2013-03-03
朝の爽波57 小川春休
57
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十九年」から。今回鑑賞した句は、昭和五十九年の春の句。〈磯遊び野遊び共に重ねきし〉の祝い事について、もしや田中裕明さんの御結婚ではなかろうか、と『田中裕明全句集』の年譜を確認してみましたが、違いました(昭和六十一年十一月でした)。何の祝いだったんでしょう。
磯遊び野遊び共に重ねきし 『骰子』(以下同)
「祝事」と前書のある句。詳細は不明だが、「青」会員の結婚に際しての句だろうか。磯遊び、野遊びの明るさ、そしてそれぞれの記憶が織り成す時間の厚み、奥行きを思わせる。爽波の師・虚子は贈答句の名手として名高いが、掲句も重みを感じさせる良い贈答句。
昨日まで白魚汲みてゐて逝かれ
沿岸域や汽水湖に棲息し、海から河口に入って産卵する白魚。四つ手網や刺し網などの漁法があり、「汲む」とは獲れた白魚を船から陸へと容器に入れて汲み上げること。白魚の透き通った様、言い流した句末、いずれも人の命の儚さ、あっけなさを感じさせる。
壁紙にしるき汚(し)みあと雪うさぎ
朝、カーテンを開けて、一面雪が積もっていたときの、あの明るさを思い出す。雪に朝日が反射し、日頃は日の当たらない壁や天井まで照らし出される。常は気にならぬ染みに気付かされるのはそんな時。人工的な室内も、決して自然と無縁ではないのだ。
竹通る竹輪もよけれ磯遊び
食品の流通・販売の変化で、綺麗に製品化された食品ばかり目にすることが多くなった。竹輪も穴の開いた状態でパック詰めして売られている。磯遊びに訪れた地で、竹輪を製造・販売する店でも見つけたか、竹の通った竹輪に出会う。買い食いもまた行楽の楽しみ。
洗面器うすき湯気立つ花の宿
明記はされていないが、思い浮かぶのは朝。洗い場へと射し込む朝の日差しを思う。洗面器の漂わせるかすかな湯気から、湯温は入浴時程度。手洗いの必要な繊細な洗濯の準備であろうか。こうした様々な想像に、「花の宿」という季語が、華やかさを加えている。
ハンカチを幾つも使ひ磯遊び
磯遊びの同行者の一人、それも恐らくは女性。ハンカチを何枚も持参したのは、波で汚れるのに備えたか、それとも美しい貝殻をハンカチに包んで持ち帰るつもりか。とりどりのハンカチが、磯の明るい日差しの中に鮮やか。ふとした驚きがそのまま句になっている。
朝の湯に身を浄めたる虚子忌かな
四月八日は爽波の師である高浜虚子の忌日。折に触れて師のことを思い返していた爽波にも、やはり忌日は特別な日だったのであろう。師の逝去から二十五年を経ても、その忌日に、朝の湯で身を浄め、心身共に引き締めた上で師を偲ぶ。何とも一途な弟子だ。
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