【俳句関連書を読む】
作家性・時代性への目配り
小林恭二『この俳句がスゴい!』
生駒大祐
「俳句研究」誌に平成15年から平成23年まで連載された「恭二歳時記」から抜粋し再編集したのが、本書。
この本の意義は筆者自身があとがきに書いてあるとおりだろう。
本書でとりあげた句のほとんどは、発表時話題となった作品です。(中略)こうした選句をしたのには理由があります。ひとつには、その時代にもてはやされた句を引くことによって、固有の時代の熱を伝えたかったということ。(中略)ついで、選句に必要以上の主観が入ることを恐れたということもあります。(中略)話題句を引いた三つ目の理由は、かつて盛んに人の口の端に上った新興俳句、前衛俳句の話題句が最近あまり聞かれなくなってきたことにあります。時代性、句集の構成といった境界条件を飛び越えて句を取り上げ、論を展開する俳句評論において、その句が発表された時代に確かに纏っていた空気感を再現することは難しいとともに往々にして「私が当時どう受け止めたか」という主観を述べるにとどまる。本書はもちろん筆者の独自の審美眼を前提として論を展開させているが、その句が当時どのような反応を持って受け止められたのかまで踏み込んで書かれており、読んでいて新鮮だった。その意味で、主観と客観のバランス感覚の優れた、読者の「俳句どっぷり度」を選ばない良書になっているのではないかと感じた。
全体としての描き方が、短い文章ながらもその俳人の「ある一貫した作家性」をあぶりだそうとしている意図が汲み取れ、その人物像を信じる信じないの問題はさておき、ある時代と生き抜いた俳人たちは物語性においてもやはり面白いものを持っているのだなあと感じた次第。
全く個人的には、龍太の
かたつむり甲斐も信濃も雨のなか
の「かたつむりと雨がつきすぎ問題」に対する論考が、かつて上田信治さんによって展開されたもの(http://uedas.blog38.fc2.com/blog-entry-135.html)とはまた違ったものとして描かれていて、楽しめました。俳句を象徴的に扱うか技術的なものとして扱うかは、反するというより互いに相響きあう捉え方なのではないでしょうか。
でも、本の名前はそのまま「恭二歳時記」で良かったのではないかなあと、かなり強く思いました。
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