【俳句関連書を読む】
よろしき距離
金子兜太×池田澄子『兜太百句を読む』 ……西原天気
池田澄子が金子兜太100句を選び、一句ずつについて作者と選者・評者のふたりで語り合うという趣向の『金子兜太×池田澄子 兜太百句を読む』 (ふらんす堂・百句他解シリーズ 2011年3月)。すでに刊行されている「百句自解シリーズ」の向こうを張った、とも言えます。
この本、とてもおもしろい。
ほぼ時間軸に沿って句が並んでいるので、伝記的な意味での「兜太入門」にもなります。
他選なので作者本人にとって予想外の句もあり、また、これまで注目度の高くなかった句も紛れ込み、むしろその点もおもしろく読める。有名句を集めたアンソロジーでは味わえないことです。
逆に、通り一遍のアンソロジーには当然入っていそうな句が洩れたりもします。例えば「原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫あゆむ」は洩れ、池田が選んだのは「原爆の街停電の林檎つかむ」。この2句について、兜太と池田のやりとりのなかで、池田が次のように言います。
(…)反対のしようがないんです、「原爆許すまじ」って。「そうでしょうか」とか言えないんです。洩れたといっても、洩らした理由について語られるのですから、結果的には洩れていないのですが。
絶対に正しいところが、生意気ですが私は物足らないのです。
この本のおもしろさは、池田澄子というキャスティングの成功がもたらしたものでしょう。金子兜太という大俳人、兜太句という偉大な産物との距離感がいい。池田のそれらへの愛情は、深いけれども、盲目的ではなく、適度な距離があるのです。
よろしき距離が生み出す対話のおもしろさ、俳句を語ることのおもしろさが、この本の随所にあります。
もし、例えば、編集部が、金子兜太「先生」にインタビューするというかたちでは、こんな本になりません。あるいは、兜太に心酔する人とでは、このような対話にはなりません。
金子兜太への信仰表明・帰依宣言のような文章は、比較的よく目にします。
去年2010年9月に創刊され、このところ更新のないサイト「俳句樹」に連載されていた「海程ディープ/兜太インパクト」は少なからぬ人に驚きと失望を与えました(私もそのひとり)。
ファンクラブの会報と見紛うような、信仰表明・帰依宣言は、書き手本人には意義のあることでしょうし「海程」という組織にとっても意味があるかもれませんが、多くの読者にとっては、「なに、これ?」であり、むしろ「金子兜太」を遠ざける負の効果を生みます。
それではもったいない。兜太句は、読者すべての共有財産ですから。
百句他解シリーズは、これからどんな作者と読者(選者・評者)の組み合わせが実現していくのでしょうか。楽しみです。
池田澄子が作者の役にまわることも当然考えられますが、そのとき誰が選者・評者の役をこなすのか、それも楽しみです。「信仰表明・帰依宣言」ではなく、よろしき距離をもって池田澄子俳句を愛し、語れる人をもってくるのは、簡単ではないでしょうが、このシリーズの成否はそこにかかっているはずです。ふらんす堂編集部に期待、です。
8 comments:
私は以前「海程」に投句していた者です。
ちょっと体を壊しまして長期入院、そのまま「海程」から遠ざかってしまいました。
今でも悔いが残っています。
それで「海程」や金子主宰の現況を知るために、ずっと「兜太ワールド」や「俳句樹」を読んでおりました。
現在、地元で仲間を集めて俳句の勉強会をやっております。
その仲間にも海程関連のHPの閲覧を薦めています。
私のような「海程」「金子兜太」に関心がある人間にとっては、
「海程」内部の方々のご意見、文章に直に触れたいという欲求があります。
その意味で、あの「海程ディープ/兜太インパクト」というコーナーは大変有意義なものでした。
仲間たちにも概ね好評を得ています。
もちろん、そういったごく狭い範囲での反応ではありますが。
>「俳句樹」に連載されていた「海程ディープ/兜太インパクト」は少なからぬ人に驚きと失望を与えました(私もそのひとり)。
>多くの読者にとっては、「なに、これ?」であり、むしろ「金子兜太」を遠ざける負の効果を生みます。
とあなたは書いておられますが、
あなたの言う「少なからぬ人」「多くの読者」という言葉は、どれくらいの範囲をリサーチして出てきた言葉ですか?
