林田紀音夫全句集拾読 207
野口 裕
八月の雲ひとひらの供華ひとつ
自転車を倒す渚の飢えひととき
蟻の道真昼は透ける火を燭に
足枷の玉葱畑蒼く暮れ
立ちどまるながい戦後の雲の峰
昭和五十四年、未発表句。前項で自転車の句をとりあげて、「飢え」が句の均衡を失している由を書き込んだが、前後を並べた連作としてみてみるとそれほど目立たない。蟻にしろ、玉葱にしろ面妖な句であるが、八月の戦争回顧が主題にあることを念頭に置くと異様に響かない。ただ、最終句に書かれるように昭和五十四年はすでに「ながい戦後」であり、句末に「雲の峰」が来ることは、季語の有効性を紀音夫自身が知悉していることを意味する。
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目を閉じて出血の暗またつくる
花火より眼球の朱を滴らす
点眼の昼の月暫くは缺け
昭和五十四年、未発表句。紀音夫がパーキンソン病を病んでいたことは巻末の解説に書かれている。発病がいつ頃になるのかについては解説がない。また、眼を病んでいたと思われる句が散見されるが、パーキンソン病がどの程度それに絡んでいたのかは推測の域を出ない。いずれにしろ、三句続けての眼病に関しての句、特に二句目は超現実的な幻想とも解釈できる異様さを湛えている。
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わが影のさす鳳仙花その苦界
昭和五十四年、未発表句。わが身の病身のために苦労した人を思いやっての句と取るのが自然であろう。作者の境涯を脇に置いて読む必要があるため、一句としての独立は難しい。だが、境涯を織り込んで読むとき、読者にも様々の感慨がもたらされる。
ごく自然に象徴性を帯びる言葉として季語が導入されている。無季俳句の作家として一家をなした人にしてこの句がある。季語の根は深い。
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2012-03-25
林田紀音夫全句集拾読207 野口裕
Posted by wh at 0:05
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