【週俳4月の俳句を読む】
このぬらぬらした赤いもの ……松本 てふこ
春の昼埴輪の犬に舌のある 松尾清隆
自分の舌を噛む、という死に方が世の中にあると知った時。『蛇にピアス』のスプリットタンのシーンを読んだ時。舌切り雀の話を聞いた時。
舌のことを話したり考えたりしはじめると、なかなか止まらない。
今は口の中でおとなしくしているこのぬらぬらした赤いものが、激しい痛みや損傷を受けたら。食事中にうっかり噛んだりしただけでも辛いのに(しかもなかなか傷が治らない)、噛みちぎったり、穴を開けたり、切ったりだなんてとてもじゃないが、なんて思う。その割に、頭の中には昔何かの雑誌でみた見事なスプリットタンの写真が大写しになる。怖いのだが、やりたくはないのだが、このやわらかいのかかたいのか判然としない器官に危害を加えるのはどんな気分なんだろう。しつこくしつこく、考え続けてしまう。
この句の舌も、そういった想像力をかきたてるのに十分な存在感である。作られた犬の舌を発見した作者の心のふるえが、春の昼の空気に少しずつ溶け込んでいく。舌はこの犬が実在していた証のようだ。
一筆箋ばかりを書いて花きぶし 藤田直子
作者はきっと、これまでの人生で手紙を書く行為を楽しんできたのだろう。そして、一筆箋ばかりを使う最近の日々もそれなりに楽しんではいるのだろう。
軽い挨拶、簡単な近況、そしていつかの再会を約して結ぶ。伝えたいことをいかにこの縦長の一枚に収めるかを考えるのは楽しいけれど、何かが足りない。
会えるとか会えないとかそういうことじゃなくて、用事があってもなくてもすごく話したいことがあって手紙を書いていた頃があったはずなのに。便せんが何枚あっても足りないって思った頃があったはずなのに。花きぶしが、書かれなかった無数の言葉、何枚もの便せんのように思えてくる一句。
父はひかり届かぬからだ朝桜 田島健一
まず、この句群における父と母の句の配置に注目したい。二句目に〈乱れなき父が風船抱いている〉、五句目にこの朝桜の句、八句目に〈全力の母にわすれなぐさ願う〉とある。十句の中にほどよい間隔をあけて登場する家族。「乱れなき父」「全力の母」、どちらも個性を剥奪され、聖性を漂わせている。だがそんな彼らに配置されるのは「風船」「わすれなぐさ」。家族という概念へのシニカルな目線を感じざるを得ない。
そんな二句の間、句群の中央近くにあるこの句で、作者は他の二句とは違う、自分の肉声と肉体でもってシニカルな態度の根拠を示している。労働の始まりを想起させる朝桜に「ひかり届かぬからだ」とはいささかセンチメンタル過剰では、とも思うのだが、結局父親なんてさぁ、と本音をぶっちゃけた清々しさもあって憎めない。句群の背骨とも言える位置に正直な句を配置した、その潔さが印象に残った。
■松尾清隆 飛花となる 10句 ≫読む
■蜂谷一人 波蘭 10句 ≫読む
■藤田直子 踏青 10句 ≫読む
■満田春日 スピード 10句 ≫読む
■田島健一 残酷 10句 ≫読む
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2010-05-09
【週俳4月の俳句を読む】松本てふこ
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