卵形の石
水夫 清
静かな朝。公園の雪は降り積もったまま。若者たちが走ってくる。近くの学校の陸上部か。元気な声が近づき、そして遠ざかっていく。私はハドソン川の西岸にいる。川面を渡る風が恐ろしく冷たい。川沿いのその公園にたたずみながら、私はしばし視線をエンパイア・ステートビルの寂しげな尖塔に向けていた。
マンハッタン島のスカイラインが変わってしまった。あの日まで、そのスカイラインには二つの頂上があった。ミッドタウンのエンパイア・ステートビルとダウンタウンの世界貿易センタービルだ。その、後進で威勢のよかった世界貿易センタービルを無くし、エンパイア・ステートビルは最高層ビルの地位を再び獲得したが、こんな形でその栄誉が戻ってくるとは想像していなかっただろう。年老いた名士が若者の悲惨な死で再びスポットライトが当たったところで、どんな喜びがあるというのだ。澄んだ青空に尖塔が針のように突き刺さっていた。私はコートのポケットからメモ帳を出して短詩のような言葉を書きとめた。
clear day--
loud unheard voices
still hang in the air
晴れた日、
聞きとどけられなかった大声
まだ中空に漂う
freezing park--
my urine reminds
me how warm I am
凍てつく公園、
小水で知る
我が身の暖かさ
ニューヨークは今日も寒い。私は助手のカメラマンと二人で雑誌の取材中だ。『活(いかす)』というテーマでこの町の姿を撮影している。ニューヨークでは、新しいビルも建てられるが、古いビルの内装を作り替えることが頻繁に行なわれている。全面的な改装、古い物を残しながらの改装、新しい用途に応じて色々な、そしておしゃれな改装が行なわれているのだ。私たちは、室内空間がうまく活かされた個々のケースを撮影する前にまずは、マンハッタン全体の姿を撮影する計画だ。
ハドソン川西岸での撮影を終えて、私たちは今、マンハッタンの東側を流れるイースト川を跨ぐブルックリン橋の袂にいる。ブルックリン橋はこの街でもっとも古い建造物の一つ。一八八三年、つまり明治十五年ごろに世界初の鋼鉄ワイヤー製吊り橋が十四年の歳月をかけて完成した。その、石と鋼鉄の巨大な建造物を見上げながら、ここにも若者に先立たれた年寄りがいると私は思った。数年前まで、橋の背景にはあの貿易センタービルのツイン(双子)タワーがそびえていたのだ。ふと視線を落として、私の足もとに長年の風化で丸くなった小石があるのに気がついた。丸みのスムーズなものを数個拾い、コートのポケットに納めた。
Manhattan skyline--
I gather egg-shaped
stones by the river
マンハッタン・スカイライン
川べりで
卵形の石を集めて
助手が、川縁に立つ私のスナップを写してくれていた。橋とマンハッタンの町並みを背景にして私は、黒いコート姿で灰色の空を見上げている。帰国してからこの写真をもらったのだが、それを観ていて一つ私は思い立った。写真をコンピュータで立ち上げ、私のシルエットを切り抜き、コピーし、同じ画面にペーストし、反転し、双子の私が向き合うように配置した。写真はマグリッドの超現実的な絵のようになった。その写真に次の言葉を書き入れた。
twin children gone--
old Brooklyn Bridge
bears up in the wind chill
双児の子供たちは逝った
古いブルックリン橋
寒風に
私たちはブルックリン橋を通ってマンハッタン島に渡り、金融街をロケハンのつもりで歩き回って、そして中華街に出た。異世界突然出現。英語が公用語であることはまったく無視され、看板も路上の会話も異世界の言葉で溢れている。言葉だけじゃない。原色の赤が叫んでいるような町の彩りも得体のしれない匂いも、まるで異次元にスリップしたようだ。アジア的カオスが、石とコンクリートの冷たい町にマグマのように噴出している。なにやら物騒な雰囲気があるし、人相の悪そうな連中が散見されるので、助手はカメラバッグを両手で抱えるように持っている。
「ここで昼食にしよう」
