2013-05-05

一篇の物語として 小林苑を句集『点る』を読む 西原天気

一篇の物語として
小林苑を句集『点る』を読む

西原天気


※同書・栞より再録

順を追って読んでいくとき見えてくるのは「女の一生」だ。『中央公論』を定期購読するインテリ家庭に生まれた女の子は、やがて制服に身を包み学校へ。休暇ともなれば、横浜へ、海へ。代返飛び交う教室では、にょきにょき身長の伸びる男の子をそばで見ながら性にめざめたりもする。そして第一幕のクライマックス。

  すかんぽやこの家は傾いてゐる

  さくらさくら泪には表面張力

  目をつむる遊びに桜蘂降れり

泣かせどころである。「家が傾いてゐる」と即物的に解してみても、波瀾の予感は拭えない。落ちることを拒む泪。微笑みながら目をつむり、「Ⅰ麦藁帽子」は幕を閉じる。

で、幕間に言っておかねばならないが、苑をさんは〝自分史〟を読者に押しつけてくるほど粗暴ではない。はたまた日々の思いを日記のごとく俳句に綴り、まとめましては「句集でござい」なんて野暮は死んでもなさらない。虚実をないまぜに、計算され構成され、みごとに仕上がった物語。それがこの『点る』なのだ。

さて、また幕が開き、「Ⅱ七福神」。東京山の手の色合いが濃かった前章から、ここでは中央区、台東区あたりまで舞台が広がる。さみしさを知り、それでも伸びやかに、諧謔を忘れない、聡明な娘さんが坐し、立ち、しっかりと歩を進める姿が描かれる。

  学問を蒸(ふか)して干して生節

  青梅雨や部屋がまるごと正露丸

紙幅が足りぬ。先を急ごう。「Ⅲ薺」では、結婚ということだろうか、暮らしの大きな変化をほのめかす句もあったり、「Ⅳ桜貝」では職場の様子も垣間見える。このあたりから句群は沈潜の度合いを増し、さあ、いよいよ、最終章「Ⅴ狗尾草」。達観へと、この人は成熟していく。

  性別のどうでもよろし白子干

  あの世にもこの花柄の春炬燵

  もの言はぬことの涼しき夕べかな

念のために繰り返すが、小林苑をという人の生きた時間を追うのではない。俳句という嘘を味わうのだ。けれども、その物語の芯に、ひとりの女性がすっと姿勢よく立っていることを私たちは同時に理解する。事実として流れていた時間の中に一句一句が定位され、それぞれの機微が輝く。句集という流れのうちに俳句を読む愉しみを、私たちは存分に享受する。句集『点る』と苑をさんに感謝しつつ筆を擱くこととする。



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