小川春休
74
氏育ち良き子とならび根釣かな 『一筆』(以下同)
秋、魚が寄る岩礁などのいわゆる「根」を狙い、岩頭や岸壁などから釣る根釣。釣れる釣れないだけが釣りの楽しみなのではなく、居合わせた見知らぬ同士、釣りや様々な方へと話の弾むこともある。その「子」の受け応えの品の良さは、親の訓育の賜物であろう。
盆を拭く二枚三枚秋の水
「二枚三枚」と言うからには当然、語られぬ一枚目も存在する。次々と盆を拭き清めるうちに、雑念も消え、心が澄み渡ってゆく。その心の有り様が、下五に表れる「秋の水」と重なり合う。ゆったりとした時間の流れを内包した、深い淵のような奥行きを感じさせる句。
霧いよよ深ければ蛇路上かな
このように詠まれているからには、普段はそうそう蛇など現れない道路なのであろう。人間や車の通行のために造られたはずの道路が、濃霧によって、蛇が我が物顔で往来する場へと一変している。個人的には、夜に向けて濃さを増してゆく、夕霧の景と読みたい。
初の孫御蚕ぐるみ秋収
「御蚕ぐるみ」とは、絹の着物ばかりを着て贅沢をすること。大事にかしずかれる赤子の様子も去ることながら、「御蚕ぐるみ」という言葉自体も、養蚕が盛んであった時代の名残りを感じさせる味のある言葉。一年の農事が終わった祝いの席の、主役のような赤子の姿だ。
次なる子はやも宿して障子貼る
先の出産からさほど月数も経ていないのに、もう次の子を懐妊したという。その事が分かったばかりであれば、まだ外見上母体にそれほど変化はないかも知れないが、障子貼りはなかなかの重労働。とは言え来るべき冬の準備として、やらざるを得ない事でもある。
●
0 comments:
コメントを投稿