。最近の日本の自動車はほとんどオーバーヒートしないので、「実感がわかない」という意見が多かった。この実感のなさは、「鈴鹿8耐」に感じたものに近い。
ある言葉が季語として使われるようになるには、「季節感」と「その言葉の客観的な説明」だけでは駄目なようだ。その言葉からイメージできる、共通の情景や情感が必要なのかもしれない。少なくとも、「9月11日」や「五月病」には、それがあった。
■検証7 秋・行事(2005年8月号)
新季語・24時間テレビ
【副題】愛は地球を救う 24テレ 黄色いTシャツ サライ 24時間マラソン 徳光の涙
【例句】
並走の群れ二十四時間テレビ きとうじん
リーチして24時間テレビかな わたる
長男の背中の伸びゆくサライかな まぐろか
徳光の涙テーブルの輪染み 灯馬
放熱や二十四時間テレビの手 ロッチ
【判定】不認定
24時間感動し
続けられますか?
冬の代表のテレビ番組が「紅白歌合戦」なら、初秋は「24時間テレビ」。のはずだったが、上手くいかなかった。
その理由は簡単に見出せた。「24時間テレビ」は、8月末ごろ、土曜日の夕方から日曜日の夜にかけて放送させる番組。この番組を、委員会メンバーの誰一人、同じようなシチュエーションで観ていなかったからだ。テレビ番組で同じ感動を共有するには、24時間は長すぎるのかもしれない。さらに、これはメンバーの問題だが、チャリティー番組の抗し難い善意のパワーが、委員会のやる気をそいでしまったという悲しい事実もある。
ところで、時間の長い番組といえば、「箱根駅伝」がある。1月2・3日という特殊な日に行われるので、こちらの方は季語になりそうだ。
■検証8 秋・生活(2005年9月号)
新季語・マジックナンバー
【副題】マジック 逆マジック (マジック)点灯・消滅
【例句】
早刷りやマジックナンバー差しかえる 灰色狼
マジックナンバーへおたふくソースこぼしけり わたる
マジックの消えし今宵のものもらい マイマイもどき
豊胸手術してマジック点灯して チャンヒ
マジックナンバー講釈は右から左 灯馬
【判定】不認定
マジックって
手品じゃないの?
「マジックナンバー」とは、プロ野球ペナントレースで、一位のチーム以外のチームに自力優勝の可能性が無くなった時点で、残り試合数から逆算して、何勝すればよいかを算出した数字のこと。「マジックナンバー」が話題になるのは、大体がペナントレースの終盤なので、秋の季語として検証した。
この季語にとって最も不幸な出来事は、委員会メンバーの大多数が、プロ野球にそれほど興味が無かったこと。つまり、マジックナンバーに対する思い入れがゼロ。また、マジックナンバーが、話題となる時期は長く、多少曖昧である点も不評だった。
さらに副題の「マジック」だけだと手品や筆記用具と混乱してしまうという意見もあった。
結局、この季語に共感できなかったメンバーには「不認定」の烙印を押すことしかできなかったのだ。
■検証9 秋・忌日(2005年10月号)
新季語・黒澤忌
【副題】椿忌
【例句】
朱柱の剥落しるき黒澤忌 いつき
絵コンテの炎紫黒澤忌 ミズスマシ
黒澤忌すくった海が青くない 大和
黒澤忌非常扉を固く閉ず 奈月
存分に濡れし象の背黒澤忌 州麻子
【判定】認定
「黒澤明」を
ひとことで言うと?