えっ!というような顔をした助手を誘って、私は歩き出した。私はアジア的カオスが嫌いではない。この喧噪と混沌の中で地元の人のように、通のように飯を食いたかったのだ。私たちは、狭い路地を歩いて、とある食堂に辿り着いた。腹を空かせた中国人で満員だ。そのほぼ全員が多少の時間差を置いて私たちに視線を投げかけてくる。似た様な顔をしているのに、私たちが中国系ではない、と分かるのだろうか。
「師匠、このメニューじゃ、何がなんだかわかりませんね。漢字を見てもどんな料理か検討がつかない」
写真学校を二年前に卒業した助手は、私を「師匠」と呼ぶ。そう呼べと言ったわけではない。私はごく普通のコマーシャルカメラマンだが、幾つかマイナーな賞をもらったりしていたので、彼はそう呼び、呼ばれる私もまんざらではなかった。助手は、あきらめ顔でメニューをテーブルに戻した。戻し方が少し乱暴だった。腹が減るとだれでもイライラしてくるものだ。加えて厳寒の中での撮影だったから無理はない。 「注文は『師匠』にまかせておきな」
私は、漢字とその下に書かれた英語を見比べながらメニューを研究した。
若い娘が水を持ってきた。当日のお勧めメニューは、牛肉と塩漬け魚のミンチがのっかった蒸しご飯だという。牛肉とご飯という言葉が気に入って、私はそれを注文した。さらに、野菜の炒め物らしき料理と卵なんたらのスープも頼んだ。オーダーを通している娘の後ろ姿に眼をやりながら、私はプラスチックのコップから水を飲んだ。助手も私にならっておいしそうに水を飲んだ。そして、両手をこすり合わせながら私に言った。
「しかし、午前中は寒かったですね。射すような寒さという表現はどこかで読んだことがありますが、実感したのは始めてです」
食堂の暖房が助手のイライラを和らげたようで、顔に少し赤みが戻っていた。
「そうだな、こんなにも寒くなる場所に、よくこんな大都会が出来たものだ」
「でも、室内はばかみたいに暖かいですよね。ほら、あのテーブルの連中はT-シャツですよ」
助手が眼で示したところには若者たちがテーブルを囲んでいる。どの椅子の背にも毛布の固まりのようなロングコートが引っ掛けてあった。ロングなのでコートの端がリノリュームの床に垂れている。
客はひっきりなしに出入りしていた。よく流行っている店のようだ。こういうところはうまいものを食わせるに違いない。それになにしろ料金が安いのが嬉しい。
食堂の一角にカウンターのようなものがあり、太ったおばさんが忙しそうに立ち働いて、彼女の前には幾筋ものスチームが威勢よく立ち上っていた。先ほどの若い娘がそこからドンブリを受け取り、私たちのテーブルに持って来た。注文の品だ。ドンブリに木の蓋が乗せてある。私たちは勢い込んで蓋をあけた。臭いが鼻を突いた。何だ、これは。糞のような悪臭。私たちの大きく膨らんだ期待感は一瞬にして縮んでしまった。周りのテーブルで同じものをうまそうに食っている連中もいるが、私たちはなんとか数口食べたものの、ついにギブアップしてしまった。
「これは、フナ寿司とか、クサヤのたぐいだな」
「いや、まったくすごいものですね。こんなものでも慣れたら美味いんでしょうか」
助手は注文を決めた私を恨めしそうな眼でみた。幸い、追加で注文した料理は比較的まともだったので、空腹をとりあえず押さえることはできたし、「師匠」の面目も多少は保てた。
店を出て、広い通りまで歩いた。行く先の歩道に人の群れが出来ていた。近づいて人垣越しに見ると、色鮮やかの衣装を着た若者たちが見えた。何らかの祝い事が始まるようだ。すぐ側には派手に装飾が施された店があった。この店の開店祝いなのだろうか。若者たちの側にはこれまた度派手な神輿のようなものがあり、さらに歩道には真っ赤な獅子が横たわっていた。
street performance
a red creature
waits for its turn
大道芸
異界の赤い生き物が
出番を待つ
そこでは何枚かスナップ程度の写真を撮り、私たちはさらに歩いた。中華街が途切れた、と思ったあたりからイタリア風の店が目立ち始めた。ここがリトル・イタリーと呼ばれる地域か。アジアの喧噪が嘘のように蒸発し、ヨーロッパの古い町並みに変わった。行く手に赤白緑の国旗が掲揚されている店が見えてきた。レストランのようだ。
「食後のコーヒーでも飲むか」
私は、失われかけた「師匠」の威厳を取り戻すかのように、さりげなく呟いた。
「いいですね」と嬉しそうに言う助手を引き連れて、その店に入った。出窓のある場所に席を取って、私はさっそくウエイターを呼び、カプチーノを注文した。ウエイターは少し度惑ったような表情をして私に尋ねた。
