〔新撰21の一句〕
髙柳克弘の一句
ほんとうの問題……上田信治
刈田行く電車の中の赤子かな 髙柳克弘
作者の句集『未踏』について、小倉喜郎、わたなべじゅんこ両氏による批判的検討が進行中である。(「e船団 俳句時評」 第3回 俳句の力)
これが(筆者の周辺だけかもしれないが)なかなかに評判が悪い。
くわしくは紹介はしないが、船団の二人が『未踏』の句群を「なるほどなるほど、と理解して進まなければならない窮屈さ」(小倉)「ナニカとナニカの因果関係を「読み解こう」とか「喩えよう」とか。この事柄・事象をいかに上手く言うのか、それが命題としてある感じ」(わたなべ)「次へ進まねばならない。例えば取り合わせで新しい世界を」(小倉)とするのに対し、
「興味深く「なく」拝読」とか「と言うてる人たちが、季語の働きを読みきれてない」(大意)とか「そういう二物衝撃こそ古くさく感じるなあ」とか、反発しつつも、まともに相手にせずというリアクションが、知人によるブログやツイッターで見られた。
しかしそのリアクションは、いわば「船団」的なるものに対するさいきんの評判の悪さのあらわれであって、小倉、わたなべの批判は、けっこう作者の痛いところを突いているのではないかと思った。
「詩、殊に定型短詩では、偶然が力をかさなければ何ほどのことも出来ない」と書いたのは飯島晴子だ。句集『未踏』の、誰もがとりあげる上等な句群には、すこし「偶然」が不足してはいないか。
本人もそれは承知かと思ったのは、人づてに〈秋草や厨子王にぐる徒跣〉が、その年の作者自ら恃む一句だったと聞いたからだ。
古典の世界にはめた作とも見えるが、この句の「文責」は、ほとんど厨子王にあって、作者にない。こういう句にスッとすることにおいて、作者と読者はイーブンの関係にある。
「船団」組の感じたキュークツさは、作者が、あらかじめの意図によって、一句と読者の運動をコントロールしてしまう(できてしまう)ことの、結果のような気がしてならない。
ま、〈厨子王〉は句集の帯にも引かれている句なので、なにかもうちょっとないかな、と、『未踏』の自分が印をつけた句を『21』の100句中に探してみる。あ〈あぢさゐや日はいちにちを水の上〉入ってないのか、〈婚約〉と〈同棲〉をどっちかにしとけばいいのに、まったくentertainerなんだからぶつぶつ、〈蛆虫〉もいいけど〈蝸牛〉もいいな、とか言っていて掲句。
上空高くから〈刈田〉の広さを見ている視点と、目の前の〈赤子〉を見ている視点が往還して、とても気持ちがいい。
(5/9 16:48 加筆)
鳥瞰的な「いわゆる」神の視点を楽しむ主体の眼前に、「赤子」という生々しいものが、刈田との温度差をともなって突きつけられる。
それは、広々とした空間と、眼前の赤子に同時に触れるという、言葉のみが可能にする体験であり、その抽象の味わいは、彼の文学からもサービスからも自由であると感じる。(加筆ここまで)
ていうか、どういう句を書くことが、彼を、読者を、ほんとうに自由にするのか、っていうことですよね、問題は。
邑書林ホームページで も購入可能。
2010-05-09
〔新撰21の一句〕髙柳克弘の一句 上田信治
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11 comments:
〔高柳克弘の一句〕ちょこっと、加筆しました。
第1回田中裕明賞に高柳克弘さんの「未踏」
毎日新聞 2010年5月9日 18時42分
ふらんす堂は9日、第1回田中裕明賞が高柳克弘さん(29)の句集「未踏」に決まったと発表した。高柳さんは浜松市出身。俳誌「鷹」編集長。主な作品に「凜然たる青春」「芭蕉の一句」など。同賞は俳人の故田中裕明さんを顕彰し、若手俳人育成のために創設した。
この頁へのlinkを貼らせていただきました(わたなべじゅんこブログ junk_words@)トラバとか難しいことがわかっていないので不格好ですけれどもお許し下さい。
わたなべさん、記事リンクをありがとうございます。
わかりやすいように、ここでもリンクを貼っておきます。
≫こちら(junk_words@)
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「興味深く「なく」拝読」したtenkiですが、「反発」というものではないです。
(細かいことですが)
拝読したが、興味はひかれなかった、ということですから、反発とはちょっと違う。
で、なぜ興味をひかれなかったのかを自分で考えてみると…
0)きわめて個人的な事情ですが、自分の中で『未踏』はずいぶん前のことのような気がしている(発刊が去年の6月、すぐに読んで、自分のブログで取り上げたのが去年の9月)。
≫いわゆる光熱費 高柳克弘句集『未踏』
1)うまく言えた句が『未踏』に多いことは、すでに知っている。
2)で、うまく言えた句に対する是非、好悪はいずれも存在するだろう、と。
問題は、その先。
拝読した記事から、好悪の如何はうかがえるものの、その先がない(ように読めた)ので、興味の対象には入ってきませんでした。
ね? これは反発ではない。
●
>しかしそのリアクションは、いわば「船団」的なるものに対するさいきんの評判の悪さのあらわれであって、(上田信治)
ここは、「「船団」的なるもの」についても、「さいきんの評判の悪さ」なるものも、私は知らないので(俳句世間に疎くて、すみません)、ぴんと来ない。
坪内稔典さんの「船団」ということはもちろん知っていますが、坪内稔典さんについても、
