〔週俳12月の俳句を読む〕
馬場龍吉
近くにあるものと遠くにあるもの。
どちらが心を動かすのだろう。
すぐ目の前にあるものが「近景」だから、俳句では「近景」と敢えて使うことはない。それに対しての「遠景」という言葉はなんと魅力的な言葉なのだろうか。遠いという距離感はすぐに手の届く距離ではない分、そこに心が介在作用してくるようなのだ。
息やめてしまふが別れ掛布団 長谷川櫂
俳人、川崎展宏氏の逝去を悼む紙碑としての10句の連作。いままで身近に居た人にいきなり黄泉の国へ旅立たれた掛布団の哀しさ。展宏氏の〈人間は管より成れる日短〉の対句に櫂氏の〈人間に管を継ぎ足す寒さかな〉。展宏氏の作品は病身につながれたさまざまな管の医療器具でもあるのだろうが、肉体そのものがさまざまな血管によって成り立っていてその血管を流れる血液の冬の一日を詠まれたようでもあるのだが。
春を待つ心句集を待つ心
遠くに逝ってしまわれた展宏氏への思慕を「句集を待つ心」で締めくくった悼みの心でもある。
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父は母かこのメビウスの春の道 鳴戸奈菜
父と母はいつまでもどこまでも故郷である。そして父の厳しさは見方によっては母の優しさでもある。逆にも言えることだが。そう思うと父と母はつながっている。まるでメビウスの輪のように。遠く彼方に居る父母へはこのメビウスの道があればいつでも会えるのだ。春の道にはそんな気持ちにさせてくれる明るさがある。
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綿虫は父の便りのやうに来る 高橋雅世
そう言われてみるとそう思う。ということが口癖になりはしないかと心配になるのだが、言い得て妙。きっと父の便りは寡黙であることであろう。綿虫のあの飛びかたを見て冬の間近さ、雪の間近さを感じるのだが、そこに父の顔を思い出しているのだ。〈鉄塔と鉄塔遠し十二月〉からも、聞こえるはずのない遥かに遠い電線の虎落笛が聞えてきそうなところが不思議。遠景のよろしさだろう。
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すこやかな日をしまひけり毛糸玉 藤 幹子
あたたかみのある作品である。「すこやか」からくる印象は赤ちゃんか子供の編み物をしているのだろうと思われる。そこはかと幸福感がひろがり微笑をあたえてくれる。
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枯蔓を引つ張れば影ついてきし 村田 篠
枯蔓を引いたときのあのズルズル感、何かにしがみついている手応えが実は影だったという発見。写生の目が利いている。この実感は自らやってみないと出来ないものだろう。一貫したたしかな目にやはり観念句よりも強いものがあると実証してくれた。
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年越し蕎麦食べてがらんとしてをりぬ 山口優夢
「年越し蕎麦」と言えば行く年来る年のメインイベント。1月1日になるカウントダウンまでに食べ終わらなければならないとなると緊張しないだろうか。それはともかく食欲を満たしてから除夜の鐘を聞くか搗きに行くというのはなんと合理的なんだろうか。この句「がらん」が曲者。道理上からは店ががらんとしてしまったと言うことなのだろうが、満腹感の果ての虚無感のように思えて面白い。
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ふれずとも濡れてゐる冬青草は 上田信治
俳人は「濡れている」ものが好き。さまざまなものを濡らしているのだ。春の海も惑星も。掲句の実感は冬青草にある。霜が付こうと雪に降られようと生きている限り青々と生きている。「ふれずとも」がいい。例えば金魚や雑魚にしても人間の素手にあるときは火傷に近いと聞いたことがある。冬青草にしてもそうかもしれないとふと思った。
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封筒に微量の空気ふゆざくら さいばら天気
好きな句は掲句と〈金屏風ひかりの腐蝕しつつあり〉なのだが、きっと人気句と言うものがあるとすれば〈百人の毛皮娘や何処へ行く〉〈しろながすくぢらのやうな人でした〉だろうと思う。掲句の封筒には発信地の空気が微量に含まれているように思う。その幽かな封筒の膨らみと手紙の文字。これはEメールには太刀打ちできないところであろう。つまり人格は文書として辿り着くことが出来るがEメールでは人格の一端を垣間見せることは出来るが伝えることは出来ないと言うことなのだ。
この項「遠景」に始まったがインターネット環境は「遠景」と身近になってきて父母の写真や動画を瞬時に送信、閲覧出来るようになってそれはそれで有り難いことなのだが、それはどこまで行っても実像ではない。やはり人間の触感を満足させるものではないようだ。俳句はどこまで実像に迫れるのだろうか。
■長谷川櫂 追悼 10句 ≫読む
■鳴戸奈菜 花踊 10句 ≫読む
■高橋雅世 遠景 10句 ≫読む
■藤幹子 すこやかさん 10句 ≫読む
■村田 篠 数へ日の 7句 ≫読む
■山口優夢 がらん 7句 ≫読む
■上田信治 おでこ 7句 ≫読む
■さいばら天気 くぢら 7句 ≫読む
■井口吾郎 2009回文秋冬コレクション 一万馬力 ≫読む
■長谷川 裕 仲良し手帖 ≫読む
2010-01-10
〔週俳12月の俳句を読む〕馬場龍吉 近くにあるものと遠くにあるもの
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