2012-12-16
朝の爽波46 小川春休
46
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十六年」から「昭和五十七年」に入ります。今回鑑賞した句は、昭和56年の冬から57年の春にかけての句。57年3月には、河出書房新社から『現代俳句集成 第11巻』が刊行され、『鋪道の花』が収録されています。
年詰る塗りて余りし壁土に 『骰子』(以下同)
壁はいつから修繕の必要な状態になっていたのだろう。いつか直そういつか直そうと思いながら捨て置かれ、さすがにこのまま年越しはまずい、と年の瀬に土を塗り直した。その気持ち、よく分かる。余った壁土もそのままに片付けが行き届かぬのもいかにも年の瀬。
葉牡丹の大を抱へて湯屋を過ぐ
葉牡丹は、渡来の不結球キャベツを観賞用に改良したもの。派手さはないが、花の乏しい冬には貴重な存在。掲句の「大」とは花屋の店先に各サイズあったものの大を買った帰りか。温かい銭湯にも心引かれるが、今は葉牡丹も抱えているし、一先ず家路を急ぐ。
ここから「昭和五十七年」に入ります。
遠けれど御所より火事の焔見ゆ
冬は空気も乾燥しており、暖房のために火を使う機会も増えるため、自然と火事の件数も多くなる。掲句ではその火事が、御所から見えている。遠くの火事にも関わらず煙だけでなく焔までも見えるのは、火勢もさることながら、高い建物の少ない京都ならでは。
避寒して鏡台の気に入らぬまま
寒気を避けて温暖な地へ滞在する避寒。避暑地は華やかなリゾート地も多いが、避寒はひなびた温泉地などに行くことが多い。避寒宿の施設の古さが目に浮かぶ掲句だが、その詠みぶりから、湯に浸かる他にすることとてない、倦怠感がありありと伝わってくる。
診察の椅子をくるりと鴨の湖
内科であろうか、胸を診察した後に、くるりと椅子を回して背中を診てもらうと、眼前には図らずも窓外の湖が拡がっている。鴨は秋、雁と同じ頃飛来し、群を成して水面に浮かぶ。視点の転換の軽快さも去ることながら、自ずから湖畔の医院の静けさも思われる。
泛子一つづつを閲して梅早し
泛子(うき)には、釣糸の途中につけて浮かせる物と、魚網につけて水面に浮かせて水中の網のありかを知らせる物とがあるが、句中の人物は沢山の泛子を確認しているので、後者の読みを採りたい。上五中七の丁寧な描写が、漁師の人格まで浮き彫りにしている。
雪間草灯りて障子狐いろ
恐らくは、都市の灯や喧騒を離れた地。「灯りて」というからには、灯は灯されたばかり。灯されたばかりであればこそ、障子越しの灯の暖かな狐色も、見る者の心に強く働きかける。灯の色合いも、ところどころ解けた雪に芽吹き始めた草も、春の訪れを感じさせる。
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