2013-02-10

【週俳1月の俳句を読む】近恵


【週俳1月の俳句を読む】 
自然と視線が上を向く

近 恵



まだ暗い元旦の朝、夫と初詣に出かけた。お参りを済ませ、朝方の疲れかけた屋台に潜り込んで日本酒とおでん。さて帰るかと歩いていると、一番端にドネルケバブの屋台が出ていた。客はおらず外国人の青年が一人暇そうにしている。なんとなく気になって羊のピタサンドを一つ頼んだ。正月に神社で屋台を出したのは今年初めてという青年は、流暢な日本語で大晦日の人出が思ったより少ないことを嘆いた。もう少し明るくなったら家族連れが沢山来ますよと、慰めにもならないような事を言い私達は屋台を出た。その後もう一度屋台の前を通ったら、若い男性の4人組がケバブを受け取っているところだった。私達はなんだかほっとして神社を後にした。空は明るくなりかけて、西の空には月が白く透けて見えた。そんな今年の正月。


初詣ドネルケバブとすれちがう    野口 裕

初詣でドネルケバブとすれちがった、ただそれだけの事。けれどそのケバブを提供するのは淑気満つ新年の境内に出ている外国の肉料理の屋台。そして、ケバブを焼く外国人の青年は、遠い故郷にいる家族を思い出して初詣の人々を眺めるのであろう。という訳で実はこの句は誰かの望郷の句なのである。


日沈む頃に眺むる初鴉    岸本尚毅

元旦は何かがいつもと違う。一日中ゆっくりと外を眺める時間もないくらいいつもと違う余裕のなさというか、元旦というだけで多分何か元旦らしきことをしなくてはならないような気分なのだ。家族と挨拶をしたりお雑煮を食べたり、年賀状を読んだり、テレビを見たり、年内にやろうと思っていたことが残っていたり。夕方、やっと正気に戻った時、ふと塒に帰る鴉を見たんだろう。初鴉はきっと漫画のようにアホーアホーと鳴いていたに違いない。


護摩札の自分の名前しばし眺むる    白熊左愉

護摩札に名を記すということは何かしら祈念することがあったのだろう。確かに名前を書く時まではその思いがあったはずなのだ。なのに名前を書き終わったらそこでひとつ終わった気になってしまう。まるで夏休みの初日に宿題を片づける計画を立てて、そこで宿題がもう終わった気になるかのように。そんなちょっとだけ満足げな気分で「うん、うまく書けた」なんて一人ごちて護摩札に記した自分の名前を眺めているに違いない。


初春の尾根のつづきを見てをりぬ    宮本佳世乃

尾根の続きには何が見えているのか。初春の明るい空かもしれないし、あるいは連なる雪の尾根かもしれない。それとも違う何かなのかもしれない。それを想像する時、自然と視線が上を向く。そして自分も少し冷たい空気を吸い込んで胸を張ったような気持ちになれるのだ。この句はそんな清々しさに溢れている。


第298号 2013年1月6日
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第299号 2013年1月13日
鈴木牛後 蛇笑まじ  干支回文俳句12句 ≫読む

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