2013-06-02

朝の爽波69 小川春休



小川春休





69



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十年」から。今回鑑賞した句は、昭和六十年の夏、梅雨入り前ぐらいの句。またしても年譜には特に記載のない時期ですが、スパンが短いので、まあしょうがないと言えばしょうがない。充実している時期だなぁ、という印象です。

納戸に灯一つ垂れをり田水張  『一筆』(以下同)

あまり日が入らない納戸では日中でも灯を点けるが、これは夕暮か夜の、納戸から灯の洩れている景と読みたい。電球を吊しただけの簡素な灯りの下、来るべき田植に向けて、納戸で何か作業をしている。その灯が、代掻きが済み、水を張った田の面に届いている。

桐の花よりたらたらと滴れる

五月上旬、枝先に筒状の紫色の花を沢山つける桐。かなり高い所に密集する花の房から「たらたらと」落ちる雫は、季語としての滴りではなく、雨の雫であろう。花の形状を思えば、花を伝う滴りも楽しげだ。ら行音を多く用いた句の響きも、潤いを感じさせる。

黄あやめや紙幣(さつ)のやりとり盆の上

初夏の頃、湿地などに咲く黄あやめの花。中七下五のやりとりは屋内でのことであろうが、黄あやめの群れ咲く辺りが見える、外へと開かれた席が想像される。金銭という、社会生活には不可欠だが俗な要素の強い物を、さらりと粋に詠み込んでいる。

一八のほかにはこれといふ花も

杜若に似た形の白や紫の花を咲かせる一八(いちはつ)。一説には、あやめの仲間の中で初めに咲くことから一初との名が付いたとも。夏の花々が咲き始める前、すらりと高く花を咲かせる一八を眼前に、ふとこぼれ出た言葉がそのまま一句となったかのような。

大寺や孑孒雨をよろこびて

孑孒(ぼうふら)は夏、池や溝の澱んだ水や岩の窪みの水溜まりで、棒を振るような格好をして浮いたり沈んだりしている。雨の雫が澱んでいた水に動きをもたらし、孑孒の動きも歓喜のごとく活気を帯びる。堂々として拡がりを感じさせる上五が揺るぎない。

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