晩年 高梨章
手がおかれ春の世界に影ができ
ひらひらと膝をひらきし春の川
春の蝿水族館へ入りたし
はるうれひあしのうらまで月の夜
人を焼く春の岬となりにけり
足音はあなたでしたか春の月
出入する海風陸風花の虻
あをそらにぱりんといふ音ちるさくら
砂糖にも砂のかなしみちるさくら
草上にくつ下をぬぎ春の地球(ほし)
怪物のこどもはさびしい山の春
この星の守衛のかなしみ春の闇
死者もまた生を身籠るねむの花
暴力のあるかあらぬか青葉闇
敗戦日いきものはみなくちあけて
押入を夕焼の国にしてねむる
くらやみに湯呑茶碗と蝉の殻
遺失物夏のざはめきおりてくる
雨ふりだす晩夏きりきずきりぎりす
夕立やわたしのなかの水すまし
魚らに悲劇あるべく晩夏光
夏の血のほのかに透けて青揚羽
夢殿やすこしはなれて誘蛾灯
隻腕のひとあらはれて桃を買ふ
死ぬときはわれを出てゆくとんぼかな
抒情詩ではあるまいかいわし雲
鰯雲しまひわすれし梯子かな
はつ秋のまだほのぐらきあちら側
人形は人形の国秋の風
秋半ば梨やりんごの音色かな
雨だれにかすかな甘み神の留守
ふしぎふしぎ手をくださずに木の葉ふる
落葉ふる永遠の風邪をひきまして
またひとつ時計が止まる霜夜かな
せつなさをもういちど焚く落葉焚
クリスマス無言家族地下駅へ
地下駅に風をきくとき枯野哉
群青のちから集めて生ける鷹
うす雪の山々をまへにパンを抱く
冬晴れやまもなく落ちる木の雫
晩年や春はどこからどこかから
蛍出て舌やわらかくなりにけり
蛍のほかだれもいない台所
ためらひてふ言葉うつくし蛍籠
新月や畳のうへに髪ひらく
鈴虫のこゑあびてゐる乳房かな
晩年やうしろから抱く初時雨
音楽が夕焼けを抱く架橋ゆく
糸とんぼきみたちのいないこの時間
晩年やさびしい場所に絹豆腐
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2011-10-30
2011落選展テキスト 高梨章 晩年
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2 comments:
勝手なことを書きます。どの作ということではなく、
面白いなと思いつつも、なぜかその面白さに浸りきる
ことが出来ないような気がするのです。
それは、ある種の観念操作が各句の背後にふと思われる
ということにあるのかもしれません。
あるいは、言葉とそれが表現する世界との間に微妙な
乖離があるような気がふとするという、実に曖昧で
いい加減な感想であります。
だから、「夢殿やすこしはなれて誘蛾灯」という
いわゆるべたな写生句がかえって50句の中で印象的と
いう感想を持ってしまいます。
こちらの鑑賞眼の古さを露わにしてしまう句群なのかも
しれません。
「勝手なこと」を書きすぎたかもしれません。最後は、自己反省みたいなことになり、鑑賞とは関係ないことになってしまいました。失礼しました。それにしても、「夢殿」と「誘蛾灯」とは。日本画の一枚を見るような印象です。「べたな写生句」と書きましたが、作者の美意識によって切り取られた一枚の景というべきなのかもしれません。また、「抒情詩ではあるまいかいわし雲」は、作者の資質の自己表明のようでもあり、「うす雪の山々をまへにパンを抱く」はその実践作のようにも感じました。多謝妄言。
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