【2012落選展を読む】
拘束着からレフ板まで
(08谷口鳥子 09村越 敦 10利普苑るな 11藤 幹子)
大穂照久
生駒大祐
司会:村田 篠
この対話は、2012/11/10から2012/12/8にかけて、ネット掲示板及びskypeのメッセージ機能を通じて交わされたテキストを、再構成したものです。
12谷口鳥子「夏星の配線」
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村田:では、第2ブロック後半の最初の作品、「夏星の記憶」を読んでいきます。一読して特徴的なテーマが印象に残る作品でした。いかがでしょうか。
生駒:はい。では僕から行きます。
サンドバックの奥に窓その奥に月
山百合と油を踏んで工場へ
拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝
が好きな句で、荒い手触りの句群に個性と魅力を感じました。
しかし、
グローブの紐引く室温四十度
花冷えや少しきつめにバンテージ
ウェブ株価見る鹿ジャーキーしゃぶりつつ
のようにストーリーがあるように見えて、空気感のみを詠んでいるにすぎない句もあるように思いました。
村田:50句の中に、違ったテーマがいくつも並んでいます。
大穂:前半がボクサー、中盤が作業員、後半が介護ですね。
生駒:同じテーマの連作が約10句ずつ連なっているのですが、この構成に逆に散漫な印象を受けてしまい、50句を連作とする難しさを感じました。
村田:私は、全体的に身体と、身体に直結する感覚を詠まれていて、そういう意味でのまとまりはあるのかな、と感じました。ただ、〈クレソン噛み潰し記憶の夏に入る〉〈夏星の配線だけをつなぎ去る〉のような抽象的な句もあって、それで印象が混乱してしまった感があります。
大穂:身体に直結する感覚というまとまりは僕も感じました。ただ、後半の介護以外、あまり共感はしない50句でした。
村田:確かに、50句を通して作者像がなかなか定まってこない、という印象はあります。
大穂:フィクションかどうかはさておき、作品はあまり成功していないと思います。
生駒:それはなぜか、ということですね。
大穂:どこか、想望感を感じてしまいます。リアルを感じない。フィクションでも、リアルを感じることはできるけれども、この作品からは感じられないのです。
村田:「リアルを感じる」というのは、俳句に限らず、どんな創作物にとっても大切な要素だと思います。実際にそれがリアルかどうか、ということではなく、受け取り手がリアルを感じるかどうか。
このあたりを、もう少し具体的に話していただけますか?
大穂:例えばボクサー「を」詠んだ句か、ボクサー「が」詠んだ句か。この50句は前者側の域に留まっています。
だから、共感というか、突きぬけるものがない。読み手はのめりこめないんですね。
村田:自分のこととして詠めていない、ということでしょうか。
生駒さんも挙げられていますが、私も〈サンドバック〉〈山百合〉の句が好きです。リアルを感じますし、少し内省的です。
ですが、そうした句と、例えば〈ウェブ株価見る〉の句を同じ人がつくったとは思えない。この句の主体は一人称ですが、ちょっと無理をしているような気がします。私には、そういう感じがしました。
大穂:でも、介護の部分は結構よかったかなと思います。わりにリアルを感じました。
生駒:介護の部分は僕もそう思います。
大穂:生駒くんも挙げている〈拘束着「どないして脱ぐねん」夏の朝〉の句はいいですね。拘束着を着せられて「どないして脱ぐねん」という。夏の朝は雑ですが、これくらい乱暴につけてもいいのかもしれません。
〈ポピーの鉢かかえホームは事故処理中〉もいい。鉢を抱えて両手がふさがっている景が事故処理のホームと合います。このあたりは面白いです。
生駒:〈ポピー〉の句は僕もいいと思います。〈革軍手灼けるレンチに変色し〉もいいですね。
大穂:この作品のようなテーマなら、定型外の俳句を多く出した方がいいんじゃないでしょうか。破調字余り季語なしでも全然OKだと思います。
生駒:独特のリズムを持っている方なので、それを生かすことができればさらに良い句が出てくるのではないかと思いました。
村田:私は、この方は意外に内省的な部分に本領があるのではないか、という気がします。それが、テーマやゴツッとしたリズムとかみ合うと、もっと面白くなるし、この作者だけの特長にもなってくるんじゃないかと思います。
ざっくりした言い方で、申し訳ないのですが。
●
13村越 敦「駱駝の列」
≫読む ≫テキスト
生駒:好きな句から行きますと
世界ぢゆうの蟻の話をして眠る
薄暑かな道の向かうに西友見え
広告の中の家族やシクラメン
日向ぼこ遠くの日向思ひけり
このような句には成功を感じるし、実際に僕の大好きな句ではあります。
