不思議な記号 ―田中裕明に触れて……生駒大祐
もう、本当に駄目なんである。こういうのは。
当日の資料「むしめがね」の中で語られる裕明・龍という才能ある若き二人の俳人のしずかな交流であるとか、最後の入院を前にした裕明からの手紙にある「よい句を作りたいと切に願います」という言葉の「切に」の響きとか、トミーズという名前のリアルな肌触りとか、俳句に詩を求め続けた真摯さとか、二次会までの編集会議のエピソードから見える裕明の生とか、ひとつひとつが胸に迫ってならなかった。ここで語られたエピソードのひとつひとつは、べつに伝説的でも驚愕するような意外性のあるものでもなかった。ただ、一人の思慮深く物静かな一人の人間が生き、周りに大小の影響を及ぼし、そしてあまりにも早く人生の舞台から退場していった、その痕跡が静かに語られたのみであった。それがこんなに印象深く生き生きと会場に響いたのはなぜだったのだろうか。
4人の語る裕明像はいずれも少しずつ異なっていた。丁寧で謙虚でやさしい。不思議な記号のような。非常に詩的な。多忙な仕事人。それは、それぞれが裕明と接していた時期と状況が異なっていたこともあるけれど、結局はそれぞれが自身の裕明象を生な言葉で語ったからだろう。人が人によって語られるときには、神格化と人間化が同時に起こる。勿論今回裕明がいくらか神話化されていたことは否定できない。しかし、このシンポジウムを通して私の中の裕明は初めて人間になったように思う。裕明という結晶を4つの角度から照らしたそれぞれの像を見ることで、裕明は俳句を愛し詩を愛した小さなちいさな一人になった。私はそれをとても嬉しく思う。
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2010-02-07
不思議な記号 ―田中裕明に触れて 生駒大祐
Posted by wh at 0:14
Labels: 田中裕明シンポジウム
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4 comments:
2週連続の、田中裕明勉強会特集、ありがとうございました。裕明は恥ずかしがりでしたから、これらの記事を目にしたらさぞかし照れていたことでしょう。
上田さん、生駒さん、週刊俳句のみなさん、労作ありがとう!
ふらんす堂の山岡と申します。
今回の講演会についての詳細なレポートをありがとうございました。
講演会に来られなかった方々もこのレポートを読むことによってほぼその内容をしることができるでしょう。
ありがとうございました。
上田信治さん、生駒大祐さん、
お二人のご尽力とお気持ちにこころより感謝申し上げます。
上田信治さん、生駒大祐さん、週間俳句の皆さま、
心のこもったレポートをありがとうございました。(復習もできました ^^);; )
お二人のコメントに胸があつくなりました。
天井の裕明先生も照れながら感謝されていることでしょう。田中裕明に会えた者の一人として、見たまま、感じたままの姿を伝えたかったのですが、小さなエピソードに終始して、田中裕明像を傷つけたのではと案じてもおりました。あのとき言いそびれたことは
また、ふらんす堂のHPに寄稿させていただこうと思います。
上田信治さま、生駒大祐さま、週間俳句の皆さま
出席できず困っておりましたが、レポートを読ませて頂き、皆さまの熱気が伝わって来ました。
僕も田中裕明先生を慕う一人です。
「秋草」にコメントしたいと思います。
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