2013-01-06
朝の爽波49 小川春休
49
謹賀新年、本年もどうぞよろしくお願いいたします。とうとう本稿も年を越しました。爽波関連で言いますと、邑書林から「読み継がれる俳人」シリーズの一人目として『再読 波多野爽波』が刊行されましたね。豪華執筆陣による論考・鑑賞もさることながら、爽波作品四百句が収録されている点が目を引きます。ずーっと昔に本稿でも触れましたが、爽波作品を読もうと思っても、全集以外では古書を探すしかない状況でしたので…。
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十七年」から。今回鑑賞した句は、昭和57年の夏から秋、名月の頃にかけての句。昭和57年8月には「青」の鍛錬会を嵐山で催しています。なお、鍛錬会の規模が大きくなったことを理由に、「青」全体での鍛錬会は今回をもって中止。次年度からは地区単位の鍛錬会として開催されています。この辺りにも、句会・鍛錬会というものの規模についての、爽波の指導者としての思想が窺われるような。
鳥居出てまつすぐ泥鰌鍋の店 『骰子』(以下同)
泥鰌を味醂と醤油で味付けした出汁で煮て、葱をあしらって食べる泥鰌鍋。精が付くとされ暑中に食され、季語としては夏季。参詣を済ますと、かねて予定していたのか脇目も振らず泥鰌鍋の店へ急ぐ。神社より泥鰌と言った風情で、足取りの軽やかさが目に浮かぶ。
鷺草に腕をさすりて泊り客
七月頃、白鷺が舞う様に似た花を咲かせる鷺草。日当たりの良い山野の湿原などにも生えるが、掲句はどうやら宿屋の玄関先、鉢植の鷺草であろう。泊り客の動作は無意識のものか、それとも痛む腕の湯治にでも来たのか。何気ない一瞬がそのまま、一句になっている。
妙法の火床ごしらへ見えて酌む
八月十六日夜、京都市東方の如意ケ岳の山腹に焚かれる盆の送り火「大文字」。それに続いて松ケ崎に「妙法」が灯される。その「妙法」の火床を拵える様子もよく見える場所で、まだ日が落ちる前から酒を酌み始める。点火を待ちながらの、ゆったりとした酒だ。
エレベーター出て大文字点いてゐる
八月十六日夜八時、如意ケ岳に大の字の送り火が焚かれる。起源は諸説あるが大文字の字形となったのは近世初期らしく、現在まで受け継がれ、親しまれている。この作中人物は仕事上がりだろうか、ふと目に入る大文字は、生活の一部分と言って良いだろう。
鳥威きらきらと家古りてゆく
実った穀物を荒しにくる鳥を、ピカピカ光るガラス玉や合成樹脂の板、近年ではCDなどを無数に下げた紐を張りめぐらすなど、様々な方法で寄せ付けぬようにする鳥威し。鳥威しの光が眼前に広がり、その先の時間の流れを、いつもとは違ったものに感じさせる。
穴まどひポプラ樹下なる明るさに
晩秋に穴に入り冬眠する蛇。数匹から数十匹が集まって一つ穴に入り、絡み合って冬を過ごす。彼岸過ぎになってもまだ穴に入らず、徘徊している蛇を「穴惑」と言う。高く育ったポプラは広い蔭を作らず、明るい日の中の穴惑には、この世ならざるの感がある。
よき皿を割つて立待居待かな
旧暦八月十五日の月が名月、その翌日が十六夜、さらに立待、居待と一日毎に月の出は少しずつ遅く、その姿も僅かずつ欠けてゆく。しかしこの年ばかりは、しみじみと月を惜しむ心情とは別に、恐らくは月見の席で用いた愛蔵の皿を惜しむ想いが頭から離れない。
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