自由律俳句を読む 12 藤井雪兎〔2〕
馬場古戸暢
前回に引き続き、藤井雪兎句の鑑賞を行う。
なみだのなかのなつのなきがら 藤井雪兎
このなきがらは、カブトムシやクワガタのものだったろう。夏の日の少年は、皆、こうした涙を流して成長して行くのである。
つないだ手がたんぽぽをかすめた 同
手をつないだ二人が、春の陽気を楽しそうに歩いている様を思い浮かべる。若い男女ととっても、親子ととっても、少年少女ととっても、老爺と孫ととってもいい。どの二人であっても、幸せそうだ。
叱られた夜に時刻表読んでいる 同
家出の準備をしているところだろう。行動が速い子供である。なんとなく、インターネットが未だ普及していない時代を詠んだ句のようにみえる。夜行列車をうまく使えば、結構遠くまで行けるのかもしれない。
知らん花だと春のおじさん 同
作者とおじさんの会話の一端だろうが、あまりにシュールである。夏のおじさんなら、花の名前を知っているのだろうか。
野球捨てた筋肉が鉄打っている 同
学生時代に培った体を生かして、仕事に励んでいるところだろう。しかし野球を「捨てた」ということは、故障でやめたり、学校を卒業してやめたというわけではなく、積極的に放り投げた感じがする。そうした経緯ゆえに生じた後悔をも、この鉄に打ち込んでいるのか。
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2013-09-22
自由律俳句を読む 12 藤井雪兎〔2〕 馬場古戸暢
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5 comments:
自由律俳句の良さが全然分からない。
簡単なイマジネーションが自由律俳句?
自由律俳句には自由律俳句にしかない鑑賞の方法ってあるのかな?
>匿名さん
どうも作者の藤井です。
この度は拙作をお読みいただきありがとうございます。
ではあなたは、定型俳句の良さは分かっているんですよね?
そんなあなたのお気に入りの句はどのようなものなのでしょうか?
それがわからないと議論は平行線を辿るだけですので、何卒お教えくださいませ。
藤井雪兎 様
たまたま質問した機会に、あなたの句が掲載されていたので誤解を生んだようですね。
私の質問は、あなたの句に限らず、自由律俳句全般に対するものでした。
週刊俳句の場であれば、このような疑問に何らかのヒントが見つかるかと思っていたのですが、
あなたの神経を逆撫でしただけだったようです。申しわけありませでした。
答えはこれから自分で探します。
ご質問の、定型俳句の良さは入口の分かり易さでしょうね。
ちなみに私は、中村草田男・石田波郷・西東三鬼など所謂戦後派と呼ばれる人達に傾倒していて、
このような句が好きです。
男立ち女かがめる蟻地獄 西東三鬼
以上。失礼しました。
>匿名様
戦後派がお好きとは意外でした。大抵あなたのような事を仰る方は花鳥諷詠派の方に多いので。三鬼は私も好きですよ。
差し出がましいかもしれませんが、自由律俳句を読む時は、まず定型俳句での約束事を全部忘れて、「直接」目の前の句と向き合い、その句の「言葉」が作り出す「律」に身を任せてください。
そして、判断基準はあなたという「自己」です。あなたが気に入ればそれでいいのです。
以上です。お答えが見つかるのを願っております。
参考にさせていただきます。m(_ _)m
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