第290号~第299号より
生駒大佑さんのオススメ記事
江里昭彦:「角川書店『俳句』の研究のための予備作業」
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角川の「俳句」誌の歴史的変遷についての数値的データを基にした考察。
僕にとって「俳句」という雑誌は比較的よく購入する雑誌であるし、俳句世間でも話題になることの多い雑誌であることは確かだろう。
(週刊俳句にとっても「総合誌を読む」は重要なシリーズである)
しかし、「俳句」誌についての詳細な考察を読めば読むほど、「俳句一般にとって俳句総合誌がどんな意味を持つのか」という根本的なところで面白がりの心が躓いてしまうのはどうしてであろうか。
それはおそらく、僕が俳句総合誌に権威というものを感じていないからだ。
たとえば「俳句」の中でも「角川俳句賞」に対しては権威を創造しているなという思いを持つし、「俳句年鑑」に名前が載るか否かは俳人の政治的立ち位置マップのような役割を果たしているように感じる。
しかし、「俳句」に誰が50句を載せていようが、好きな俳人なら読むし、そうでないならちょっと眺めるだけできちんとは読まない。「『俳句』に載っている=俳句世間で有力な俳人」という回路が働いていない。
と、ここまで書いて、実はそれが一番怖いことなのかもしれないとも感じた。権威の側にとって一番望ましいのは、それが権威として意識されず、フラットなものとして認知されている状況だからだ。それを意識させてくれたことでこの記事は重要な論考だと感じた。
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2013-01-20
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