明日という字は明るい日と書くのね
中嶋憲武
ほぼ毎朝、勤務地の駅に降り立つと駅前のドトールに入りびたる、真正ドトーリストであるが、ここの冷房装置が頗る効いている。吹き出し口がもうもうと白い。冷凍庫のなかのようである。小一時間もいると、ぼくなどはひどく寒くなってしまう。長袖のものが欲しいくらいだ。あるとき冷房を弱くしてくれろと注文しているお客を見たことがある。極寒と思っているひとは、ぼくだけではないようである。いつも座る席の周囲の客たちは、一向に平気の平左衛門でのんびりと新聞など読みふけっている。そしてこの寒さのなかでアイスコーヒーなど誂えている。ぼくは腸が弱いので、そんな蛮行に及ぶと覿面に下ってしまう。剣呑剣呑。いつもホットコーヒーだ。今朝もぶるぶる震えながらアナトール・フランスを読んだ。と、こんなことを小島慶子んところにメールしてみるかと考える。
日が高いうちに仕事が終ったので、すこしぶらぶらすることに決心する。なぜか頭のなかで舟木一夫の「ロックンロール愛知県」つー曲がリフレインする。しばらく歩くと仕事場の近所でよく見かける猫がいたので、「猫猫、猫ちゃん」と声をかけると、猫は「んぎゃあ」と言って甘ったれみたように、ごろんと転がり腹を出した。頭を撫でていると、満足そうに目をつむっていたが、不意に耳をそばだて、キッと起き上がるとすたすたとどこかへ消えてしまった。こういう潔さ、見習いたいものだ。と、こんなことを小島慶子んところにメールしてみるかと考える。
浅草ビューホテルの裏口から入り、猫に触れた手を洗面所で洗って表玄関から出る。出るとき、ドアボーイの青年に「ありがとうございました」と言われる。
浅草寺境内を歩いていると、時節がら夏休みのシーズンなので家族連れが三三五五居て、その家族連れの6、7歳の子どもが空を見上げ「気球だ。気球」と叫び、「おーい、気球。気球」と手を振った。見上げると、頭上を折しもツェッペリンが、いやヒンデンブルクが、いいやツェッペリンが、いやヒンデンブルクが、いいやツェッペリンが一機ゆったりと飛行しているのだった。その子の母親らしき人が「気球に呼びかけても、聞こえやしないでしょう」と笑いながら言った。せっかく子どもらしい頓知を発揮しているのに、母親は大人の常識を振りかざし抑制してしまう。天分を伸ばすことすら出来ない。これでは山村暮鳥だって「おうい雲よ ゆうゆうと馬鹿にのんきそうじゃないか」などという詩も生み出せまい。飛んでるのは飛行船であって、気球じゃないし。
浅草寺門前の荒神さまの「なでぼとけ」を丁寧に撫で回しているご婦人を見かける。遠くからぱっと見たとき、誰かと抱き合っているように見えたので、こんな場所でこんな臈たけたご婦人がと思い、見直してみると、なでぼとけのつるつるの頭や肩を丹念執拗至極に撫でているのだった。撫で終わるとそのご婦人は、45度のお辞儀をするとその場を去った。どんなものだかちょっと見てやろうという気が動いて、近づいてみるとそのなでぼとけはにやりと笑った。頭や肩、膝頭はよく撫で回されていると見えてぴかぴかに光っていた。まさにいまのきみはぴかぴかに光ってである。ぼくはなでぼとけの頭を撫で回して5度のお辞儀をした。なでぼとけ様は再びにやりとした。
江戸の安政のころ、夏になると伝法院では百物語なる催しが行われていた。一室に百人が集まり、ひとりずつ取って置きの怪談を話す。話終ると目の前の蝋燭を吹き消す。最後の一人が話終って、蝋燭を吹き消すと物の怪が現れるのだという。それでとうとう最後の一人が話終って、蝋燭を吹き消し、一同暗闇のなかでまんじりとしていると果たして、物の怪が現れ最後の一人を食い殺してしまったそうな。こんな恐い話を子どものころ、川崎大治の書いたもので読んだ。
ヨシカミでチキンライスを食べて、アンヂェラスでコーヒーを飲んだ。二階の窓際の席。いつもの席だ。アナトール・フランスは一行も進まず、外を見ていると通りを少女が通る、犬が通る、天璋院さまのご祐筆が通る、巡査が通る、老婆が通る、坊さんが通る、関敬六が通る、娘さんが通る、板前が通る、一寸法師が紙包みを小脇にして通る。あの紙包みのなかにはきっと若い女の片腕が入っているのだ。
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2009-08-30
明日という字は明るい日と書くのね 中嶋憲武
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