「サー、カプチーノは朝の時間だけお出ししております。そういう習慣なのです。エスプレッソでもよろしいですか?」
「そ、そうでしたね。それではエスプレッソで」
ウエイターが去ってから、助手が私に尋ねた。
「彼は、今何と言ったのですか。なんだか変な顔つきでしたね」
いや、なんでもない、と私は軽く答えた。助手は英語が分からないのだ。それで、よかった。また、「師匠」の威厳を損なうところだった。しかし、隣のテーブルに座っていた東洋系の男性が私の方を観てにやにやしている。今のやり取りを聞かれてしまったようだ。日本じゃ何時だってカプチーノが飲めるんだぞ、と言ってやりたい気分だ。いやな奴だ、と思っていると、その男性が立ち上がって私たちのテーブルにやってきた。
「観光でニューヨークへ?」
男は、立ったまま日本語で愛想よく尋ねてきた。私は、心中とは裏腹に大人の対応で応えた。
「仕事で来ています。雑誌の写真取材なんです」
「そうですか。あの…同席させていただいていいですか」
私は、「ど、どうぞ」と言って助手の席の隣を示した。
「僕はロバートと言います。ロバート・ヤマナカです。ボブと呼んでください」
ボブは真っ白な歯を見せながら私たちに元気よく握手を求めた。ボブは日系三世で、建築家の卵であると自己紹介した。コロンビア大学で建築を学んでいる、近くの、ソーホー地区にある建築事務所で、アルバイトをしているとも言った。屈託のない明るい話し方をする若者だ。それが気に入って私は彼への第一印象を捨てた。
ボブの専門にも関係があるので、私は今回の取材目的をかいつまんで話し、撮影場所のリストを作ってもらってきていたので、それをボブに見せた。
「…なるほど。眼の着けどころがいいですね。この町の改装レベルは一流ですよ。僕のバイト先では仕事の半数以上がビルの改装です。最近では、ある日系団体が運営する文化センターのために、十三丁目にある古いビルの一階を改装しました」
「私たちは今日、あちこちとロケハンで回りましたが、確かに改装が盛んだ。ビルの外観は古いままだが、歩道レベルにある店などは実におしゃれな改装をしていますね」
「マンハッタンに建つビルは築百年前後の物が多いのです。石と鋼鉄で出来ていますからまだまだ使えるでしょうね。この町は常に新しい人口が流入し、新しいビジネスや活動が始まります。そういう動きを吸収するには建て替えより改装するほうが手っ取り早いのです」
「それでもいつかは建て替えの時期が来る。物体は有限ですからね」
「でも、人々の活動は、無限とは言えませんが、延々と続きます。この町には常に新しい人々が入り込んできて新しい活動を始めるんです」
私はエスプレッソをゆっくり味わいながら、有限と無限という言葉に少し留意した。ボブは私が見せたリストに再び目を落としている。
「ビルディングというのは人間に似ていますね」と私はコップをテーブルに戻しながら言った。
「人間に、ですか…?」
「そう、人間は体と心で成り立っています。ビルの本体が人間の体で、その中で展開する活動が人間の心、と言えるんじゃないですか」
「なるほど。でも、人間って体と心だけでしょうか。魂というのはどうなりますか。もしそういうものがあるとしてですが」
「もちろんありますよ。魂は種みたいなもので、体という土壌に入ると種が芽や根を出したりするように動きだします。この動きが心だと思います。ですから魂と心は一括りにしていいと思います」
「人間の場合は、その心から色々な考えが生まれ、それが活動となる、そしてその活動が体を通して展開される、ということですね。そう考えるとビルの例えはしっくりきますね。僕は仕事で市内のビルを見て回ることがありますが、使われていないビルというのは屍みたいなんですよ。でも、そこで人間の活動が始まるとビルは息を吹き返すんです。新しいビルも人が活動を始めてやっと生き生きしてくるのです」
「それと同じことが人間にも起こります。人間の命は有限です。いつか死が訪れる。でも魂は屍から抜けて、しばらくしてから赤ちゃんの体に入り込んで新しい人生を始めます。魂は生まれ変わりを永遠に続けるんですよ。体は有限、魂は無限ということです」
「ということは、人生は一回だけじゃない…」
