2011-02-13

SSTには期待しない 相子智恵

SSTには期待しない

相子智恵


> 何か書いてよ。「SST論」でも「SSTに期待しない事」でも。
(原文ママ)

SST特集をやるからと、ある日、猿丸兄からこういうメールが届いた。
うーむ、と悩みつつ
「“期待しない事”っていう切り口はちょっと面白いかもね」と
SSTに期待しないことを、つらつら考えはじめたのだけれど、
ほどなくして私は「SSTには何も期待していない」ということに気がつき、
ひとりで笑ってしまった。

だって、そうである。
この3人が揃ったら、「揃ったこと」以上の何を期待する必要があろうか。
たとえば、3人が集まったからといって、戦隊モノのヒーローよろしく
「ぼくたち3人で地球の平和を守ります」とか(ないけど)、
フランス国旗の3色のトリコロールよろしく
「自由・平等・博愛の俳句を作ることを目指します」とか(ないけど)、
3人が集まったことによって、変な「SST理念」を宣言されても、
期待しないどころか、たいそう困るのである。

3人はそう、たとえば商店街で、偶然隣に並んでしまったにすぎない
蕎麦屋と靴屋と花屋のようにそこにいれば、それでよい。

地元の人から、おいしいと評判の蕎麦屋と、
いつもピカピカに磨いた靴を並べるセンスのよい靴屋と、
みずみずしくて人の心を幸せにする花々でいっぱいの花屋のように、
ひとりひとりが「いい仕事をする店の店主」でいてくれれば、
私にとっては、それで十分満足なのである。
3人に「SST」という商店街の看板以外の脈絡は、いらない。

そしてちょっと欲を言わせてもらえるなら、年に一度くらいは
「SST商店街」の慰安旅行で、熱海に出かけるような気分で
「週刊俳句」に作品を出張させてくれたら、うれしい。
そして、それを読んだ人たちを「この商店街すげー」
「この街に住みたい」って、勝手にくやしがらせればよいのである。

だいたい、俳句の「座」なんてそういうものだ。
いつだってくやしがらせる個人がいればこそ、座は輝く。
結社だって、同人誌の仲間だってそうだ。

死んだような俳句を作る師はいらないし、
死んだような俳句を作る弟子はいらないし、
死んだような俳句を作る同人はいらないのである。
もちろんこれは、自分への戒めを込めて書くのだけれど。

だからどうかこの商店街が、シャッター通りになりませんように。

最後に、まことに蛇足ながら…。
案外、人口に膾炙されていなくて、でももっと膾炙されても
いいんじゃないかい?と私が勝手に思う3人の一句を挙げて、責めを塞ぐ。



関ヶ原に雲形定規あつまり春  関悦史

日本画に描かれた平面的な雲のような、明るい春の雲形定規たちが
ふわふわ集まる、ふわのせき。じつにキッチュ。
約一年前、超結社句会「ゼロの会」で、7句選なのに
関さんの句を5句も採ってしまった衝撃を思い出す。
師匠の句でも、そんなに採ったことないのに。


ランボー全集全一巻や青嵐  榮猿丸

猿丸さんの句は、よく「表面性」が言われるけれど、
内実には青春性もあると思う。多少の甘ったれた哀しみがなければ、
ロックはできないのですね。


雉鳴くとトタンの板が出てをりぬ  鴇田智哉

鴇田さんの句は、音楽が鳴り終わるか終わらないかの
余韻だけを掬ったようだといつも思う。無音のような無音でないような、
拡散するようなしないような。「ナクトトタンノイタ」あたりの音もいい。

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