しかし、全体として「非常に惜しい」と感じる50句であることも確かです。
村田:「惜しい」については後ほど話していただくとして、大穂さん、お願いします。
大穂:いきなりの1句目、〈やがて降る雨雪のこと薬喰〉が好きです。雨催、雪催のなか肉を食う静謐な風景。景もさることながら「やがて降る雨雪のこと」がフレーズとしていいですね。
〈世界ぢゆうの蟻の話をして眠る〉は優しさのある句だなと思います。そういう夜のことはいつまでも忘れないものです。
〈黄落や捨てし水槽わづかに濡れ〉、「捨てし水槽わづかに濡れ」の部分が非常にごちゃごちゃした感じですが、いい景ですね。水槽の水滴、黄色の葉の映るガラス、土の感じなどが見えます。
村田:私は、一読して独特の匂いを感じました。
梨咲いてましろくひかる鏡かな
広告の中の家族やシクラメン
水無月の火口に石を売る男
死のかるく描かれてゐる檸檬かな
日本離れしているというか、ちょっと無国籍な感じのする句群だな、と。〈世界ぢゆう〉の句もそうです。言葉の選択と形容の問題なのか。面白いと思います。
では生駒さん、どのあたりが惜しいのでしょうか。
生駒:たとえば1句目の〈やがて降る〉の「薬喰」の惜しさであるとか。大穂さんはいいと言われましたが、僕は惜しいと思います。それから〈女正月話を聞いて暮れにけり〉の「普通」感の惜しさであるとか、〈梅雨冷や小学校は朱き海〉の朱さに共感できないことの惜しさであるとか、ですね。
良くなりそうな句はたくさんあります。〈夢にまで見し駱駝の列や橋は夏〉の下五なども頑張っています。題材も多彩ですし 、カタカナ多用や切れの複雑さを意識した句を作っていますが、そのすべてが成功しているとは言えない。
挑戦しているんだけれども、俳句の枠内でやろうとしているのが痛し痒しで。
大穂:痛し痒しというと目線を変えれば、一気によくなるのでしょうか。
村田:気になって惹かれる句は多いです。〈アネモネや作り物めく博士の手〉とか〈梟や見知らぬ街はかがやける〉とか。
生駒:句の幅は感じられるので、個性を意識した作り方をしていくべきなんでしょうね。
大穂:最後の〈けふがいちばん幸せといふ雪が降る〉という句は、〈今生のいまが倖せ衣被 真砂女〉をちょっと想像してしまいます。
生駒:個性は巧みさからでるものではないと思っています。俳句における巧みさは比較的得やすいですが、個性的な面白さを出していくのはむずかしい。既にそこを狙っているのでしょうが、もっと突き詰めてほしい。
大穂:今回の50句は既存のうまさを捨てて、新しい実験をした感じがあります。
村田:1句1句はとても工夫が凝らされているのですが、全体としてハジケた感じがしなかったです。「しばしある」「欲なべて」という入り方とか、「それとして」という慣用句の折り込み方とか、いろいろな試みが逆に手慣れた感じになってしまっているのか。
大穂:手慣れた感じもありましたが、今回の作品では、村越くんは角川俳句賞向きの50句をあえて捨てて、この50句を出してきたのではないかと。
生駒:一方で、母数が足りなかったんだろう感があります。
大穂:新しい試みの母数ということですね。でも読んで、楽しかったですよ。
村田:そうですね。私もです。
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14 利普苑るな「2011/2012」
≫読む ≫テキスト
村田:次は「2011/2012」です。2011年から2012年にかけての光景を詠まれた句群、ということなんでしょうか。
生駒:このタイトルは評価できないです。
大穂:もう少し考えて欲しいですよね。
僕がいいと思った句を挙げますと、
新涼や言葉の出入りする身体
秋風や人影映す大理石
春めくや三食刷りの献立表
あたりですね。
〈新涼や〉の句、言葉は、耳と口だけでなく、目や肌からも出入りします。自分の体が清新な気分に満たされたなかで言葉の出入りを感じている景。面白いです。
〈大理石〉の句は、少し暗く反射する人影が想像できます。大理石の反射率は低いですからね。
〈春めくや〉、三食刷りって今学校で使っているのでしょうか。個人的な思い出ですが、春休み直前の給食は特別な感じがありました。
村田:〈春めくや〉はいいですね。ありのままですが、「三色刷」というようなところに注意の向く感じが好きです。
〈鳥交る綿のこぼるる縫ひぐるみ〉〈花茣蓙の柄よきところ選りて座す〉〈冬帽の男の低く唄ひ過ぐ〉あたりにも、表面だけではないちょっとした事情みたいなものを淡く感じさせてくれるような気がして、好きな句です。
生駒:僕は〈春めくや〉の句はあまり。「ただごと」を越える何かがあるのかと言われば、少し疑問が残るかと思いました。〈欠伸して涙ひと粒桃の花〉〈天丼の海老の尾ぱりと桜どき〉などの句もそうですね。
村田:「ただごと」というのは、どういうことだと思われますか?