1 おもしろい俳句をつくる人
2 古くから(数十年前から)、俳句の外部(他分野や同時代)を強く意識していらっしゃる(古い俳句雑誌や御著書を少し読むだけでわかります)
3 引用の誤記がとても多い
これくらいのイメージと知識しかありません。
●
ただ、話は戻りますが、「うまく言えた句」というテーマは、なかなか広がりがあって、つくづくむずかしい問題だと考えています。
信治さんが挙げている神野紗希さんのブログに、
「「うまいこと言う」俳壇の流行に対して、忌避感を覚えるのは、私も同じだけれど、」とありますが、
同時に、「「うまいこと言う」ことに対する忌避」という流行も、私などは感じます。
(作用があれば反作用がある)
●
最後に、信治さんの言う「どういう句を書くことが、彼を、読者を、ほんとうに自由にするのか、っていうことですよね」という根源的な問題については…
「偶然」と幸せな関係にあるほうが、自分を自由にすると、私は信じています。
ただ、そのへんについて、高柳さんは、昨年7月時点では、とても慎重でした。
参照≫比喩をめぐって
(この昨年7月の長い対話もあって、私には、すでに過ぎ去った(笑)話題に見えた)
「スロットマシーンの当たりでも、いいじゃないですか」と私が(こしのゆみこ『コイツァンの猫』の幸せを例に引きながら)いくら言っても、「いや、それでは…」と、作者のハンドリング、コントロールを全面的に優先させる立ち位置でした。
でも、そんな高柳さんにもこれから変化があるかも、ですね。
otenkiさま
わざわざlinkを貼り直して戴きありがとうございました。お手数をお掛けしましたm(__)m。
>ね?これは反発ではない。
そうですね。もうご自身がそう思っていたことをどこかよそでくり返されただけですから反発ではありませんよね。わかります。
細かいことですが、私の方でも「反発があるだろう」と想像し覚悟していたら「否定的見解」を見つけた、という文脈で使っておりましたので、otenkiさんのおっしゃるように「反発」と思ってはおりません。
ただ、でも、ほんとうの無関心なら「興味深く「なく」」という書き方はしないであろうとも思われます。だから上田さんは「評判悪い」という例の一つに挙げられたのではないかと拝察されるところです。ふつう不要なところにカギ括弧があれば、それは何らかの意図を含んだ表現と読むのが文章読解のセオリーだと思われますので・・・、こういう書き方をすると場合によっては反語的にとらえられる危険があるのももちろん御承知のうえでしょうが、ですから、私も同様に否定的見解の一例ととらえることにためらいはありませんでした。
それと、船団代表の坪内稔典についてですが・・・。
まあ、そうなのかなと思うのですけれども、そして3については、とうとう自分の句の引用まで間違って書いちゃったよ、というおちゃめというかうっかり八兵衛というかなエピソードまであるぐらいでして、もちろん誤記のないに越したことはないのですが、わざわざそういうふうに掲げて書かなくてもいいんじゃないかな、というほどの感想を持ちました。たとえそういう一面があるにしても、その言説や主張の骨子を損うものでもないのではないかしら、と。少し読むだけで全体がよくおわかりになる聡明な方にはあるまじきくだりではなかったかと。そこだけが御説のなかで唯一残念なところでした。
上田さんの文章に「反発」という語が使われていない以上、これは私のブログで使った「反発」に対するコメントを頂戴したと考えてここに書き込みをしましたが、もし私の勘違いでしたらご海容くださいm(__)m
連投すみません。
tenkiさん、だったのですね・・・(T_T)。
お名前を間違えていて申し訳ありませんm(__)m、これでは恥の上塗りですね・・・m(__)m
重ね重ね失礼いたしましたm(__)mm(__)m
おてんきです。いや、ちがった、てんきです。(どっちでもよろしいです)
上田さんの文章に「反発」という語が使われています。
>「興味深く「なく」拝読」とか「と言うてる人たちが、季語の働きを読みきれてない」(大意)とか「そういう二物衝撃こそ古くさく感じるなあ」とか、反発しつつも、まともに相手にせず…(以下略)
ですから、それを受けてコメントいたしました。(これも、どうでもいいようなことですが)
いずれにせよ、賛否、好悪といった二項で論じるにとどまっていては不毛と思っており、そのへんに関心はありません。繰り返しになりますが、信治さんの言う「どういう句を書くことが、彼を、読者を、ほんとうに自由にするのか」。ここですよね。
追記
>自分の句の引用まで間違って書いちゃった
ステキです。
引用の誤記など、大した問題じゃないと思います。まわり(例えば編集)が気をつけるべきことですし。
tenkiさま
昨日、上田さんの文章を読み直していて「反発」の語を使っておられることに気がつきました。この点、全くのフライングでした。お詫び申し上げます。
なにかと不調法なことで申し訳ありません。
神野紗希さんのブログのコメント欄で、すこし話がつづいています。
http://sky.konosaki.raindrop.jp/?eid=75
こういうこと↓↓↓も
http://twitter.com/tadanoriyokoo/status/14073788766
関係があるのかもしれません。
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