9月6日。言わずと知れた、日本、いや世界を代表する映画監督の忌日。
実は、3連続不認定であせった委員会では、「絶対に認定できる新季語にしよう」というあざとい考えの元、「黒澤忌」を選んだ。しかし、簡単にはいかなかった。
今回も今までの例に漏れず、委員会メンバーが「黒澤映画をちゃんと観たことがない」という根本的な問題が発生。
また、黒澤明という人は、現役時代がとても長く、作品も時代劇から現代劇まで、幅広いジャンルをこなしている。そのため、「黒澤明」の人物像を、委員会メンバーで共有することが困難であったのだ。
しかし今回は、「漠然とした黒澤明像を的確に言葉にできなかっただけ。いつか、『黒澤忌』で名句ができるはず」という思いで、認定とした。
■検証10 冬・生活(2005年11月号)
新季語・中華まん
【副題】肉まん あんまん 豚まん カレーまん ピザまん チョコまん 他多数。
【例句】
大きめの中華まんかぶりつく勇気 草心
中華まん臓器移植の署名欄 きとうじん
犬吠えてゐる中華まん冷めてゐる 州麻子
豚まんや阪急十三駅の恋 灰色狼
階段飛び下り肉まん両ポッケ かな
【判定】認定
中華まんの
「本意」は?
記念すべき検証10回目は、いわずと知れた中華まん。元は中華料理の点心。最近はコンビニエンスストアで気軽に買える、庶民の味の代表的存在。
一年中販売しているおにぎりとは違い、晩秋から初春にかけての、肌寒い季節にしか売っていないので、冬の季語として検証した。
結果は満場一致の認定。その最も大きな理由は、「中華まん」という言葉から、単に「冬の食べ物」というだけではなく、温かい・安い・手軽・若者・野暮ったさ…など、様々なイメージを想像できること。さらにそのイメージを、多くの人と共有できることである。
「季語」という言葉には、単に説明的な情報ではなく、「共感」できる情報が含まれないと、成立しない。そして、それこそが季語の「本意」というのだろう。
■検証11 冬・生活(2005年12月号)
新季語・キムチ
【副題】朝鮮漬け カクテキ キムチ漬け キムチ漬ける
【例句】
キムチ喰うお前の言うことはきかん いつき
キムチ喰う上司もこう処理したい 月の女神
キムチ屋を出で金星は定位置に らまる
キムチ食うシャッター閉じたままの街 灰色狼
キムチ食う秒針折れている時計 兼光
【判定】保留
キムチを漬けたことの
ある人、手を挙げて。
辛い食べ物のイメージは、夏か冬かのどちらかである。夏に辛いものを食べると、刺激で頭がシャキッとするし、冬に食べると体が温まる。
さてキムチ。最近は日本で一番売れている漬け物らしい。年がら年中食べられるこのキムチに、最もふさわしい季節はいつか? 最も一般的な白菜キムチを漬ける時期が、冬ということで、冬の季語として検証した。
結果は賛否両論。結局、「キムチを漬ける季節」という、季節の定め方に、実感が伴わなかったようだ。ただ、ブランコやシャボン玉のように、季節に関係ないものでも、「春の季語」として成立している例もある。これからもこの季語で俳句を作り続ければ、季語として定着する可能性はある。
さしあたり、キム・チャンヒのオモニから、キムチの漬け方を習うところから始めよう。
■検証12 冬・行事(2006年1月号)
新季語・ディナーショー
【例句】
日経を読み捨てて行くディナーショー 灰色狼
エナメルの黒靴に傷ディナーショー かな
ディナーショウに行くブローチのトカゲかな いつき
深海魚の如くディナーショーにゐる まほろ
ディナーショー隣の席の印度人 チャンヒ
【判定】(とりあえず)認定
「感情」を支えるのが
季語の役目?