生駒:「誰もが当たり前だと思っていること」ではなくて、真実を描いてはいるのだが、そのことを描くこと自体に凄みが生まれる状況。それを「ただごとを超えている」というのではないかと思います。
村田:「そのことを描くこと自体の凄み」というのは、事実というだけではなくて、根源に近いところを描いてしまう、みたいなことなのでしょうか。
生駒:同じ「経験があるな」と思わせることでも、それが既に読者の中で言葉となって認識されている事柄には驚きはないです。言葉にされることで初めてそれが真理なのだと気付かされる経験、そんなものに凄味を感じるし、ただごとの面白さの本質はそこだと思います。
村田:なるほど。大穂さん、〈天丼の〉の句はどうでしょうか?
大穂:桜どきの斡旋はうまい。うますぎますね。
村田:生駒さん、いかがですか?
生駒:僕の好きな句は
みちのくの田に花冷の至りけり
竜胆の青の極まる遠野かな
夕凪や釣人のふりしてゐたる
冬帽の男の低く唄ひ過ぐ
〈みちのく〉〈竜胆〉の句は端正ですし、〈夕凪〉〈冬帽〉などにはとぼけた味わいがあります。幅のある50句ですね。
大穂:〈夕凪〉〈冬帽〉の句はいいですよね。
生駒:季語の斡旋がうまかった。
この作者は取り合わせの可能性を信じている方だと思うので、その伸びしろを生かすことで突破口が開けるのではないかという気がします。
トーンが一定である印象を受けたので、作家性を守りつつももっと攻めてもよいのではないのかとも思いました。
大穂:全体に破綻している句は少ないですね。でも、面白い句も少なかった、というのが正直な感想です。「破綻していない=魅力的」ということではないですから。
生駒:普通を超えるものが出てきた俳句を読みたいです。
村田:大穂さん、面白い句、というのは、どういう句のことだと思われますか?
大穂:ここで言う面白さというのは、新しい視座を提案する面白さのことです。
村田:「新しい視座」とは、もう少しかみ砕いて言うと?
大穂:いわゆる俳句的な範疇、予想を超えた俳句といえばいいでしょうか。
今回の50句は、俳句の面白さが再生産的というか、プラスアルファを感じられない方向という感じがしました。
私はどちらかというと、開拓的な面白さをもとめてしまうので、そういった俳句をもっと読みたいですね。
村田:大穂さんの言葉をお借りすると、いつまでも同じ「視座」で俳句と関わってしまうことが問題だと。それは、ある程度の時間、俳句と付き合って上達してくると、必ず突き当たる問題ですよね。
大穂:難しい問題だと思います。
生駒:上手いっていう要素は面白いの十分条件でも必要条件でもない。破綻を避けて安全圏だけで詠んでいると、面白さからは遠ざかります。
賞に通るのは破綻の少ない句なのですが。
大穂:賞に落ちようが、フルスイングをする俳句が好きですね。
村田:大穂さんのおっしゃった「新しい視座」というのは、フルスイングから生まれるのかもしれませんね。
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15藤 幹子「カレー係」
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村田:いよいよ第2ブロック最後の作品です。いかがでしたか?