「体は一回限りですが、人間の核である魂はそうじゃない。魂には、過去、現在、未来があるんです」
「にわかには信じられないけれど、死後のことは誰も知らないのですから、生まれ変わるという考え方はあり得ますよね。この世にまた生まれ変わってくる、ということを前提にすると、今の人生の生き方を考え直さなくてはいけない…かな」
ボブは腕組みをして首を傾けた。
「そうなりますね。今の人生で世の中をむちゃくちゃにしてしまえば、生まれ変わったときに困る事になります。逆に今の人生で世の中をより良くしておけば、生まれ変わりが楽しみになります」
「なるほど、エコ意識の一つの根拠ですね。ところでビルの改装というのは、人間に例えるとどうなりますか」
「外見の体はそのままで内が変わるということになりますね。改心するということになるのでは」
「改心か…つまりリフォームですね」 ボブは胸前に組んでいた両腕をほどきコーヒーカップに手を伸ばした。
「あの…」と助手が遠慮がちに声をかけた。
「あの、ちょっと分からないんですが、日本では家の改装のことをリフォームと言うんです。この言い方は正しいのですか」 ボブは助手の方に体ごと向けてこの質問に答えた。
「ちょっと違うようですね。リフォームという言葉は、改革と言うような意味になりますね。たとえば大文字のRでReformation(リフォメーション)と書くと、これはマルティン・ルターが主導した宗教改革のことを指します。つまり、体制や制度、さらに事態のようなものをより良いものに改めるのはリフォームです。改心するという場合にも使うんです」
「じゃ、改装のことをリフォームというのは日本独特の言い方なんですね」
「ひょっとして、日本ではリホーム、つまり英語にするとre-homeというような意味合いで使っているのかもしれないな。もっともこんな綴りの英単語はないけれど」と私が指摘した。
「でも、その言葉はおもしろいですね。『もう一度家庭らしくする』という感じがこめられていますよ。新しい造語ですね」 ボブは再び白い歯を一杯に見せながらそう言った。
そんな会話を続けていて、最後にボブが文化センターに案内すると言い出した。改装場所の撮影は明日からの二日間に予定していたので、時間はある。ボブの事務所がどんな仕事をするのか興味が湧いたので、私たちは誘いに乗った。
文化センターまでは地下鉄で移動した。十四丁目で下車し、地上の出口から一ブロック歩いて十三丁目の文化センターに辿り着いた。
くだんのセンターは、十五階建のコンドミニアムの一階にあった。以前はコマーシャル写真のスタジオだったそうで、そのなごりは床板とギリシア風のエンタシス柱だけだ、とボブが説明した。センターの前に、ロゴを染め抜いた大きなバナーが寒風に震えていた。比較的狭い入口を入ると吹き抜けの広い空間が現れた。なるほど床は年期が感じられたが、きれいに磨きがかけられている。エンタシス柱はこのビルの大黒柱である鋼管が中に通っているとのことだった。それにギリシア風の細工が施されているのだ。
室内の四面の壁の二面に沿って中二階が出来ている。その部分の一、中二階には事務所や会議室になっていて、奥には日本語の教室が二室あった。間仕切りはすべて厚い磨りガラスだ。外光の入る窓が道路側に大きくとってあるが奥行きがあるので、その光をできるだけ取り込もうとの工夫だそうだ。
私たちは吹き抜けのホールに立っている。ここでは室内楽のコンサートや展覧会が企画されるそうだ。その時も夜のコンサートのために椅子が並べられてあった。壁には、近くにあるパーソンズ美術大学の学生作品が展示されている。 学生作品には立体もあり、その一つは電話受話器の彫刻で、窓側の床の上に展示されていた。幾十もの受話器が電線で繋がれている作品で、まるで、絡まったスパゲティーのようだ。床に広げて展示されているので、今日のように演奏会とぶつかるたびに彫刻は隅っこに積み上げられる。イベントが終わればもとにもどされる。何らかのイベントがほぼ毎日開催されるので、彫刻は伸縮を繰り返すことになる、あたかも生き物のように。この状態が作品の意図とは思えないが、それが私にはおもしろいと思えた。
midnight city--
tangled phone receivers
come alive again
夜中の都市
絡まった受話器が
息を吹かえす
