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今回鑑賞した〈大金をもちて茅の輪をくぐりけり〉、爽波の代表作とも言うべき句ですが、この句の誕生の背景について、爽波は次のように述べています。
句集『骰子』が出た。また「俳句」五月号(一九八六)には私としては初めての長い文章が載った。そして「俳句」六月号には『骰子』の特集があって、執筆各氏から率直な感想を聞かせて頂いた。
従っていまの私の心境は、あれやこれやと可成り複雑なものがある。
ただ、自分の文章をあとで読み返してみて、矢張りそこに書いて置くべきだったと思うことが幾つか思い当たるのだが、その最たることと言えば「偶然の必然」ということであろう。
「偶然の必然」とは、たしか後藤夜半氏の言葉であったと記憶する。この点を後藤比奈夫氏に確かめてからと思っていて機を逸したので省略した次第である。
私が「授かりもの」とか「偶然」を強調すると、それでは一句と自己との関わりはどうなっているのかとの反論が跳ね返ってくる。
『骰子』の特集で何人かの人が取り上げておられた句、
大金をもちて茅の輪をくぐりけり
の「大金」など、奇想天外な言葉として受けとられがちだが、作者にとってはまさに偶然の必然そのものなのである。
「しだ句会」の吟行で下鴨神社の茅の輪くぐりに相集うた。大変に暑い日であった。
この吟行会は毎月第一月曜日。生憎その日は前日の日曜日に有り金をきれいに使い果たして無一文の状況。それで家内から、必要最小限度と思う何枚かの千円札を借りて家を出た。
タクシーに乗ればメーターが気になる。昼飯をとりに蕎麦屋に入っても、つい値段表の方へ目がゆく。
まあ少し大げさに言えばこういう状況の下で、たしかにみどりの茅の輪をくぐったのである。
その場でこの句が口をついて出てきたときは、正直言ってドキリとした。
俳句という魔物がひとの心中を見透して、私の目の前に「大金」という言葉を投げ与えてくれたのだと思う。
(波多野爽波「枚方から・偶然の必然」)
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十九年」から。今回鑑賞した句も、引き続き昭和五十九年の夏の句。年譜上、特にこれという記載はありません。
ひつそりと日傘を置いて消えし人 『骰子』(以下同)
日焼けを防ぐための日傘であるが、雨傘と比べても忘れ置かれることが多い。特に始まりは夕方、終わりは夜更けての宴席など、帰りは既に暮れているため綺麗に忘れてしまう。残された日傘を見ると、その人の不在が不思議な余韻を伴って感じられるのである。
蓮見茶屋ドーンと遠き音は何
七月頃、根茎から長い花茎を水面の上に出して、その先端に大きく美しい花を開く蓮。それを見渡す場所に茶屋があるくらいだから、観賞用として綺麗に整えられた景を想像する。何ともとぼけた中七下五だが、逆説的な静けさや、蓮池や辺りの拡がりを感じさせる。
鴨居に頭うつて坐れば水貝よ
水貝とは、新鮮な生の鮑の肉を塩で磨いて薄切りや賽の目に切り、氷水に浮かべたもの。そんなに頻繁に食べるような品ではなく、句末の「よ」には、珍しい料理を目にした軽い驚き、気持ちの弾みが窺われる。果たしてそれで、頭を打った痛みまで忘れたかどうか。
茅の輪より顔つき出して呼ばふなり
旧暦十二月の晦日を年越というのに対して、六月の晦日を夏越と呼ぶ。夏越神事においては、大きな茅の輪をくぐってその穢れを祓う。誰が誰を呼んだのか書かれておらず、声の主は謎だが、どことなく、親子のやり取りのような懐かしいものに感じられる。
大金をもちて茅の輪をくぐりけり
社会生活を送る上で使わない日が無いくらいなのに、句に詠み込まれることが少ないもの、それは金銭。大金と茅の輪くぐりとは意外な取り合わせだが、茅の輪くぐりを済ませた人々は仕事などの日々の生活に戻ってゆく。そうした生活感を色濃く感じさせる。
目ざはりな束子が一つ船遊び
納涼のため船を出して遊ぶ船遊び。視界に広がる青い水面、遠くに見える山の緑、そして水上を来る涼しい風。日常の暑さ、煩わしさを忘れさせてくれる瞬間だ。しかし、束子が視界に入り込んで、折角の船遊びの気分を生活感にまみれた日常へ引き戻そうとする。
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