検証12回目。「季語になりそうにない言葉を季語に出来ないか」というチャレンジ精神だけが、検証に対する情熱の源だった。
今回も残念ながら、ディナーショーに行ったことのない委員会メンバーによって検証された。
そして、結果は(とりあえず)認定。
年末のディナーショーのテレビCMやワイドショーなどで、ゴージャス・おめかし・超一流ではないが一流…など、何となくその本意を感じ取れたからだろう。
しかし、この季語の本意は掴めたとしても、この季語を使って微妙な心理を俳句に詠み込むところまでは行けなかった。それは俳句の作り手の技量というよりは、むしろ、この季語そのものに問題があったからではないか? 「季語」という言葉は、単に季節感を表すだけではなく、感情を支える役割を果たしているからだろう。
■検証13 冬・忌日(2006年3月号)
新季語・ジャイアント馬場忌
【副題】馬場忌 十六文忌
【例句】
一歩目のジンクス十六文忌かな むうん
ジャイアント馬場忌の日記ただ四文字 灰色狼
ネジ釘で止めて馬場忌の表札 兼光
馬場忌の雨粒ぽちり らまる
ジャイアント馬場忌テレビ消しなさい 灯馬
【判定】不認定
情報だけでは
「本意」にはならない。
1月31日、「ジャイアント馬場忌」。有名プロレスラーの亡くなった日。しかし、結果は不認定。委員会メンバーにとってジャイアント馬場は、よく知ってはいるが、季語としての本意を見いだしにくい存在だった。
プロレスラー、力道山の弟子、身長209㎝、得意技は十六文キック、全日本プロレス創設者、読書家、葉巻好き、甘い物(あんこ)好きなど、ジャイアント馬場の情報は、簡単に手に入る。しかし、これらの情報は、単に季語の解説であって、「本意」とは言えない。
俳句を作る際、言いたいことにふさわしい季語を選ぶことはよくある。この、「ふさわしい」と感じる部分に、季語の「本意」が潜んでいる。季語の持っている情緒と言ってもいい。
「ジャイアント馬場忌」も、共通の情感を見いだすことができれば、季語になるのだ。
まとめ
計13回の検証を行って分かったことは、ある言葉が季語として機能するには以下の条件を満たす必要があるということ。
①季節感があること。
②文字数が多すぎないこと。
③その言葉に共有できるイメージがあり、それに共感できること。(季語としての「本意」があること)
①は当たり前といえば当たり前。ある言葉に無理矢理季節を設定することも可能だが、それが浸透するには時間がかかるだろう。(例「キムチ」)
②の文字数も重要だ。17音で表現する俳句は、いかに効率よく言葉を選択するかも、重要な技術の一つ。季語が17音を越えるのはほとんど論外である。(例「鈴鹿8時間耐久ロードレース」)
そして、③が季語の機能を理解する上で最も重要要素と言える。
どんなに季節感のある言葉でも、その言葉に多くの人が共有するイメージがなければ、季語としては使えない。(例「24時間テレビ」)また、たとえ共有のイメージがあったとしても、そのイメージに共感できる感情が生まれなければ、やはり季語としては使いづらい。(例「ディナーショー」)
「日本大歳時記(講談社版)」の「春の朝」の【解説】にこうある。
春眠暁をおぼえず、目覚めてみるとすでにうらうらとした日曜日の朝日。(中略)つつましいこの世の営みにもそれぞれささやかなよろこびが秘められている感じである。雨の日にはまた雨の風情。[飯田龍太]
後半の部分は、筆者の季語から受ける情景を述べている。このような、季語に対する「共感できる感情」こそが「季語の本意」といえそうだ。そして、人は俳句を作る際、無意識にこの季語の本意を利用して、自分の感情を俳句に込めているのだ。
作家が新しい季語に挑戦することは、新しい俳句を生みだす挑戦でもある。今後も続けてゆきたい。
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2 comments:
『朝ドラ』は、それとなく、春の季語にはなりませんかねぇ。もう何十年も続く、晩春にスタートする「朝の連続テレビドラマ」は、けっして珍奇な季語にはならないはず。
つまみ喰う朝の連続ドラマかな 民也
秋の季語『9・11』は、「きゅうといち」と読ませれば、日本語的には丁度五文字に収まりますよ。
つい機体見上げてしまふ9・11 民也
全世界共通歳時記が編纂されるとしたら、『9・11』は、必ず収録されそう。
24時間テレビは、そもそも募金前提の番組なのに莫大なギャラが出演者に出てるという、
チャリティらしからぬ番組ですからね。
「善意の力」より「欺瞞の力」を強く感じます。
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