文化センターは、なかなかおしゃれな空間になっているので、予定にはなかったが私は撮影することにした。ボブに責任者を紹介してもらい、許可を得てさっそく撮影を始めた。
「僕はそろそろ事務所に戻らなければなりません」
ボブが、カメラを準備中の私に言った。
「そうですか。今日はどうもありがとう。良い所を紹介していただきました」
そう言って私はコートのポケットから石を一個取り出した。イースト川で拾った石だ。それをボブに差し出した。
「お礼の印にこれをどうぞ。ただの石ですが、きれいな形をしているでしょう」
「ほんとうですね。卵形をしている。色も卵の殻みたいですね」
「ペーパー・ウエイトにでもなるでしょう」
ボブは石が気に入ったようで手のひらで転がしている。
「石の卵…か。石で出来たこの町の卵ですね。新たな創造が詰まっているかもしれませんね」と言ってボブはウインクを返した。
その夜、私は日本に電話をした。気になっていたことがあったのだ。呼び出し音がしばらく続いて、やっと相手が出た。
「もしもし、中村ですが」
「電話に出ていただいてよかった。清田です」
「清田さん……」
「今、ニューヨークからかけています」
「そんなに遠くから…」
「あの日、あんな別れ方をしたままだったので気になっていました」
「…もう、いいんです。どんな別れ方をしても別れは…別れですから」
「数日後に帰国します。もう一度会えませんか」
「…このままに…しておきましょう……そのほうがいいんです」
「帰国したら、お電話します」
「……そちらは、今、夜ですね。おやすみなさい…さよなら」
snowy night--
as if to hold her fading
voice my grip on handset tightens
雪降る夜
消えゆく声捕らえんとして
受話器握りしめ
翌朝、ベッドの横にある電話が鳴った。時計を見るとまだ七時前だ。中村さんからだろうか。私はベッドから慌てて上体を起こし受話器を手にとった。『中村さん?』と言いそうになったところに「もしもし、私です」という助手の声が聞こえた。
「どうしたんだ、起床は七時半という約束だったろう」
「すみません。でもあの…ちょっと窓の外を見てください。雪ですよ、今日は」
私は受話器をベッドに置いたまま、窓辺に立ち、カーテンを開けた。雪だ。それどころか吹雪いている。向いのビルがぼんやりとしか見えない。まずいな。私は額を窓ガラスに押しつけながら呟いた。そして再び受話器を手にとって、もう一度「まずいな」と助手に言った。
「…ですね。で、どうされますか」
「ム……、まず飯だ。朝飯を食いながら考えよう」
私たちは一階にあるカフェで落ち合った。
昨日はマンハッタンを東西から撮影したので移動はタクシーを使った。それにけっこう経費がかかったので今日は地下鉄を利用する予定だったのだ。しかし、この天候では地下鉄から取材地までの移動がままならない。幸い撮影は室内なので天候には左右されない。
「よし、今日もタクシーで移動しよう」
二つ目の目玉焼きを食べながら私は言った。レンターカーという選択もあるが、マンハッタンでは駐車場を探すのが至難の技だ。それに不案内な都会で雪道を運転するのは躊躇われる。タクシーの経費がオーバーする分は私がカバーしなくてはならないが、今回は背に腹はかえられない。
九時に私たちは、ホテルの前に待機していたイエローキャブに乗り込んだ。午前中に二カ所のレストラン、午後からは三カ所、その中には大手デザイン会社のアートディレクターのアパートも含まれていた。なぜ個人宅がリストに含まれているのか不思議に思っていたが、現場をみて納得がいった。
セントラルパークを見下ろすことができる築百十五年の建物の十四階にその部屋はあった。ペントハウスだ。まず驚いたのは室内の壁がすべて曲面になっていることだ。ゆったりしたカーブ、きつめのカーブ、それらの組み合わせで全体としては優しい空間を造っていた。とげとげしい直線が支配するこの町で生きる人には、この空間はオアシスになるだろう、と思った。ベランダは広く、枯山水の庭があり、さらに一角にはガラス張りの茶室までしつらえてあった。セントラルパークを眺めながらお茶を一服戴いたらさぞ気分がよかろう。
