商店街放浪記22 大阪 福島聖天通商店街 後編
小池康生
商店街はナマものである。
刻々と変化を遂げる。
だから、始終行っても変化を楽しめるし、久々に行くと驚きが大きい。
昔、大好きだった商店街にがっかりすることもある。
この福島聖天通り商店街がそうだったのだが、路地裏荒縄会の筆ペンさんがもたらす情報が、印象を変えていく。
観相学の大家、浪速の相聖、水野南北が“不良”をしていた頃、聖天さんの院主に奮起を促されているらしい。
聖天さんには、北前船を走らせる高田屋嘉兵衛も参拝していたらしい。
聖天山には芭蕉も訪れ、杜若の句を詠んでいる。
しかも、大阪の四大商店街に数えられていたらしい。
異なる時代にエピソードを持つ商店街というわけである。
そんな話を筆ペンさんから聞きながら、散策している。
町家や、鉄筋コンクリートの一戸建てがお店として並ぶ商店街を眺めながら、侘び寂びのなかにも、興味深い飲食店や、アーチストの存在していそうな店が見受けられる。
釣瓶落としである。
メンバーから、聖天さんが開いている内にお参りしようと意見がでる。
そうしよう。
メンバーが、電気店のおばさんに、聖天さんの位置を訊いている。
<聖天さん>、こういう言い方を他府県の人たちはするのだろうか。
大阪人は、なんでも<さん付け>である。
稲荷神社は、「おいなりさん」。
ちなみに、稲荷寿司も、「おいなりさん」。
戎大黒は、「えべっさん」。
仏様も「ほとけさん」である。
食べ物の、芋も、「おいもさん」。
神も、仏も、喰い物も<さん付け>。
とてつもなく平等だ。
基(もとい)。
聖天さんにお参りに行くのである。
商店街を逸れ、すこし戻る。
日は暮れている。こんな時間に入れるだろうか?
果たして・・・。
鳥居が見える。山門が見える。
・・・うん?ここは見覚えがある。そうだ、わたしはここへ来ている。
通称、聖天さんと呼ばれているが、正式名称は、如意山 了徳院。
すでに日はとっぷりと暮れているが、境内に入れた。
くらがりのなか、うろうろし、本堂に参る。
<富を与えて男女仲睦ましくなり、子宝に恵まれる>いう<歓喜天>に諸々のお願いをする。
そして、次は、お不動さんにお参りする。
筆ペンさんからお不動さんについての蘊蓄を行く。
赤レンガさんが呼応して、語り出す。
神仏混淆のこの場所が面白くて仕方ないようすだ。
いつものようにわたしを除く三人は高画質の写メールを撮り出す。
しかし、どうも、ペーパーさんが弾まない。
どうしたのだろう。
境内は、広く感じられる。
実際の広さはともかく、解放的な雰囲気がわたしに空間のよろしさを感じさせる。
とくに、四阿のようなところに魅かれた。
なんでもない簡易なスペースだ。
別に美しい場所でもない。
煙草嫌いのわたしが忌嫌う灰皿もある。
しかし、ここには人の集まる痕跡がある。
こんな日の暮れた時間に境内に入れることもそうだが、お不動さんにも靴を脱いで近づくことができた。
「開放的ですねぇ」
これが四人の口から出てきた言葉だ。
今、寺は悩んでいる。
『寺よ、変われ!』(岩波新書) 、『がんばれ仏教!』 (NHKブックス) など、寺の危機、寺の存在意義を問う本が売れているし、実際、私が「親しくしている寺のボン(息子)が、憂いている。
「今はいい。でも次の世代、その次の世代は寺に来ないかもしれない」
と危機的な未来を憂いているし、そういう危機感を持たずにいる寺もあるようだが、確実に寺を訪れる人は減っている。観光寺ではない街の寺は、人が来ないもだ。
檀家は、先祖代々世話になった寺にも、どうして行けばいいかわからないのだ。いや、もっともっと絶望的に興味や存在意義を感じず、必要にも思わず、寺と無関係になっている。
檀家という言葉には、かつて永遠性があったのかもしれないが、今、寺に足を運ぶ世代の次か次の世代で、檀家と寺の関係は劇的に変わる。
寺が変わるのではなく、寺と檀家の関係は決定的にかわる可能性高い。
だから、寺が変わる必要があるのだ。
気軽に入れない寺がどれだけあることか。
一日中、門を閉ざす寺がどれだけあることか。
檀家の次なる世代は、寺を知らないのだ。
寺を知らないし、寺と親しくなる方法も知らないし、その気もないし、その必要も感じていないのだ。
だから、寺が変わらなければいけない。
『寺よ、変われ!』のなかで、寺が死のビジネスにかかわるだけでなく、生者の役に立つことが必要というようなことが書かれていた。
その通りだ。
この聖天さんには、それとは別の空気がある。
実際のことは知らない。
しかし、大の大人たちがとっぷりと日の暮れた時間に訪れ、自由に過ごせた。
なんでもないことだが、なかなかこうはいかないだろう。
「あぁ、開かれているなぁ」と感じる。
閉ざされているかどうかの空気は誰にでも分かる。
生きているわたしたちを面白がらせた。
ここが、福島聖天通りの<へそ>というわけだ。
筆ペンさんは大いに語り、大いに写メを撮っていた。
赤レンガさんもばちばち写メをシバいていた。
ぺ―パーさんはいつものように微笑みつつうろうろしながら、しかし、どこかおとなしかった。
境内を出て、私たちは商店街に戻り、中華彩館「袁」に行った。
筆ペンさんが、句会仲間と何回か訪れた店らしい。
ここも良かった。
裏メニューと印刷された料理を主に注文したが、なかなかのものだった。
最初に頼んだ料理は辛みソースが旨く、料理を食べたあともそのソースを返すのが惜しく、
「これは下げないで」
と赤レンガさんが皿を抱えこんだ。
皆おなじ気持ちである。
他の料理にこのソースを付けて食べたものだ。
手ごろな値段で結構な料理を色々食べた。
料理がひと段落つくたびに料理人に袁さんがテーブルに来て、片言の日本語で次の料理を勧める。
いい夜であった。
後日、ペーパーさんからメールが来た。
夜の寺や神社、そういうところは前から苦手だったということが書かれていた。
当日も、写メを撮り出したものの、すぐに「ボッ」と音を立て、カメラ機能がおかしくなったらしい。
しかし、あの料理は口に合ったらしく、翌日、家族を連れて行ったとのことだ。
ペーパーさんには、翌日の商店街があったのだ。
きっと、一夜明けて、商店街の別の顔を見たことだろう。
商店街は刻々と色々な顔を見せるのだから。
冬浅き靴の埃を払ひけり 川崎展宏
(以上)
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2009-11-15
商店街放浪記22 大阪 福島聖天通商店街 後編 小池康生
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