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さて、今回は第二句集『湯呑』の第Ⅳ章(昭和52年から54年)から。今回鑑賞した句は52年秋から53年にかけての句。52年12月、立風書房から刊行された『現代俳句全集 第四巻』に作品400句と「自作ノート」掲載。前登志夫による爽波論「孤高の道」も併せて掲載されたとのことで、これは今度チェックしておきたいところ、図書館にあれば良いのですが…。52年は年末多忙の銀行員生活から解放され、初めて年末二日の休暇を楽しんだとのことです。「青」は53年1月号から範国忠士が編集長となっています。
座蒲団の手触りよくて水澄めり 『湯呑』(以下同)
ボリューム感のある、たっぷりとした座布団を思う。夏には藺座布団や麻、革のものが好まれるが、季節が変わると身の回りのものの好みも変わるものだ。澄む水とは感覚的な取合せだが、助詞「て」による繋がりが、微かな意味の捩れを感じさせながらも軽妙。
雪吊の縄目もあやに梅もどき
「雪吊の縄」で一旦切れる七五五の形の句で、「目もあやに」は、目も覚めるほどきらびやか、という意味。庭園でよく見かける梅擬、その実の鮮やかな赤や朱は、紅葉にも勝るとも劣らない、まさしく「目もあやに」だ。真新しい雪吊の縄と梅擬との対比が新鮮。
忘年の日のさし亘り瀧の木々
十二月は忘年会が幾つも続く。掲句の忘年会は日中の会だが、時節柄、日が短く、見るみるうちに太陽の位置は西へと傾く。この瀧は、京都郊外辺りの名のある瀧であろうか、夏に比べると水の勢いは穏やかに、その周辺に沢山の、丈の高い樹々を聳えさせている。
煤箒放り出しあり御陵みち
煤払は、新年を迎えるため年末に家屋・調度の塵埃を掃き清める風習。掲句では箒が道に放り出してあるので、家の周りも掃き清めていたのだろう。爽波の馴染みの関西は御陵の数も多い。御陵への道沿いに暮らす人の生活が見えてくる、ユーモラスな偶然の邂逅だ。
年暮るる今さら男山縁起
「石清水八幡」と前書あり。「男山」は京都府南西部の八幡市の山、石清水八幡宮はその山頂にある。爽波には男山の縁起など、とっくに承知の事だったろう。銀行勤めを退いて初めてのゆったりした年末、心の弾みのままに出た言葉がそのまま句になったかのような。
七草の朝を濡れゐて柿の枝
枝の霜が日に溶けたか、それとも雨に濡れたか、柿の枝は黒々と濡れて艶やかな様を見せている。その枝と七草との取合せだが、中七の独特な言葉の運びが、二つの物をなめらかに結び付けている。粥にまみれた七草と濡れた柿の枝の質感が、句中で渾然となっている。
満月を上げて煮凝る鯛の目よ
煮凝りは魚の煮汁が冷えて固まったもので、ゼラチン質に富む魚ほどよく固まる。掲句では、夜の訪れによって、鯛の目が周りのゼラチン質とともに煮凝りになっている。主語のない「満月を上げて」という表現が、鯛の目と満月に独特の一体感をもたらしている。
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