生駒:
冬の田へ神器のごとくレフ板来
湯豆腐食ふ時々四次元の生まれ
など、一句一句に驚かせてくれるポイントが含まれていて、読んでいて飽きませんでした。その中でも、
薄命にあらず日傘を回しけり
は非常に静謐な印象を受け、しかし全体の統一感を乱すことなく、好きな50句でした。
村田:〈冬の田へ〉はいいですよね。「レフ板」の扱い方に映像のような生々しさがあります。〈カンナ燃ゆ中学生の眼にガーゼ〉の「ガーゼ」もそう。
生駒:〈冬の田へ〉の句には、冬の田、神器、レフ板、それぞれがまったくつかない面白さがあります。でも、根底で通じる何かがある。実際にはレフ板を冬の田にもっていくことはないのでしょうが、それが非常にリアルに感じられます。
大穂:〈湯豆腐食ふ〉の句はどうですか。
生駒:はっきり言って意味が分からない句です。「時々」がすごい。句をわからなくさせている。
大穂:湯豆腐は3Dと時間の経過(1D)が必要な感じがあると思うのですが。
生駒:それは四次元を真面目に考えすぎだと思います。豆腐の形と四の字のかたちが似ている。それだけでいいです。
大穂:〈薄命に〉の句はいいです。薄命ではないから日傘を回す。美人薄命という言葉がありますが。雨傘を回すと人に迷惑ですね(笑)。この句は「けり」がいいですよね。
村田:いいですね。ちょっとしたひねりがあるところ。薄命と日傘を回すことは無関係なのだけれども、「にあらず」でつないでいるひねり具合がなんとも絶妙で。
大穂:〈ミッフィーのおうちに火の気なき夜長〉。ミッフィーの家はまちがいなく「おうち」です。そして、火の気のかけらもない。この説得力。
生駒:〈凧揚げや触りたくなき海触る〉の繊細、〈万緑や鼻より犬の朝始まる〉の不思議、〈五月雨や犬の耳垢耳の中〉の自然など、見どころが多いです。
あえて欠点を挙げるとすれば、〈カナッペを空蝉はづす指づかひ〉〈苺から苺へ五指のさざ波す〉などの句に見える言葉足らず感でしょうか。
大穂:〈五月雨や〉。こういう句はとれないです。耳垢。
村田:汚いものを詠んだ句は、わりに見かけます。
大穂:俳句の風潮として、糞とか垢とかを詠む傾向がありますが、それは、安易に認めたくないと思っています。本当に心から詠みたいと思うものでないかぎり。これは、あくまで自分の美意識ですが。
村田:私は〈カルピスを世田谷流に割るといふ〉〈クトゥルフにおでんを司る神が〉などの句がよく分かりませんでした。面白いのかどうかも分からない、という感じです。分かる人には分かるのかもしれませんが。
それから、全体にテンションが高い、という印象を受けました。まったりとものごとを見たり聞いたりしているのではなく、対象に迫ってゆくようなスタンスで詠んでおられる感じがします。
大穂:宗教、神話のモチーフが多いですね。モスク、司教、クトゥルフ、物の怪、それからニーチェ。ひとつの宗教にこだわるんじゃなくいろいろ突っ込んでいる。しかも、それ以外のテーマの句を入れているので、散漫な感じになってしまいます。
村田:「クトゥルフ」も、神話の用語なんですね。
大穂:この人の俳句は、それ自体が、どこか宗教的です。こういったルールや摂理が世の中に存在するのだと示唆するような俳句です。
鳩サブレの頸のひび、ミッフィーのおうち、盗作をした顔、日傘をまわす。リンゴが木から落ちるような、日々の暮らしの中の厳然たるルールを提示したような句。薄命ではないから日傘を回すのだという摂理。
村田:作者の中に存在する摂理を、作者の外に在るように詠む、ということでしょうか。あたかも架空の世界をつくるように。その読み方は面白いなあ。
大穂:既存の宗教を詠んだ句ではなく、もっとこういったご自身の句を読んでみたいですね。
村田:ああ、それはとても「リアル」な提案だという気がします。生駒さん、言っておきたいことはもうありませんか?
生駒:この作家は宗教などの既存の価値観を自分の中で咀嚼し、自分の価値観と混ぜ合わせてローカルに変容させ、その二次的な価値観を見せてくれているようなところがあります。それは作家性だと思うし、僕はそこが面白いと思いました。
この方向性でこのまま行くにせよ、大穂さんがおっしゃるような方向性に行くとしても、次を見ていたい作家だと思いました。
村田:それでは、このへんで。ありがとうございました。
(了)
2013-01-20
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