第280号~第289号より
月野ぽぽなさんのオススメ記事
小川春休 朝の爽波
野口裕 林田紀音夫全句集拾読
週俳300号おめでとうございます。週俳の記事は面白いですね。その中でも今回は連載、小川春休さんの「朝の爽波」と野口裕さんの「林田紀音夫全句集拾読」をおすすめしたいと思います。
波多野爽波と林田紀音夫というタイプの違う俳人についての記事への入り口が隣り合わせである自由さ、内容についてはどちらも作品やその背景について要を得てかつ丹念に語っていらっしゃるところが好きです。特に「朝の爽波32」「朝の爽波33」にある爽波と三島由紀夫の交遊の深さを彷彿させる記述は必読です。
「林田紀音夫全句集」は次回の帰国時にこそ入手しようと心に決めました。鑑賞の中から印象的だったものをいくつか。
毛虫樹々に満てり散髪後の少年次号も楽しみです。ありがとうございました。
一か月少々で散髪するとして、十回散髪すると一歳年を取り、六十回散髪すると小学一年生も中学生となる。一回一回の散髪もまた、小さな成長の区切り目と言えよう。殖えて木々に蠢く毛虫の湧き上がるような生命力と、少年の成長とが響き合っているような。
(朝の爽波35 第284号 2012年9月30日より)
自転車の夕ぞら少女たち群れて
昭和五十九年、未発表句。少女特有の笑い声が聞こえてきそうな句。紀音夫の師、下村槐太に、「河べりに自転車の空北斎忌」がある。作句時に意識していたのは間違いない。こうした句を読むと、忌日俳句は無季俳句と縁続きという気がしてくる。有季と無季の間に明確な仕切りがあるわけでもないだろう。
(林田紀音夫全句集拾読234 第285号 2012年10月7日より)
盆栽の空を小鳥の飛びわかれ
盆栽があり、そしてその上に晴れた空があり、という気分の良い庭の景を現前させる「盆栽の空」という表現は、助詞「の」の懐の深さを活かした俳句独特の表現。単なる空ではなく「盆栽の」と特定された空であることが、小鳥の運動のダイナミズムを裏打ちする。
(朝の爽波32 第281号 2012年9月9日より)
浴槽に深く孔雀の翅たたむ
昭和六十年、未発表句。初老の男性の自画像にしては、孔雀の翅が突飛。広げて誇示すべき翅をたたんでいるところに、心理的な屈折を表現しようとしたのだろう。ただし、自画像を離れてしまうと浴槽で戯れる女性像とも取れる。となると、CM映像あたりの影響も考えられる。 失敗している句ではあろうが、高度経済成長期を脱して文明の爛熟期にある日本と紀音夫との関係を考えてしまうような奇妙さを抱えている句ではある。
(林田紀音夫全句集拾読238 第289号 2012年11月4日より)
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