そんなおしゃれな場所を次々と移動しながら撮影を続けた。そのつどタクシーにお世話になり、予定通りに撮影が進んだ。最後の店舗での撮影を終えて私たちは再びイエローキャブに乗り込んだ。そのタクシーの運転手はプロレスラーのような巨大な体格をしていた。運転席の日よけにアーノルド・シュワルツネガーの写真が飾ってある。引き締まった顔に健康そうな歯が光っている。
「シュワルツネガーのファンなの?」
私はホテルの名を告げたあと、運転手に尋ねた。車をゆっくり出しながら運転手は後ろを振り返って、そうだよと答えた。なまりのある英語だ。東ヨーロッパ系の人か。この町のタクシー運転手には移民が多い。中近東、インドなどからの移民だ。雪道なのに車はけっこうなスピードで走っている。ハンドルをぐいぐい動かしながら運転手が言った。
「俺はスロベニアから働きに来ている。ボディービルが趣味でね。アーノルドはオーストリア出身だが、まあ、俺と同じヨーロッパからの移民だよ。彼はボディービルでアメリカン・ドリームを実現した。俳優で成功しただけではなく、カリフォルニア州知事にもなった。奥さんがケネディー家の人だし、これからは政治の世界で活躍するだろうね。レーガンのように元俳優が大統領になれる国だからひょっとしたらひょっとするかもな。もっとも、現行の法律では移民一世は大統領になれないそうだが、その法律を改正しようという動きがある。アーノルドがどこまで行くのか楽しみだよ」
運転手はそう言ってからチラッと私の方に振り返り、目を輝かしながらさらに言った。
「俺にとっては、アーノルドはアイドルだよ」
大男が『アイドル』という可愛い言葉を使ったので私は可笑しくて吹き出しそうになった。それは飲み込んで大男に尋ねた。
「どうだい、ハリウッドからのお誘いはあるかい?」
「三月の始めにはオハイオ州のコロンバス市に行く予定だ。アーノルド主催のボディービルの大会がある。そこで賞をとれば道が開ける。アーノルド本人にも、そこで会えるし」
「グッドラック・ツー・ユー」
「サンクス、アイ・ニード・イット」
降雪は相変わらず続いていた。道端にはかき集められた泥まみれの雪が土手を造っている。この町に降り下りて来る白い結晶の内、どれだけがその輝きを保つことができるのだろう。私たちを載せたタクシーは、その土手に沿って走り続けた。
Having acquired citizenship, though,
Schwarzenegger's muscle
remains import
シュワちゃん市民権取れど
筋肉は輸入品
ホテルに着いて、私はチップ込みで料金を払った。そして例の石を一個、運転手に手渡した。
「なんだい、こりゃ?」
「石の卵。アメリカン・ドリームが実現するためのお守り、とでも思ってよ。イースト川で拾ったんだ。エキストラ・チップだよ」
「なんだか分からないが、いい形をしている。ここに飾っておくよ」と言って運転手は石をダッシュボードの上に置いた。
「明日は晴れるそうだ。良い旅を。それじゃ」と言い残して運転手は車を出した。
翌日は、確かに晴天だった。そのおかげで予定の撮影は午後三時前に終了した。時間が少し余った。最後の撮影地が近年ショッピング街に変身したソーホー地区だったので、そのあたりで適当な店を探し、予備の撮影をしておくことにした。
プリンス通りを少し下ったところにアップル・ストアーがあった。元々は郵便局、その後食器や台所用品を売る店に改装され、今はコンピュータ会社のショールームになっている。ガラスが多用された近未来的なインテリアだった。私は店の人に撮影の許可を求めた。しかし、保安上、写真はだめ、と店の責任者は言う。宝石店ならいざ知らず、たかがコンピュータごときで保安云々と固い事を言う。それでも、助手が店内を歩き回りながら、さりげなくスナップを何枚か撮影したようだ。
次はプラダの店に入る。ここはグッゲンハイム美術館の分館があった場所だ。美術館だから相当広いスペースがある。それがすべてブランド店に改装されたわけで、室内は遊びのあるデザインを優先したインテリアになっていた。ここでも許可を求めると、五番街にある本店の了解をもらってくれ、とマネージャー氏はつれなく言う。時間がないんだ、私たちは明日の朝帰国する、と私は少し憮然として応えた。
SOHO show window--
the sunlit ass
of a naked mannequin
裸のマネキンの
陽光に照らされた尻の
微笑み