一万人アンケートでもしたのでしょうか?
>ファンクラブの会報と見紛うような、信仰表明・帰依宣言は、
あなたはあのコーナーをきちんと全部読まれましたか?
金子兜太の客観的な作家論、金子兜太への誠実な問題提起、「海程」作家の紹介など、内容は多岐に渡っています。
以下は余談になります。
ネット上でのあなたの発言をいろいろと読ませていただきましたが、
たとえば「テレビで見る地震・津波の被害を安穏と五七五にするような、程度の悪い「のんきさ」、どうしようもない「蒙昧さ」。それはまた、まったく別の話。」という発言。
猛烈に腹が立ちました。
そういったこと、何であなたに決め付けられなければならないのでしょう。
いろいろな思い、立場、真摯な気持ちでこの大災害を自分なりに形にしたいと思われた方もいたはずです。
救いようのない無神経さ、独善。
何だかいちいち俳壇のご意見番を気取っておられるようですが、
思い上がりが過ぎる。醜い!
一個人さん、こんばんは。
一個人さんのような読者がいる「俳句樹」は幸せですね。
おからだのほうは、もうよろしいのですか。
ご健吟をお祈りしております。
いらいらする。
空っとぼけてないで、一つの文章の執筆者・文責として、
きちんと一個人の質問に答えろよ。
週刊俳句ってのは、その程度の人間の集まりか?
「一個人さんのような読者がいる「俳句樹」は幸せですね。」
情けない、気の抜けた文章だよなあ‥‥。
西原天気には俺も猛烈に腹が立つ
一個人さんを馬鹿にしている
西原天気は俳句を語る資格ゼロ
天気さんは答える必要はありません。
一個人さんは、文藝評論がどういうものであるかがわかっていません。相撲でいえば、土俵の外でちゃんばらをしようと言っているようなものです。
俳句樹を初めて見ました。兜太インパクトを読みましたがこれはひどい。宗教的な信仰と同じで、1号、2号を読んであとは読む気がしなくなりました。どうしてこんなものを載せているのか編集者の考えを聞いてみたいものです。
こんにちは。
台さん、匿名さん。
威勢がよろしいですね。
名前なしの匿名だと、こういうふうになる方がいらっしゃいます。
(ネットはこういう部分だけは昔から変わりません)
お名前のない方、お名前を明かさない方に向かって、
たくさんコメントを書き込む気には、なかなかならないのですよ。
こちらの勝手と言えば勝手ですが、気持ちの問題としてご理解ください。
(自分だとどうか、と想像いただければ、おわかりいただけると存じます)
とはいえ、一個人さんには、もうすこしお伝えすることがありそうです。
長くなりそうなので、ウラハイに、
そのうち書かせていただくことにいたします。
●
一読者さん。俳句樹・第3号のこの記事(↓)はおもしろいです。
よろしかったら読んでみてください。
≫それは、「俳句史」にとって幸せなのか? 小野裕三
「台」という名前で書き込みをした館野洋一です。
28歳。
これで文句ないですよね。
>一個人さんは、文藝評論がどういうものであるかがわかっていません。相撲でいえば、土俵の外でちゃんばらをしようと言っているようなものです。
何?文芸評論って、それに対して反論したり質問したりできないもんなの?
「相撲でいえば・・」の喩えも、ピントがぼけてて何言いたいのか全く伝わって来ない。
俺も本名出したんだから、あんたもきちんと本名で書き込んで来いよ。
俺はただ、一個人に対する西原天気の姿勢が許せなかっただけ。
館野さん、こんにちは。
ウラハイに書きました。
≫http://hw02.blogspot.com/
実名カミングアウト大会をやることはありません。
館野さんが匿名でなくとも威勢がよいことはわかりました。
一読者さんは、匿名を笠にきているではないし、
そんなにどこやかしに話題を展開させることもないでしょう。
それと、昨日の館野さんのコメントがスパムで処理されていました。
以前にもお知らせしましたが、
「ブロガー」の自動検出は、こちらにもわからないことが多く、
(わたしがこうやって書いたコメントも削除されたりします)
みなさんにご迷惑をかけています。
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