夜ニンジンニンジン煮るよ
井口吾郎「炉心もんしろ」10句を読む
小林鮎美
今まで回文俳句をどうやって読めばいいのかわからなかった。すごい、とか、なんか不思議な可笑しさがある、とは思っていたけれど。
回文俳句と聞いてまず思い浮かべるのは『ひらけ!ポンキッキ』の『かいぶん21めんそう』とパズルゲームの『もじっぴったん』だった。前者は私と同年代の人なら知っているかもしれないけれど、鉛筆の着ぐるみをきた男の人が、変なダンスを踊りながら回文を歌う、というもので、映像も歌もどことなく怪しい感じだったのを覚えている。一番記憶に残っているフレーズは「夜ニンジンニンジン煮るよ」。ニンジンを二回繰り返すところがいっそう怪しかった。後者はナムコのパズルゲームで、決められた文字の集合から1文字ずつ選び、マスに置いて「言葉」を作っていく、というもの。キャラクターと音楽がやたらと可愛い。私は友達の家で一回プレイしただけなのだけど、日本語は音が少ないせいか、割と適当に何も考えずに文字を選んでいっても、「言葉」として成立するので、ビックリした。
それにプラスして、最近、作っている同人誌で「奇書」の特集を組むことになり、初めて加藤郁乎の『牧歌メロン』を読んだ。それでやっと、どう回文俳句を読んでいいのかわかった。普通に読めばいいのだ。今まで気がつかなかったなんて、バカなんじゃないか、私。
回文俳句も『牧歌メロン』も私が感じたかぎり、難解じゃない。意味でなく、「言葉」により重点を置いただけだ。国語的な「作者は何を思ってこう書いたか」「このとき主人公はなぜこのような行動をとったか」という意味はわからないが、言葉としての意味はちゃんと通じるように作っている。俳句に書かれている状況がわかる。受取ろうとすれば受取れるように作ってある。
辛辣な態度ほどいた夏乱視 井口吾郎
ツンデレなのだろうか。辛辣な態度を取りそうな人というのは、確かに目が悪そうだ。視力が悪いと、目つきが悪くなりがちだからそう思ってしまう。しかも乱視。近視よりたちが悪そうな乱視。そういう自分自身の身体的な辛さや不便さが、相手への態度へ少なからず繋がっていたのだろうか。
イタコの目か梅雨入り五日目の個体 同
怖い。怪しい。でも気になる一句。「梅雨入り五日目の個体」という突き放したような言い方が、逆に後を引く。
冷蔵庫抱いて湖底だ楮入れ 同
口調が偉そうなのが可笑しい。楮を入れてどうするのだろう。冷蔵庫じゃ紙にはならない。というか、冷蔵庫を抱いて湖に入ったら苦しいだろうに。というか死んじゃうだろうに。しかし、冷蔵庫を抱いて湖底にいる、というのはイメージしてみると結構耽美な感じもする。
北多摩の炉心もんしろの瞬き 同
北多摩にある、炉心「もんしろ」の、瞬き(原子炉で起こる発光(?)だろうか)。それだけだ。でもこの完成度。長い回文なんて無理やり作るものだとしか思えないのに、この俳句に無駄な言葉がないばかりか、「しっくりくる」以上の言葉のはまり方は、内容も相まって不気味に美しい。
意味でなく「言葉」に寄り添うことで、生まれてくる感触は明らかに非現実のもので、そこには「実感」はない。でも多分、普段私たちが「感じている」と認識できる感覚が、人間が持っているすべての感覚ではないはずだ。回文俳句は「実感」をなぞるのではなく、「言葉」に重点を置くことで、認識していない、読み手の中のなにかを掘り起こしてくれる。滑稽で、怪しいのは、人間の中身なのかもしれない。
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2 comments:
「北多摩の炉心もんしろの瞬き」の句に「……
無駄な言葉がないばかりか、「しっくりくる」以上の言葉のはまり方は、内容も相まって不気味に美しい。」
名鑑賞ですね。納得しました。
不気味に美しい‥‥
過分なお言葉、ありがたき幸せ。
精進します。
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