私たちは歩道に出た。日差しはあるのだが、ビルの谷間を吹き抜ける風のせいかちっとも暖かく感じられない。周辺の細い道をしばらく歩き回った。以前は軒並み続くようにあった画廊の多くは、家賃の安価なチェルシー地区や川向こうのブルックリンに移ってしまっていた。私が美大に在学中、休みを利用してニューヨークに来た事がある。その当時、このあたりに多くの芸術家が仕事場を持っていた。私には、いっぱしの芸術家気取りでこの辺を歩き回った記憶がある。芸術家たちもマンハッタンを出て、そう、あのブルクッリン橋を渡ったあたりの地区に移り住んでいるそうだ。
工事中らしき空き地を通りかかった。三方が、隣接するビルの汚れた壁面に囲まれた狭い空き地だ。巨大トラックが一台、眠ったままだ。そうか、今日は日曜だった。何もかもが大きめの米国で、トラックも例外ではない。そのトラックにカメラを向け、私はスナップを一枚撮った。ファインダーを覗いていて、全面無彩色といえる画面の中に小さな青色を見つけた。フロントガラスの一部に反射した青空だった。
cityscape--
almost unnoticed
reflection of a pristine sky
都市光景
原始の青空
気付かれず映り
帰国して数日が過ぎた。今、私はニューヨークから持ち帰った石を手に乗せて眺めている。最後の一個だ。「別れた」人とは連絡がとれない。
私は引き出しから小さな箱と藁の縄を取り出し、机の上に置いた。そしてまず縄を解き、それをほどよい長さに切り揃えて小箱の中に敷いた。鳥の巣のように形を整え、その真ん中に卵形の石を置いた。それから無地のグリーティングカードを広げ、まず「別れた」人の名前を書いた。その後に『おみやげです。温めて戴ければ幸いです。清田』と書き添えて、小箱に納めた。
hatching from
egg-shaped stones--
new life, dream, and more
卵形の石から
孵化してくるもの
創造、夢、それから……
(了)
■
2009-07-12
水夫清 卵形の石
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2 comments:
現代の「おくのほそ道」として楽しく拝読いたしました。
HAIKUを交へた紀行小説はとても新鮮です。
freezing park--
my urine reminds
me how warm I am
思はず共感です。
しかし、彼の地の公園で立ち○○○して捕まった人も
ゐたやうですから、この感覚を十全に味はふのは
アメリカでは難しいかもしれませんね。
midnight city--
tangled phone receivers
come alive again
wirelessの現代では、この景はすでに
郷愁を感じさせるものになりましたが、
目に見えない電波の錯綜はもっと不気味です。
それを暗示させる句ですね。
cityscape--
almost unnoticed
reflection of a pristine sky
cityscapeとpristineの取合せが効いています。
ガラス張りの摩天楼に映る空は「原野」とともに
私見ではアメリカのシンボルです。
ところで、一行目に「切れ」をおく
所謂「○○○○や」の型を多用されてゐますね。
HAIKUででもこれが基本型になり得るとお考へでせうか。
ご教示くださいませ。
俳句と文章の組み合わせという形式は俳句自体をより多くの人々に味わってもらえる手段ではないかと考えています。切り詰めた内容の俳句は、それのみではミニマルアートのようで、味わえる人を限定してしまうように感じます。俳句に、俳文や俳画の伝統があるのは、ミニマル性を補う手段なのでは、と考えています。
公園では、一応公衆トイレで用を足しましたから、ご安心ください。(それでも恐ろしく寒かったのです)
Haikuでは切れを二行目にもってくることも多々あります。
この俳文の場合はたまたま一行目のものばかりになりました。切り方もいろいろで、"---""..." や","それから切れが明確な場合は何も無し、という風です。句n気分にあわせて使い分けます。
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